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南北に伸びる山岳の中心部。
山腹にある村を出て、角灯を手にした白装束の集団が山頂へと行軍を開始する。
闇の深くなった夜に、お互いを光で照らして進んだ。
獣の気配がそこかしこでする。
それも僅かな時間だけだ。
あとで訪れる鐘の音に耐えられず、たちまち姿を消してしまうのが常である。夜空を叩く轟音には、人より繊細に音を聴き分ける獣の鼓膜には凶器そのものだった。
だが。
この白装束たちにとって鐘の音は祝福である。
数世紀の間隔で到来する福音。
それを間近で享けられる悦びに、鼓膜への負担も快楽でしかない。
そして。
今晩もまた彼らは祝福を享受しに山を登る。
角灯が列なって道のようになった。
ここを辿れば幸福にたどり着く。
そう信じて疑わない狂気によって。
背中を押された彼らの足は倦まず弛まず進んでいく。
その狂気を束ねて率いるのは橋守。
否。
「蛹がじきに成ります」
「……」
「先に倒れてしまったヴリトラの無念を、みなで晴らしましょう!」
魔神教団司教。
漆黒の僧衣を着たデュークである。
恍惚とした表情で両腕を開帳し、空を大きく振り仰いでいる。先頭が何度も歓喜に震えて立ち止まるが、それでも不思議と行列じたいは止まらなかった。
やがて。
木々の向こう側にガレ場が見え始める。
彼らの日課。
降臨する魔獣に祈りを捧げる。
充分な栄養を補給した後なので、デナテノルズは魔神教団を襲うことはしない。そも襲う気が無い。
なので――というよりも。
食われようとも、彼らは魔獣のそばで挺身覚悟でその場にひざまずいて祈りを捧げていた。
魔獣が羽化し、美しい姿になるまで。
それは延々と続く。
「あと一日ですよ、司教」
「おや、すみません巫女殿」
すっ、と司教の隣に進み出る。
他の信者とは異なる装束をした小柄な人物。
巫女と呼ばれたその人は、黒と白を基調にした裾の長い僧衣を着て、顔も衣で隠している。
司教がそちらを向きながら。
腰を直角に折って頭を下げる。
「ヴリトラ様の巫女の選出には失敗した。やはり、アナタのような人でなければ」
「世辞は結構です」
「これは失礼」
デュークが顔を上げる。
後方の灯たちを一瞥し、巫女の隣を歩む。
「ヴリトラ様は倒された」
「今回の失敗は許されません」
「しかし、アナタの妹君も立派につとめを果たしました。ヴリトラ様に命を捧げたのですから」
巫女の口から小さな吐息。
衣の下に冷笑が浮かぶ。
デュークも微笑んで、岩場の先を見据えた。
先日の来訪者。
旅人のタガネは、いったい何者だったのか。山頂での光景を見るやいなや、村からマダリもろとも連れ去って行った。
村の実態を隠すための印象操作で、引き取って育てていたマダリもが消えた。
外部に情報漏洩の恐れがある。
それに、タガネは青い髪の女性について調べていた。こんな山奥に人探しに来るということは、何らかの目撃情報があってのことである。
青い髪。
騎士らしからぬ――つまり騎士の女性。
たしか、山頂の石像に青い髪をした剣姫の物があったはず。
その調査なのだろうか。
情報提供者は誰。
さまざまな疑問が渦巻くが、どちらにしても残り一日でデナテノルズは羽化する。万事がうまくいくのだ。
そう考えていたところで。
「おや?」
首を傾けて、周辺を見回す。
巫女や行列も足を止め、彼を見つめた。
デュークの視線が闇の中へ鋭く注がれている。
「何か、いますね」
「何か、とは?」
巫女も疑問に思って問う。
林間の暗がりに潜む何か。
デュークがその正体を告げようとして――。
「ぐあっ!!」
「ぎゃっ!?」
「ひぃ!!」
後方で連続して悲鳴が上がる。
ばっと身を翻してデュークは後ろを見た。
先刻あった角灯の光、行列の中ほど辺りの数が減っている。その近辺の信者たちも困惑の色が見られた。
何事かと全員が固まる。
消えた信者たちの行方はどこか。
それを思索したところで、再び別方向から悲鳴が響いた。
「次はどこですか?」
デュークが目を凝らす。――今度は列の最後部だった。
明らかにおかしい。
「皆さん、警戒を!!」
デュークが全員に警戒をうながす。
しかし。
次は複数箇所で、信者たちが倒れていく。そして、列を横断していく別の影を一瞬だけ目で捉えた。
デュークは槍を持ち上げ。
さっと、右の虚空を薙ぎ払う。
ただ空を切ったように見えた動作だったが、その足元に数名の男の首と胴が転がった。
怒りに目が開かれる。
「敵襲です!我々の信仰をけがす蛮族どもが来ています。皆のもの、ただちに戦闘態勢を執りなさい!」
信者たちが衣服の下から武器を取り出す。
ところどころで、金属音が聞こえた。その合間には、野獣じみた蛮声がする。
角灯の数が減り、信者ではない死体も増えた。
デュークは槍を見る。
自分の得物は森の中では扱いづらい。
開けた場所――すなわちガレ場に行くしかない。
そして。
司教としては、そばにいる巫女を守らなければならない。司教とは、そういう役目だ。
巫女を片腕に抱える。
そのまま、岩場めがけて疾駆した。
道中で横から攻めてくる影たちを槍で払いながら回避する。
僧衣を凶刃がかすめる。
敵の顔がちらりと窺えた。山賊の風体である。村を襲撃しに来たのか。
こんな大事な時期に……!
デュークは歯ぎしりしながら駆けた。
「よし、抜けますよ!」
ようやっと。
木々の間を抜けて、ガレ場に到着する。
巫女を岩場で降ろしたデューク。
その後ろで火の手が上がった。誰かの落とした角灯の中身があふれ、木々に延焼したのだ。
夜空と岩場がほのかに照らされる。
デュークはくっ、と歯噛みして。
「良いザマだな、橋守」
「……アナタでしたか」
先の方から声がする。
デューク前に向き直った。
岩場にて、仁王立ちする人影がある。
片手に剣を提げて、悠揚と歩み寄って来た。
「守るべき橋を落とすとか」
「……」
「橋守失格だな、おまえさん」
「ふふふ、そうですかね」
デュークは槍を構えた。
火の光で照らされた場所まで接近した相手の顔が照らされる。
銀の髪が夜風に揺れる。
燃える森を映した灰色の瞳がデュークを射抜いていた。
誰をも竦み上がらせる眼差し。
それを受けても、デュークは笑っていた。
「アナタの目的は何ですか?」
「剣姫は返してもらう」
「それは承諾しかねます」
「許可なんざ求めてないよ」
銀髪の剣士――タガネが剣を軽く振った。
「あいにく無神論者なんでね」
「なるほど」
「説法だとか説得だとかは無駄だよ」
「ええ」
巫女を遠ざけて。
デュークもまた槍の穂先を前に差し出す。
「なら、手段は一つだけですね」
「そこだけは分かりあえて嬉しいよ」
タガネの瞳に獰猛な意志の火がともる。
デュークもまた狂気で顔に笑みを咲かせた。
「行くぞエセ司教」
両者は同時に岩を蹴って前に出た。




