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タガネは土を払って立ち上がる。
橋守の男を正面に見据えた。
威厳と気品。
それを兼ね備えた印象だった。
六尺手前まであるタガネの背丈を、さも嘲笑うように高い位置から注がれる金の眼差し。髪を刈って頭皮が晒されており、僧衣と相俟っていかにも僧伽の風体である。
長身はすっくと姿勢よく立ち、袂からのぞく腕の筋肉は隆々としていた。
そして何より。
手にした槍が異様に長かった。
いや、槍というよりも銛に近い。
槍の先端が猫の手のように屈曲している。
薙刀か、それとも斧か。
判じがたい奇妙な形状の刃だった。
「橋守のデューク」
男が名乗りを繰り返す。
タガネは笠を取って一礼した。
「タガネ、旅の者です」
「ふむ、東方の出身ですかな?」
「……いえ、母が東方人なので」
「なるほど」
タガネは努めて笑顔を作る。
橋守のデュークが目を細めて。
「銀の髪?はて、何処かで……」
「橋が落ちた不祥事の由、失礼な形の訪問になってしまった」
正体が傭兵だと感づかれる。
その予感がしてデュークの思考を遮るように話しかけた。
傭兵、それも銀髪となれば特定しやすい。
剣鬼と露呈したら、危険人物と見なされて村への入行を禁じられる恐れがある。そうなれば本末転倒なのだ。
最悪は王命という便宜があるが。
強制力は悪印象と後顧の憂いを作る。
タガネは頭を軽く下げた。
デュークが目を剥いて。
「いえ、いえ。お気になさらず」
「そうですか」
「はは、善き人のようだ」
デュークが満足げにうなずく。
背後のマダリが胸を撫で下ろした。
タガネも内心で安堵の息をする。
どうやら。
危険人物の嫌疑はまぬがれたらしい。
僧衣の裾が翻る。
デュークが村へと歩き出した。
「歓迎しよう、タガネ殿」
マダリがそばに駆け寄る。
タガネも後ろに従った。
「よかったな、おじさん」
「……」
遺憾な「おじさん」の呼称。
タガネは胸中にみなぎる怒気を抑えた。
無邪気に感情をぶつけてくる。
だからタガネは子供が嫌いだった。
本当に。
「しかし、この奥深い谷に村がね」
「利便性は都に劣るでしょう」
先導のデュークが独り言に答えた。
タガネは谷を眺める。
もう闇に沈んで底は窺えない。
街道からも外れ、山の悪路でしか通じず、橋一本のみが村への出入口。なるほど、便利さを問われれば苦しくなる地勢だった。
しかも。
その橋すら落ちている。
「しかし、我々には心地好い」
「……橋守の仕事とは?」
「都の番兵と同じ。橋を守り、害を退く務めなのです」
「大変なのでは」
「山賊相手がもっぱらですね」
デュークの声に気負いはない。
タガネは彼の槍を斜視する。
それは自らの腕に対する自負か、それともこの辺りに跋扈する山賊が弱小であるとの確信なのか、或いはその両方か。
いずれにせよ。
殊更に疑念を誘う。
「橋が落ちていますが」
「ああ」
「理由を訊ねても?」
「実は、儀式なんです」
デュークが肩越しに微笑む。
タガネは片眉をつり上げる。
「儀式?」
「道中、鐘の音は聞きましたか?」
「ああ、はい」
「あれは兆しなのです」
「兆し?それは――」
タガネが問い糺そうとして。
木々の間を通っていた三人の目の前に、豁然と村の風景が広がった。天幕を張る家々が、内側に光を灯して森の中の夜気を照らす。
デュークが両腕を広げた。
「ようこそ、我が村へ」
「静かですね」
「みな『鐘の音』を聞くためですよ」
静寂に包まれた村。
さぞや谷に反響する鐘の音が聞きやすいだろう。しかし、どうしてそこまで。
それに。
「マダリは知らなかったのか?」
「え?」
「橋を落としたのは儀式だと」
マダリの顔が一転して暗くなる。
訝るタガネの前で、マダリの頭の上に手が置かれた。優しくデュークが撫でている。
「この子は孤児なのです」
「村の子ではない?」
「山賊が置き去りにしました」
デュークの神妙な顔。
タガネは目を伏せる。山賊の子、ともなれば想像ができたのは、この村では肩身の狭い思いをしていること。村の風習と思しき『儀式と鐘の音』を知らないのは、そのためだ。
タガネがマダリを一瞥する。
「では、誰が世話を?」
「私と、娘で」
「そう、ですか」
デュークが掌を打ち合わせる。
その音にマダリが顔を上げた。
「我が家も狭いので」
「草枕でも構いません」
「いえ、旅人用の宿舎があります」
「……ありがたい」
デュークがマダリの肩を押した。
「タガネ殿を案内してくれるか?」
「うんっ」
マダリが早く、と催促する。
前を駆けていく小さな影。
そちらへと踏み出す前に、タガネは振り返った。
「そういえば」
「はい?」
「青髪の女性を見なかっただろうか?」
「青い髪、でしょうか」
「騎士らしからぬ傲慢なやつなんだが」
デュークはしばし黙考し。
目元を険しくさせながら緩やかに首を横に振った。
「いえ、覚えがありませぬ」
「そうか、ありがとう」
タガネは歩み出した。
ぐんぐんと進んでいくマダリを追う。灯りに囲まれた道の中、鐘の音がまた聞こえた。
タガネは耳を澄ましながら進む。
その背中を。
「青い、髪」
デュークが睨んでいた。




