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屋敷の中を音もなく駆ける。
クレスは気配を殺して進んだ。
無人の通路。
不気味な静寂に満ちている。
防衛大臣フォクスが訪れたにしては、警備が手薄にすぎる。拳聖がいるからとはいえ、用心が足りない。
何か裏がある。
疑いと警戒に目を光らせた。
クレスは耳を澄ませる。
足音はしない、もうリクルは屋外か。
思考を巡らせて。
一つだけ扉が開いている部屋を発見する。
蝋燭が灯されているのか。
弱々しい光が室内から漏れていた。
クレスは扉のそばまで滑り込む。
内側から人の気配はしない。
扉の影から、ゆっくりと中をのぞいた。
予想通り燭台に灯る火で照らされた室内。
光に明かされた様相は。
「……リクルめ……!」
我知らず怒りで眥をつり上げた。
覗いた部屋は。
亜人種の死体で溢れている。
戦闘必至として目していた獣兵三名と思しき人物と、床に倒れる防衛大臣フォクス。
夥しい出血が絨毯に染み込んでいる。
無惨な光景が広がっていた。
どれも剣での殺傷である。
体の前面から袈裟斬りに、首を断ち、心臓を一突きされていた。
自分達が侵入する以前になされたことだ。
もう疑いの余地は無い。
これは紛れもなくリクルの仕業。
クレスは中に踏み入った。
「嵌められたか」
窮余の一策か。
獣国の外で拳聖をけしかけた。
それで真実に勘づく寸前だったタガネを始末する心算だったが、仕向けた刺客が返り討ちとあって直ちに予定を変更したのだろう。
拳聖の報告か、あるいは別の線からの情報。
どちらにせよ。
タガネが協力者を得て、襲撃の沙汰に及んだのを知り逃走を図った。
そして、この殺害現場。
これをタガネ達の仕業にするつもりだ。
襲撃してきた剣鬼に、防衛大臣が殺されたことにすれば、革命派の名に傷を付けず、命辛々で逃げ延びた自身らへの同情と剣鬼への憎悪を誘う。
襲撃までの、僅かな時間。
それまでにこの罠を設えた機知。
いよいよ生半可な敵でないと判った。
クレスは部屋を出る。
「もはや後が無い」
窮地に立たされた。
ここでリクルを逃せば退路は無い。
剣鬼は獣国に指名手配を受ける。
それをマリアは擁護しようとし、王国もその挙に出てしまう。そうなれば、今作られた和平そのものが瓦解する。
マリアの存在。
それをリクルは知らないにしても。
仕掛けられた罠は、彼自身の想定する以上の効果になっていた。
敬愛する主人のためにも。
是が非でもリクルを捕らえる。
「逃がすか」
クレスはより決意を強固にする。
そのとき。
上階から通路を駆ける足音がした。
クレスは耳を澄ませて足音の位置をあらためる。
下りてくる、一階へ。
しかし、正面玄関ではない。
この屋敷には、人目を忍んだ貴賓を招く裏口が隠されている。フォクスも今日はこちらを利用して来たはず、すなわちリクルが知らないわけが無い。
そこを使う気だ。
階上を駆ける音は、その確信を裏付けるように裏口の方向へ。
クレスも走り出した。
先回りしてクレスの道を塞ぐ。
そうすれば間に合う。
屋敷の内部構造は把握していた。
脳内で思い浮かべた見取り図に従い、最短となる通路を一気に突き進む。
足音が近付いている。
クレスは裏口となる小さな扉の前に立った。
懐中から短剣を取り出す。
足音は、すぐそこだ。
「リンフィア、すぐそこだ!」
「う、うん……!?」
階段を駆け下りて。
裏口のある通路へ躍り出る人影が二つ。
リクルと、リンフィアだった。
「覚悟しろ、リクル」
目標を捕捉した。
クレスは身を低くして二人に肉薄した。
リンフィアを庇ってリクルが前に出る。
「下がって――僕がやる」
クレスが冷笑する。
王国随一の暗殺者たる自分に真っ向から戦おうとは愚策である。
瞬きの間に無力化してみせよう。
そう意気込んで。
「残念だったね」
「何……!?」
クレスの目の前が光に包まれる。
リクルの手に、厖大な魔素が溢れた。光子として体から発散された魔素が掌の中で凝縮されて剣の形に整った。
神々しい、文字通りに光る剣。
接近したクレス。
その胴へ閃光のごとし一刀が走る。
防がんとした短剣ごと右腕を断ち斬られた。
ここで。
彼は大きな失念を一つしていた。
部屋にいた獣兵とフォクス。
それらの死体は、剣による殺傷。だから拳聖による物では無いのは確か。
更に、予め調査した結果では、護衛は拳聖のみ。
ならば、あれは誰がやったのか。
体の前面にも負傷があるとするなら、それは騙し討ちではない。防衛大臣を守護する獣兵を相手に堂々と立ち回ったのである。
そう。
「残念だったね、殺し屋さん」
見落としていた。
リクル自身の戦闘力――正面から獣兵すら屠った実力を。
右腕を切断された事実に意識が沸騰する。
脳髄を焼く激痛に膝が折れた。
意図せず。
リクルの前に跪く形となって。
「君らは僕を軽視し過ぎだ」
「ぐ……」
クレスが見上げた先で不敵に笑う顔。
狂気を孕むリクルの瞳。
その眼差しでクレスを見下ろしていた。




