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タガネが案内された宿舎。
村の隅に一つ天幕が張っているだけだった。
旅人用としては、設備の少なさに驚かされたが、雨風を凌いで眠れるだけでも上々である。
マダリと別れて中で休む。
人ひとりが横になれる空間。
タガネは天幕を見上げて小さく息を吐いた。
「東方人、ね」
先刻のデュークの質問。
名前は東方の道具に由来する。
タガネは珍しい混血だった。
母親が東方から船で航って来た踊り子。
当時、行商人だった父と懇意になり、タガネを身ごもって定住したと聞く。
まだタガネが四つになる頃に他界していた。
原因は病だった。
濡れ羽色の髪、雪のような白皙の肌、万人の心を惹き付ける玲瓏な声、訪れた地をその麗々たる姿で魅了した美女と噂すら立っていた。
そんな母から生まれたタガネは、顔つきばかりは母に似て、髪などは突然変異で銀色になり、父には気味悪がられた。
タガネを受け容れてくれた唯一の人間。
それが母だった。
朧気な記憶の中の人。
床に臥せたときも故郷の話をしていた。
夏の前には桃色の花弁を散らす木々が風にそよぎ、藁を編んだ床や紙を張った引き戸のある家、騎士に似た剣を持つ兵など。
タガネの幼心をくすぐる物ばかり。
たおやかな母の手が頭を撫でる。
『いつか、あなたを連れて行きたかったな』
いつも言っていた言葉。
色褪せない記憶だった。
「おじさん!」
「あ?」
珍しく郷愁に浸るタガネに。
天幕の外から呼び掛ける声がした。
起き上がって外に顔を出す。
マダリが片手にランタンを手にしている。何やら企み顔で、小脇に抱えた袋を差し出した。
タガネは不審に思いつつ受け取る。
中身は少量の木の実だった。
「これは?」
「おやつ」
「何で俺に」
「いいから」
急かすように。
マダリが外へと招いた。
渋々と天幕を出てその後に続く。村のある平地を出て、山頂に向かう。急な傾斜を、猿もかくやといった機敏な身のこなしでマダリは上がっていく。
タガネは必死に追従した。
この体捌き、たしかに山賊の出なら納得だ。樹間を跳ね回って遠くなる背中が視界から消えないよう走る。
やがて。
周囲は木々や草が途絶えて岩場となった。
村のときより、呼吸が苦しい。
タガネは後ろをかえりみる。
村からはずいぶんと離れたが、空気が薄くなるほどの高度は無い。夜闇のせいで幾分か距離感に錯覚が生じるが、それでも異様な肺腑を圧迫される苦痛があった。
眉をひそめて前に向いた。
山頂と思しき場所。
そこに無数の彫像が建っている。
タガネは近づいて一つずつ検めた。
「……これは」
一つずつ。
「まさか」
つぶさに。
「あり得ないだろう」
事実を確かめる。
タガネは呆然と立ち尽くす。
彫像のすべてが信じがたい物だった。
それらは石像。
精緻に作られているのかもしれない。
山賊と思われる野蛮な面差しの男たち、他にもさまざまな人間などはあったが、中でも一際異彩を放っていたのは一つ。
タガネが触れた石像。
長い髪をした女性だった。
「何で」
片手に剣を握っている。
「おまえさんがここに?」
それは――マリアに似た物である。
空を見上げて、驚愕に顔を歪めていた。実物に会った人間にしか判らないが、明らかにマリア本人に酷似している。
周囲を見回した。
王国騎士団、傭兵、帝国軍の装束をした石像が顔を揃えている。中には負傷した状態の物さえあった。
それを見たタガネは、胸中に一つの感想を抱く。
まるで。
「砦の戦線で戦った兵士みたいだ」
顔触れは間違いない。
近くに、王国騎士団の団長もいる。
夥しい石像たち。
これは誰かに岩を削って製作したとは思えないほど精巧で、まるで以前まで生きていたかのようにさえ感じる。
タガネは茫然自失として。
その後ろにマダリが立った。
「その人、綺麗だろ」
「こんな物、いつから?」
「さあ。おいらも見たの最近だし」
「え?」
タガネは振り返る。
そういえば、マダリは山賊に捨てられた孤児だと聞き及んでいる。そこに違和感を覚えた。
「一つ訊いていいかい?」
「なんだ?」
「おまえさん、いつから村に?」
「えっと、一年前」
「……おまえさんのいた山賊たち、どうなったか知ってるか?」
マダリが首を横に振る。
「いんや、知らない」
「……」
「でも」
彫像の集団。
その一画をマダリは指差した。
「あそこに皆に似たのがある」
「え……」
「だから寂しくねぇんだ。デュークも姉ちゃんも優しいし」
タガネは顎に手を当てて黙る。
目前にあるマリアに似た石像を見た。
「そうか」
タガネは山の下へと振り向く。
村の灯りが闇の中に浮かんでいた。やはり人の声や生活音の一切が聞こえない。
だからこそ。
――ごぉおおんっ!
鐘の音は聞こえる。
以前よりも、大きく。
――ごぉおおおおんっ!
音圧で体が揺れるほどに。
「ぐッ……!」
「な、何だよこれぇ!?」
堪えきれずマダリが耳を塞いでうずくまる。
鼓膜を苛む響きが強さを増した。それが脳内にまで伝播し、平衡感覚を奪っていく。
タガネはその場に膝を屈した。
凄まじい音波が襲ってくる。
『ごぉおおおおんっ!!』
山間を震撼させて、その『鐘の音』は闇の中から忍び寄っていた。




