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数軒はあった彼我の距離。
それが咫尺の間のごとく一瞬で潰された。
砲弾さながらのバーズの驀進に、タガネは横へと体を煽って避ける。
顔があった位置の虚空を、轟然と拳が突き抜けた。空気が焦げたような臭いがする。
河原の亜人など比べるのも不遜。
この膂力、直撃すれば肉片すら残らない。
タガネも踏み込んだ。
拳を振り抜いた直後のバーズ。その腕がまだ伸び切らないところで、胴を剣で横薙ぎに一閃した。
機、力、技……どれもが完璧だった。
ところが。
「なッ……!?」
タガネが振るった魔剣。
その刃が、バーズの片手の指に挟み取られている。胸の皮一枚を切ったところで停止させられていた。
あり得ない。
攻撃動作の途中で、反射的に防御したのか!
タガネの顔が引き攣る。
これが拳聖、体捌きにおいては大陸随一と謳われる剛拳の使い手。相手にしていると、一流の戦士ではなく一体の怪物とすら錯覚させられる。
タガネが戦慄する最中。
バーズの片足が後ろに引き絞られる。
「吹き飛べッ!!」
「く……!」
タガネが咄嗟に小さく跳んだ。
直撃は避けられない!
その一瞬の後、烈帛の気合いとともに足が振り上げられた。
タガネは振り上げられるバーズの脛に足裏を合わせて踏み締める。そのまま足に押し上げられるように、上空へと跳んだ。
足の発条で衝撃を和らげた。
刹那に下した判断。
歴戦だからこそ可能な早業だった。
さすが――とバーズがほくそ高揚で笑む。
そして。
「ぐおッ……!?」
首を強く引き締められる苦痛にあえぐ。
バーズは驚いて首もとを調べた。
すると、そこに輪っか状になったロープがかけられている。山の危険な道を移動するために使う旅の必需品だった。
いつの間に、こんな物を。
ロープの先を目で手繰ると、タガネへと続いていた。
さっきは蹴りの衝撃を殺した。
とはいえ、バーズの力なら着地不可能な上空まで叩き上げられる。
それを予測し、踏ん張るバーズを支えにロープを巻き付けて上昇を防いだらしい。
その狙い通り。
「ぐぅ……!」
「ッ……!」
張力で、二人の距離が一定に保たれる。
ロープから軋音。
タガネは腕にかかる負荷で苦しむ。
バーズは首を締め上げられた。
直線になったロープ。
やがて力から解放されて弛み、タガネは平屋の屋根上に落下した。
背中から落ちて、体を強打する。
二人は同時に咳き込んだ。
「てめっ……ロープ反則だろ」
「俺だって、滅多に使わん」
「首いてぇ」
「肩が外れかけた」
タガネはロープを手放した。
バーズは首を絞める輪を片手で引き裂く。
そして、互いに構え直した。
「化け物が」
「てめぇもだろ。だが今回は俺の勝ちだ」
「は?」
「だって、ほら」
バーズが片手の魔剣を見せつける。
さっき吹き飛ばされる前に、タガネは手放してしまい、そこに取り残されたのだ。
いま、タガネに剣は無い。
剣鬼にあるはずの剣が敵の手中にある。
「剣の無い鬼なんざ怖くねぇ」
挑発的な一言に。
タガネが目を眇めた。
「なあ、バーズ」
「あん?」
「それ触ってて、何とも無いかい?」
タガネの質問に。
バーズは首を傾げた。
「は?何言って――」
手元の剣を見下ろした。
そのとき、バーズの全身から力が抜けていく。
握った剣の柄に向かって、体から魔素が流れていく感覚がした。膝を屈してしまいそうなほどの倦怠感に満身が震える。
バーズは剣を屋根に落とした。
それを見て。
タガネは、何も無い横へと手を伸ばす。
「戻れ、レイン」
名を囁いた。
すると、魔剣が独りでに動く。
宙を飛んで、タガネの手元に戻った。
掴み取って、軽く振るう。
バーズは唖然としてそれを見詰める。
「なんだそれ!?」
「別に」
「ロープより反則だろ!」
「文句ばかりだな」
バーズが立ち上がって。
胸前で両の拳を打ち合わせる。
「くそ、仕切り直しだ!」
「まだやるのか」
「当たり前だ!!」
バーズが跳躍した。
出発点の平屋がそれだけで爆砕される。
飛んでくる怪物の影。
タガネは剣を構えて迎え撃った。
至近距離で剣と拳が交わる。
残像を残すばかりのバーズの猛撃と、電光石火で閃くタガネの剣撃。両者が仮借ない凶器の応酬を繰り出した。
それが延々と続く。
そして互いが百手目の攻めに入ったとき。
タガネの頬を拳がかすめ。
バーズの胴を逆袈裟に剣が走った。
「ぶッ……!」
「いで!?」
タガネはその威力に後ろへ転がる。
バーズは傷を押さえて後退した。
「また腕上げたな剣鬼」
「嬉しくないね」
「褒めたんだぜ?」
タガネは顔を険しくさせて睨む。
バーズの体は傷だらけ。
しかし、どれも浅かった。巧みに体を運んで深く斬られることを避けている。
タガネの傷は頬を擦った一撃のみ。
ただ、それだけでも意識を失いかけた。
「さて、第二回戦を――」
「ん、どうした?」
バーズの表情が固まった。
その異変にタガネが眉をひそめる。
しばし黙り込んだバーズは、とつぜん屋根木に突っ伏した。いびきを掻いて、眠っている。
愕然とするタガネ。
その隣に、屋根の上に墨を垂らしたような影が現れた。そこから、ゆっくりと人間が這い出てくる。
「久し振りだな害虫」
「……たしかマリアの飼い犬か」
タガネは胸を撫で下ろした。
新たな刺客かと思われたが、そうではない。
出てきたのは、剣姫の従者クレスだった。
久しく顔を見なかった相手である。
「無事か、剣鬼」
「まあね」
「麻酔で拳聖を眠らせた。今のうちに退くぞ」
「……何でここにいる?」
そう問いかけると。
クレスが歯ぎしりしながら振り向く。
「お嬢様の寛大な心に感謝しろ」
「寛大、ねえ」
「貴様、文句があるのか」
「あんなみみっちぃ女に広い心があるとは」
悪態をつくタガネ。
その襟首をクレスが掴んだ。
そこまま屋根の下へと引きずり込もうとする。
「お嬢様の命令だ」
「はあ、さいですか」
タガネは少し感心してうなずく。
よもやマリアに従者を遠方によこすほどの気遣いができたとは。
慮外の展開に驚く。
「場所を移動する。そこで事情を話せ」
「必要ないだろ」
「は・な・せ」
「……以前にも増して、主人に似てきたな」
クレスに強引に導かれるまま。
眠ったバーズを置き去りにタガネはその場から離脱した。




