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獣国の周辺で戒厳体制が布かれた。
人の往来する街道。
商人の馬車が鳴らす戞々たる轣轆の響きも剣呑さを孕んでいる。
普段は賑々しく明るい市井の人々の顔にも暗澹の陰りが濃い。
以前の活気と比較すると、喪に付すような静けさだった。
そんな空気とは無縁。
緑の鮮やかな王国南部の森林。
その奥地にある里は祭で騒がしかった。
二月も前に起きた盗賊団による占領。
それが終わり、里の住人による懸命な働きで以前に見劣りしない生活を取り戻す。
人々の営みがもたらす彩り。
薬師の少女は、里の外れから見守っていた。
ときおり訪れる里の人間を癒している。
今はそれだけを仕事としていた。
弟に扮した盗賊。
その恐怖も今は無い。
「すっかり、元通り」
「おまえさんもな」
庭に座して眺めていたとき。
背後からぶっきらぼうな声。
少女は振り返って驚いた。
木陰にひっそりと銀髪の少年が佇んでいる。
「え、うそ」
「よう、少し用があってな」
慮外の来訪。
不審といえば不審だが。
「また会えたね、タガネ」
「おう」
樹影からタガネが進み出る。
それに続いて。
三つの人影が少女の面前に姿を現す。
来訪者が四人。
いささか面食らって。
「お友達?」
少女は困惑気味に訊ねてみる。
「いいや」
タガネは首を横に振った。
「毎度の厄介事だね」
肩を竦めてみせる。
その様子に、少女は相好を崩した。
二月前よりも、少しだけ雰囲気が違う。
愛想が良くなったかもしれない。
「じゃあ、家に上がって」
「助かる」
少女は来訪者たちを家の中へと誘った。
タガネの隣。
仏頂面のクレスが彼女を睨む。
「あの娘、信用に価するのか」
「一服盛るようなヤツじゃない」
妙にきっぱりと断言する。
声色には、まるで猜疑心の欠片すらない。
タガネにしては珍しかった。
「どうして、わかる?」
「あんな状況でも、俺を毒殺しなかった」
「は?」
「まあ、性根から人畜無害な娘だよ」
タガネが率先して戸を潜る。
クレスも納得はいかなかったが。
「ほら、歩け」
縄で繋いだ二人を催促して家に入った。
少女に勧められて。
四人は囲炉裏のそばに胡座で座る。
馨しい薬草の香りで満ちていた。
タガネは室内に視線を巡らせる。
調合器具らしき物がいくつもあった。
「タガネ、仕事の調子はどう?」
「案じられるほどじゃない」
「じゃあ、定住先は?」
「……今のところは」
少女が苦笑する。
「無いんだ?」
「残念ながら」
少女が一人ずつに湯呑みを差し出す。
タガネは篤く礼を言って受けとる。
薬湯を啜って。
「そういえば」
「何?」
「王宮勤めになったって?」
タガネが何気なく問う。
すると。
「うん、六日後には出る」
「そうかい」
「タガネの親書のおかげでね」
そこでクレスが片方の眦をつりあげる。
「貴様が王宮に親書?何の話だ?」
タガネは訥々と説明する。
この村の荒廃が少々気がかりだった。
なので。
薬師の娘を王宮調合師として推薦した。
ヴリトラ討伐で負傷した兵士。
その治療が満足に行われていない。
端的に言えば、人手が足りなかった。
そこで、タガネは彼女を推挙したのである。
元より。
この付近が王国ご用達の薬草が採れる。
それらの扱いに精通している娘なら稼ぎ頭になって里を援助できると考えた。
後は……拾った命の責任に巻き込んだ贖罪。
そんな思惑と自責の念もあり。
タガネは王宮へ親書を提出したが、慣れない作業である。
言わずもがな、国王には笑われた。
「ありがとね、タガネ」
「そりゃ何よりだが」
再び茶をすすった。
「おまえさん、知ってるか?」
タガネが少女に訊ねる。
「何を?」
「獣国で起きた事件の噂」
「ああ、うん、人伝にね」
獣国の事件。
こんな森の奥深い場所でも耳にする。
それほどに注目を集める出来事だった。
獣国の防衛大臣フォクス。
国境の安全警備を担っていた重鎮である。
そのフォクスが暗殺された事件が発生した。
犯人や、犯行の手口は不明。
ただ、現場付近では戦闘と思しき物音も聞かれており、獣兵とは異なる何者かの痕跡はあったが、誰かを特定するには足らない。
無事だったリンフィアは保護。
五年前から行方不明だったこともなり、一時は容疑者だったが現場の状態からも、彼女本人には不可能であるとされ、彼女を人質として犯人がフォクスを脅迫の末に殺害したと推論された。
事情聴取も受けたが本人も容疑を否認。
消えた犯人について、今も捜索が続く。
薬師の少女が悲しげに天井を仰ぐ。
「可哀想ね、その子」
「自業自得だ」
「こら」
咎められて。
タガネは眉を顰める。
二月前よりは元気で明るい。もう怯懦の片鱗もないが、だからこそ応対に困る。なんだか顔馴染みの中でも親しげな接し方で慣れない。
甲斐甲斐しい姉か妹のようだ。
クレスは可笑しそうに見ていた。
「何だ」
「いや別に」
わざとらしい咳払い。
少女が小首をかしげる。
「そういえば、ここへは何用で?」
「ああ」
タガネはクレスを指差す。
「怪我したんで、近場のここに」
「でも」
少女の視線が、彼の右半身に注がれる。
垂れた袖から右手が出ていない。
「ここの薬なら治りも早いだろう」
「わかった」
「それと」
タガネが軽く目で示す。
縄で繋がれた二名。
家屋に入るなり、ずっと沈黙を保つ。
「こいつらの面倒を見てほしい」
「ええっ、どうして!?」
少女が驚倒する勢いで叫ぶ。
「深い事情があってな」
「うーん」
「まあ、出来たらで良いが」
「……人手が要るしね」
不承不承と頷く。
タガネは安堵して一礼した。
「よしなに頼むよ」
「取り敢えず、薬取ってくる」
少女が家の外へと出た。
裏側にある薬庫へと向かう。
タガネはそれを見送って、空の湯呑みを前の床に置いた。
「なぜ」
「うん?」
「なぜ殺さない」
沈黙の重い二人。
その一、シュバルツが口を開いた。
憔悴で声は嗄れている。
隣で黙っているリクルも、ちらとタガネを見遣る。
二つの眼差しを受け止めて。
「リンフィアの頼みだからな」
タガネは嘆息混じりに答えた。




