13
リンフィアの願い。
そう聞いてリクルが驚く。
戸が開いて、薬箱を脇に抱えた少女が戻って来た。駆け足でクレスのそばに寄り、箱の中身を展開する。
収納していた器具と調合されて薬を取り出す。
クレスが上着を脱いで、右腕をさらす。
少女は前腕半ばで途絶えた部分をあらためる。
それを横目に見て。
タガネは膝上に乗せた魔剣を撫でた。
「あの娘の願い?」
「ああ」
訝るシュバルツの声に応える。
リクルは唖然としていた。
自分たちは国家転覆を目論み、そのために多くを利して捨て去った。非道な手段をいくつも行ったりもしている。
その内の一つに。
リンフィアの懐柔と利用がある。
本性が露見した以上、憎まれるしかない。
復讐をされても当然の身である。
それが。
「僕らの、生きる道を?」
「望んだんだ」
リクルが震える声を漏らす。
タガネが小さく笑った。
「恨み言もあったがな」
「いつ、そんなことを?」
「違法出国前さ」
皮肉をこめた言い方だった。
屋敷での戦闘の直後。
拘束した二人はクレスの影の中に収容した。クレスの任意下でしか、収容された人間や物は脱出できない。
次に。
放心状態だったリンフィアへの説明。
精神的な磨耗は否めない。
話を聞いた直後も断固として否定したが、最後に見たリクルの反応で、最後には万事を了解して悲しんでいた。
翌朝。
獣国を脱するとき。
入国と同じ方法で脱出を試みようとする直前。
――お願いがあります。
リンフィアから依頼された。
二人の身柄を帝国ではなく、しかし革命活動には及ばない監視下の環境への拘束。以降はその命を害さないこと。
この報酬は。
事件のタガネや王国の関与を黙秘する。
たしかに。
リンフィアが報告すればタガネも無事では済まない。事情を知らないとはいえ、革命家リクルを護衛したのだ。
クレスに至っては剣姫の命令。
どちらも密告されれば身辺に被害が及ぶ。
否やは無く。
タガネはこれを承った。
「恨み言、とは?」
リクルが当惑もありつつ問う。
タガネは首を横に振った。
「有りすぎて、思い出すのも億劫だ」
「……そう、ですか」
「ただ、要約すると」
灰色の瞳がリクルを映す。
「また会いに来い、ってな」
「え……」
「それも、革命家としてじゃなく」
「……はは」
「リクルという人間として」
「僕は、一族の悲願たる復権のために幼少期から革命家として育成されました。今さら、ただ一個人として会うなんて……」
「…………」
「帝国の内紛も沢山経験した。今さら退路なんて無いんです」
「本当にそうか?」
「え?」
リクルが悲壮な顔で見つめた。
「そういうこと言う人間こそ盲目になってる可能性が高い」
「い、いいや、そんなことは」
「立ち止まってる今こそ過去を省みろ」
茫然自失とする。
予想外の言葉に閉口したリクルに。
タガネは朗らかに笑ってみせた。
「良い女じゃないか」
「え?」
「欺されただけのお姫さんかと思いきや、芯を強く据えてまた、なんて」
「そ、そんな」
しばし唖然として。
リクルは顔を伏せて体を震わせた。
小さな嗚咽が聞こえる。
俯いているので見えないが、そこには道中などのよえに光魔法による詐りは無い。
革命家リクルではなく。
リクルという人間が感動している。
胸を衝くのは悲嘆、感謝、他にも多くの情念があるに違いない。
しかし。
その胸裏を最も占めているのは。
「本当に」
「うん?」
「また会いに行っても良いんでしょうか」
「改めて、詫びに行けばいい」
リクルが面を上げる。
眦にたまった涙が頬を伝っていく。
タガネには判っていた。
道中、辟易するほど見せられたリンフィアとの睦まじい様子など。屋敷でも、リンフィアを証人として立てるためとはいえ、タガネ達の襲来に際して伴う必要は皆無だった。
あとでタガネに事情説明を受けても。
絶対的信頼があるリクルの犯罪を断固として否定したはずである。
自分が亜人種を利用した痕跡は残らない。
それでも。
わざわざリンフィアを連れて行こうとした。
冷静な判断なら、足枷になる。
咄嗟に取ったその選択は、奥底に離れたくない意思が垣間見えるものだった。
リンフィアという少女に入れ込んだこと。
自分すら欺せる人間が。
唯一嘘をつけなかった感情である。
「おまえさんとリンフィア」
「え?」
「今回、その間に絶対的な境ができた」
「…………」
「それでも、踏み越えるのは難しい」
「はい」
「ただ、あいつも逃げやしない。チャンスをくれたんだからな」
リクルが強くうなずく。
その瞳に迷いは無い。
決然とした顔は、何も本物である。
タガネはそう感じて、その場から立ち上がる。
薬師の少女が振り返った。
「どうしたの?」
「もう行く」
「えっ、ゆっくりすればいいのに」
「そうもいかんのでね」
「でも」
「ようやっと仕事も片が付いたし、それに」
タガネがクレスを見遣った。
右腕の処置が済んで、一息ついている。
「いやな噂を耳にした」
「剣鬼」
「国境の戦場が両軍壊滅したと」
タガネの脳裏に。
険相で詰問してくる剣士の少女の姿が浮かぶ。
クレスという援軍を送ってくれた本人。
望外の助勢であり、頼んでいないにせよ礼を言わなければならない。
その相手が、国境の戦場にいる。
そして。
そこで何かが起きていた。
獣国の事件と前後して伝播した話である。
国境の戦場で、両軍ともに壊滅的な打撃を受けたが、ほとんどが行方不明になる謎の現象が発生していた。
戦場には。
両国の主戦力が参戦していた。
そこに剣姫マリアもいる。
「リンフィアほど良い女じゃない」
「何だとっ」
「口を開けば剣ばかり」
「我が主を侮辱するな!」
「道理を鋼の刃に委ねる阿呆だぞ」
「……いい加減に――」
その誹謗中傷に。
湧き上がる憤懣で立ち上がろうとしたクレス。
その肩をタガネが掴んで押さえた。
「それでも、一応礼を言わにゃならん」
「……」
「返礼として助太刀しに行くさ」
タガネは荷物を担いで立つ。
「クレスは三人と一緒に王宮に戻れ」
「……」
「あいつは俺が連れて戻る」
タガネは戸口へと歩いて向かった。
「タガネさん」
それを呼び止める声がする。
後ろを顧みれば、リクルが立っていた。
「その人は大切な人ですか?」
「は?」
「いえ、助けるのにまるで躊躇いが無いから」
「……なるほど」
「境は、無いのかと」
タガネが嘆息して顔をげんなりさせる。
顔を会わせれば罵詈雑言。
いつも息をつかせない剣幕で向かってくる。
そんな人間が大切?
失笑すら浮かびかけて。
「きっと大切ですよ」
リクルが断言した。
タガネはやや驚いて一瞬言葉に詰まる。
「何を根拠に」
「僕には判りません」
「……?」
「誰も嘘がつけないものですから」
理解ができず。
タガネは小さく鼻で嗤いながら戸口に立つ。
「世話になった」
「うん、気をつけて」
薬師の少女に暇乞いを告げて西の方へと歩み始めた。
リンフィアとリクルだけではない。
多くの人間の間に境界線はある。
それは、互いの理解によって越えられるもの。
しかし。
剣鬼と剣姫。
その境界線は消しようがない。
いつか前者を負かすまで。剣姫は止まらないし、歩み寄らない。
もし宝なら。
そう考えてタガネは頭を振る。
思考するまでもない。
今回の事件でも改めて学んだが、人を欺すことに躊躇がない人間がいる。護衛の人間をたやすく切って捨てる。
誰しもが、レインのように無邪気ではない。
タガネと他人の間の境界線。
それは絶対に消えない。
「さて、急ぐか」
タガネはやや急ぎ足に。
西の戦場を目指して出発した。
ここまでお付き合い頂き、誠に有り難うございます。
次回から四話です。
ヒロインのピンチです。彼はいつ王国を出られるのか……。




