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谷を降りて、河を渡る。
対岸の山に着いたのは、やはり夕刻だった。
案内の足取りが遅々としていたのではない。
むしろ。
マダリは子供にしては早かった。
山岳部での足先の運びを心得ている。
急斜面にも臆さず前に進む。
タガネでさえも追いすがるので手一杯だった。
人かも疑わしくなる。
「山猿じみてるな」
「猿じゃねえやい!」
マダリが振り返る。
タガネの独り言を咎めた。
先導の凄まじさに苦笑する。時折、後ろの人間を忘れているのではというほど加速するときがあった。
最低限は人の通れる道。
ただ。
タガネでさえも息が上がる難所だった。
村の直前に着いた頃の空を見上げる。
茜の隅に群青の夜が兆していた。
「マダリ、訊いても良いか」
「なに?」
「最近、火事はあったかい?」
「え、何処で」
「この近くの橋だ」
「うん」
マダリが前方を指差す。
山の傾斜の上に、平地ができている。
そこに天幕を張った家が建ち並んでいた
タガネはそちらに視線を向けつつ。
「火事の原因は?」
「わかんない」
「だが、ここいらで火事は大事だろう」
ここは草木の豊かな大地。
ひとたび火が立ち上がれば、麓や頂まで伝わる勢いは風も同然である。村も橋の位置からさして離れていない。
つまり。
出火すれば即座に発見できる。
それが知らないとは不思議に思えた。
マダリが肩を竦める。
「きっと橋守様さ」
「橋守が?」
「余所者から橋を守ろうとしたんだ」
「余所者……」
その言葉に。
剣姫の姿を思い浮かべる。
確かに性格に難はあった。
しかし、マリアは大抵の人間――それも部下に対しては剣の腕を鼻にかけて威張り、周囲を侮ることが多々あった。タガネ同様に遺恨があったり、敵対関係である人と以外も衝突したりすることは少なくない。
橋守と一戦を交えることはあり得る。
とはいえ。
そも火事の原因が余所者との諍いとも限らないし、何よりそれがマリアと別人の可能性だってある。
ただ、目撃情報があった。
時期としても不吉。
なるべく余所事であって欲しい。
タガネは長嘆の息を吐いた。
「しかし、俺は良いのか?」
「え?」
「橋守へのお目通しだよ」
「あー、うーん……」
「橋を渡る人間を選ぶって話だが」
タガネは橋の方を見やる。
「橋はあの様だ」
「じゃあ、会う?」
「……まあ、そうさな」
村に入行する人間を選別する。
それは危険性の有無を検査しているのだ。
橋守は、いわば検問と同じ。
橋がない不祥事とはいえ、断りもなく村へ入れば不法侵入だと咎められ、拘束されるとも考えられる。
マリアのことも含めて。
会って話した方が良いことは確かだ。
マダリが笑顔でうなずく。
「なら、おいらから伝えとくよ」
「じゃあ、ここで待とう」
「うん、待ってて」
マダリが先に駆けていく。
タガネは木陰に腰を下ろした。
鐘の音は聞こえない。
谷底の小河の音が聞こえていたが、宵闇の中に沈みつつある。樹間に立ち上がりつつある陰が濃さを増し、夜の到来を感じ取った獣がそこかしこで騒めく。
日中の強い風は鳴りを潜めていた。
タガネは空を振り仰ぐ。
橋守に事情を話せば許可は得られる。
人捜しならば問題ない。
後ろめたいことがなければ……。
「何事もなけりゃ良いが」
「そこの君」
藪を掻き分けて。
長身の僧衣が姿を現した。
片手には、身の丈を超える槍を持っている。
若い男だった。
涼やかな眼差しが、タガネを射竦めた。
隣にマダリが顔を出す。
「君かね、来訪者とは」
「ええ。……あなたが?」
背筋を正して。
「橋守のデュークと申します」
タガネを射竦めながら名告った。




