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馴染みの剣鬼  作者: スタミナ0
四話「橋織る谷」・下巻
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 タガネは橋の前に立った。

 あの交渉の後刻。

 火猿たちが戦力を集中するべく小屋から去った後、残されたマダリは山を駆け巡った疲労で寝込んでしまった。

 ベルソートもあのまま熟睡している。

 山暮らしが老体に堪えたか。

 深く考えると、また苛立ちが募る。

 その後、眠ることはできず。

 タガネは一人夜風に当たっていた。

「……面倒なこって」

 魔剣の柄頭を撫でて嘆息する。

 そして、今晩も。

『ごぉおおおん!!』

 鐘の音と(うそぶ)く声がする。

 タガネは目を瞑る。

 橋の向こうの山頂に巨影がうごめき、その膝下で僧衣の集団が(ひざまず)く。

 その光景を克明にまぶたの裏に描けた。

 そして。

 彼らの影に隠れて、石と化したマリアがいる。

 身体は戦野の空を見上げた時間のまま。

 魂だけが失われている。

平生(へいぜい)気に食わん女だ」 

 犬猿の仲。

 互いに蛇蠍(だかつ)のごとく嫌う。

 反目は当然だった。

 剣を矜持とする彼女と、剣を生きる手段としてきた自分では辿ってきた道が違う。

 リクルには、大切な人間ではないかと問われたが、タガネにとって微塵も重要では無く、人生に必要ですらない。

 だが。

 剣姫マリア。

 いつも剣に全て懸ける。

 善くも悪くも――大抵が悪いが――自身の正義を信じて疑わない。

 厭わしい人間。

 けれど不思議にも尊敬すらす直向きさ。

 その在り方は血に濡れる(タガネ)ではなく。

 心は磨かれた剣で在ろうとする。

 だからこそ。

「あんな連中に辱められる筋合いは無い」

 デナテノルズ。

 その剣のような魂を魔獣の糧にされるなど陵辱も同然。

 さしものタガネでも看過しがたい。

 それに。

 マダリはデュークに裏切られたと考え、いまひた隠しにしているが、目の奥に烈火のごとき激情が渦巻いている。

 危うい色の光だった。

 しかし、タガネはマダリに対して既視感があった。間違いなく、それは以前の自分に重なるからだろう。

 レイン――ヴリトラは本能だった。

 魔神教団は信仰心。

 どちらも、おしなべて私情と一括にできない。

 ただ、勝手にこちらが期待しただけ。

 勝手に裏切られたと絶望し、怒っている。

 タガネは自身の責任に決着をつけた。

 ただ、マダリの場合は……。

「ん、何だ?」

 顔の前に一本の糸。

 蜘蛛がゆっくりと降りてきた。

 最近になって大量発生した毒虫である。ここへ来る数日前の道中でも、面前に悠々と降りてきた個体がいた。

 もしかして、同じ蜘蛛か。

 くすりと小さく笑いをこぼして、タガネは一歩身を退く。

 すると、蜘蛛が糸を伝って上昇した。

 ゆっくり上に戻るそれを視線で辿る。

 蜘蛛を追った末に、タガネは視界に真上の光景を収めて。

 心底愕然とした。

「う、そだろ……!?」

 頭上で豊かな青葉を繁らせる梢。

 重たくしなるそこに糸が張られていた。

 ただ、網の目を作る蜘蛛の巣ではない。

 糸で文字が描かれていた。

 一文字ずつ。

「……マリア」

 大きく、剣姫の名の形。

 不格好だが文字だと判別できる形の明確さ。偶然による産物ではない。

 そのかたわらに、あの蜘蛛がいる。

 タガネは手を差し出す。

 てのひらに、蜘蛛が降りてきた。

 噛み付かず、刺さず、ただじっと掌中でタガネを凝然と見上げている。

 この蜘蛛は、もしや。

 そのとき、木々を騒がせる夥しい気配。

 風ではない、枝を揺らして動く毒虫たちの足音がする。

 タガネは後ろに振り返った。

 糸で描かれたマリアの名、妙に大人しい掌の蜘蛛、大量発生……。

 一つずつ、ピースが頭の中で組み立てられる。

 不完全ではあるが。

 おぼろに一つの解答の輪郭ができあがった。

 信じがたいが。

 妙に納得してしまう。

 タガネは騒ぐ心臓を押さえて思考を巡らせる。

 これは。

「いや、でも、まさか……」

「一人で何を呟いとるんじゃ?」

「げっ」

 考えを突き詰めようとして。

 爆睡していたベルソートが現れた。

 寝ぼけ眼をこすり、杖にすがって歩く。今にもくずおれてしまいそうなほど覚束ない足取りだった。

 この大魔法使い。

 いつも神出鬼没で、その瞬間は魔が差したかのような場面ばかりだ。

 今回も、重要な事実に手を伸ばしかけていたのに、それを阻止するような時に起きて来た。

 もう悪意があるとしか思えない。

 タガネは頭を抱える。

「ベル爺よ」

「む?」

「おまえさん、人の邪魔しかしないのかい?」

「……何かすまんの」

 ベルソートが小首を傾げながら謝罪する。

 タガネは肩を落として。

 とりあえず蜘蛛を肩の上に乗せた。

 それを見て、ベルソートの目が見開かれる。

「む、その蜘蛛」

「やっぱりか?」

「うむ、そうじゃな」

 タガネは肩上の蜘蛛を斜視する。

 概ね読みは当たりか。

「ヌシは寝ないのかのぅ?」

「まあ、考え事が一段落したからな」

「ほほ、若者の長所は悩むところじゃ」

「おまえさんは悩みなんざ無さそうだしね」

 タガネは小さくあくびする。

 少し眠気がしてきた。

 これならば、ゆっくり眠れるかもしれない。

 小屋に向かって歩み出す。

 その途中、対岸の山を見上げた。

「待ってろよ」

 ――ごぉおおん。

 応えるように。

 夜空に鐘の音が鳴り響いた。



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