10
頭上から槍が振り下される。
失血でまともに動けない。
タガネは負傷覚悟で白刃取りの挙に出た。挟み取るほどの力は無いが、それでも死ぬわけにはいかない。
迫る凶刃。
打ち合わされる掌に収まる直前で、その動きがぴたりと停止した。
訝って見ると。
「ぐっ……な、何事です?」
デュークの脇の下に矢が刺さっていた。
口から血が溢れ、その場にくずおれる。
か細いうめき声だけで、あとは痙攣を繰り返していた。肺を貫通したか、発声はおろか呼吸すら危うい状態である。
唖然として。
タガネと巫女は周囲を見渡した。
射手は誰なのか――その正体は、すぐ近くにいた。
「おっさんに手は出させない!」
「ま、マダリ……!」
弓を手にしたマダリが立っていた。
意外な人物にタガネも喫驚する。
巫女は黙って、足元に倒れるデュークを見た。致命傷の激痛に息絶えている。
マダリから隠すように。
デュークとマダリを結ぶ直線上に立つ。
ふと。
タガネはその行動を見て。
「ッ……マダリ、気を付けろ!」
「え?」
「矢が跳ね返される!」
その一言で意図は伝わらない。
警告を発した後。
マダリの肩に矢が突き立った。
足下に倒れていたデュークが活力を取り戻して立ち上がる。
上げられた顔はほくそ笑んでいた。
「くそ!」
跳ね返される。
来たばかりのマダリには、きっとわからなかっただろう。
そう感じて、タガネは歯噛みする。
相手に与えた損耗が跳ね返ってきた。
巫女の一言――『反転』によって。
魔法なのだとしても規格外の効力である。ベルソートの時間干渉に匹敵する、起きた事象をそのまま反射するのは無敵に近い。
原理はともかく。
どんな攻撃を加えても、相手を倒せない。
体から力が失われる。
「ぐはっ」
タガネはその場に倒れ伏した。
被衣の下で巫女の冷然とした眼差しが覗く。
屈み込んで、タガネの顎を指で持ち上げた。
「これが剣鬼」
「触んな……」
「妹が気に入っただけはあります」
「……妹?」
巫女が僧衣の裾を摘んで持つ。
そのまま頭を下げた。
「私、魔神教団二の巫女ラインでございます」
「……」
「我が『加護』は反転。発生した事象を覆す力です。発動条件は『間に立つこと』であり、中間地点から離れるほど精度は落ちます」
「ご丁寧に、どうも」
タガネは岩の上にくたびれたまま。
皮肉をこめて笑った。
ちら、とマダリの方を見やる。
その説明から察するに、デュークと相手の間に立つことで『反転』が発動する。タガネは剣撃が、マダリは矢が返ってきた。
ただ。
両者の中間地点が最高精度を発揮する位置。
離れているほど効果が薄くなる。
だからか、肺を穿たれたデュークの損耗を反転させたにも拘らず、マダリは肩に受ける程度で済んでいた。
タガネは得物の関係もあって至近。
だから、この有り様だった。
魔法とはまた異質な力なのかもしれない。
どちらにしても。
「貴方は私たちに勝てない」
「ですね」
巫女ラインの不敵な言葉に。
デュークが揚々と声を重ねる。
勝てる見込みは、たしかに無い。
その後ろで、マダリは必死に矢をつがえようと構えているが、負傷のせいで手元が思うように動かない。
タガネはそれを視線で制した。
下手に手を出せば、今度こそ自らの攻撃で死ぬことになる。
相手は反則じみた力を行使する。
「面妖な連中ばかりだな……」
呆れ半ばに呟きつつも。
タガネは思考を止めはしなかった。
抗う策を、ひたすら打ちだそうと脳内で試行錯誤を繰り返す。残りの体力で実行可能なものは絶望的に少ない。
それでも。
異常な能力『加護』。
正体不明だが、発動条件は本人の口から暴露された。まだ何を考えても憶測を出ないほど情報量は少ないが、解き明かすだけの要素は揃っている。
中間地点、間に立つ、事象の反転、反転…………覆る、中間地点?
タガネは面を上げた。
「反転……」
「何ですか?」
ラインが小首を傾げる。
タガネは、はっとして視線を伏せた。
反転とは、単純に考えても回転のこと。物が回るには、必ず揺らがない支点が必要になる。
ならば、この場合、その『動かない点』になっているのはライン本人。
すなわち――。
「おらよっ!」
「な!?」
タガネはおもむろに懐中から何かを投げた。
それは巫女の袖についた。
巫女は何事かと視線で探り、袖に付着した物に目を見開く。
それは……赤黒い蜘蛛だった。
気付かれたと思ったのか、そのまま服を伝って袖口から中へと侵入していく。悲鳴を上げた巫女が振り落とそうとするも、きっと衣服の中では無駄である。
これは毒虫。
あの日『マリア』の文字を糸で示した虫である。出会ってから、ずっと離れなかったその毒虫を懐に呑んでいた。
タガネに対してだけ気性が荒く、噛みはしないが攻撃してくる。
まるで剣姫のように。
ぞんざいに扱われてさぞや怒っているだろう。
タガネは小さくほくそ笑んだ。
「やっちまいな」
「いっ!?」
ラインが小さく悲鳴を上げる。
おそらく、蜘蛛が皮膚に噛み付いた。毒のある、その牙で。
彼女はうずくまった。
デュークが慌ててその肩を抱える。
「巫女様!すぐに反転を……」
「反転、できないんだよな?」
タガネの一言に。
ラインの体が小さく跳ねた。
「反転できるのは、自分を間に挟んだ事柄だけ。自分自身に起きたことは、逆転させることができないんだよな?」
「ッ……小賢しい!」
巫女が荒んだ声で吐き捨てた。
袖口から蜘蛛が脱出し、タガネの手元へと戻る。
デュークは憤懣で顔を赤く染め。
槍の穂先をタガネに突きつけた。
「無礼者、いま殺して差し上げましょう」
「ほー。だが残念、もう遅い」
「何?」
自信満々で言い放つタガネ。
その手元で魔剣が大きく震動していた。
怪訝に眉根を寄せたデューク。
その二人の鼓膜をつんざく雷鳴が轟いた。南の空が一瞬だけ明るくなり、山岳部全体に地鳴りが伝わる。
デュークは南の山陰を見回す。
一部は崩落し、狼煙のように一筋だけ立ち上る煙があった。
「いけない」
ラインが山頂の方角を振り仰ぐ。
二人もそちらを見遣った。
石像たちから噴煙じみた蒸気が発生している。雷雲さながらの濃霧となって、山頂一帯を覆い隠した。
突風の勢いであふれる。
タガネは手元を確認した。……蜘蛛がいない。
迸る蒸気に耐えながら、デュークが槍を振り上げた。
「どちらにせよ」
「うん?」
「巫女殿に狼藉を働いたアナタは、ここで断罪します」
「お好きにどうぞ」
デュークの力を込められた腕の筋肉が膨らむ。
今度こそ仕留めんと槍が振り下ろされた。
槍の穂先がタガネを目指して光る。
「――ただ、言ったろ。遅いって」
「!?」
全力の一撃をこめた最後のとどめは――。
穂先が消えたことで失敗に終えた。
柄の部分から、すっぱりと寸断されている。柄はタガネを飛び越えて、遠くの岩の表面を打った。
槍が切断された。
だがタガネは満身創痍で動けない。
一体、何者の仕業か。
理解不能。
混乱するデュークの横っ面に、霧を裂いた鋼の臑当てが直撃する。首の根本から薙ぎ払うように、デュークを蹴り飛ばした。
僧衣が宙を舞い、岩の上をもんどり返る。
タガネは安堵の息を漏らす。
「おまえさんも、遅いがな」
「助けたんだから感謝しなさい」
「どうもお世話様」
「ほんっと、ムカつく!」
血だらけで伏せるタガネ。
その隣の霧が鋭い剣の刃に割かれた。
風が巻き起こって、辺り一帯を晴らす。
タガネは、隣からする声に微笑みかける。
「あとは頼めるか」
「業腹だけど、仕方ないわね」
うずくまっていたラインが目を見開いた。
彼女の眼前、タガネとの間に。
紺碧の美女が立ちはだかっている。細身の銀剣を片手に、凛とした眼差しで睥睨していた。
ラインの唇が震える。
「委細承知……してないけど、任せなさい!」
立ち上がるデュークに向かって進み出る。
紺碧の女剣士。
それは王国のみならず誰もが知る。
この人は。
「まさか……」
「この剣姫様が成敗してあげる」
剣姫マリア。
ただ今、復活した王国随一の剣士だった。




