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牛頭が大剣を振り上げる。
まだお互いが小さく見える遠間だった。
警戒して二人が立ち止まる。
それでも大剣を握る腕の挙動は停止しない。
投擲を予測して、二人は左右に散開する。
すると。
牛頭の大剣が紫光を発散した。
ぎょっとして二人は身構える。
もしや――魔法剣!
だが、魔獣にその心得があるはずがない。
人間から強奪した武具を帯びる種族はしばしば耳にするが、魔法剣を行使する手合は二人にも未知の例だった。
魔法なら間合いなど関係ない。
タガネはジルへと駆け寄る。
牛頭が大剣を振り下ろし――王城の階段が爆散した。段差が捲れ上がるように拡大する紫光の波に粉砕され、タガネたちの足下にまで及ぶ。
波頭がジルへと到達する。
その寸前でタガネが割って入った。
「疾ッ!」
狂暴な魔素の荒波を斬り払う。
二人を避けるように光は過ぎ去った。
ところが。
「やべ」
「くッ……!」
足下が瓦解した。
光は底から階段を爆破し、二人の立ち位置だけが切り立った崖のごとく残存する。か細くなるほど削られ、爆風の余波でそれも脆く崩れた。
瓦礫とともに転落する。
中空で身を翻すと、眼下に牛頭が待ち構える。
次は光る戦斧を振り上げた。
タガネは魔剣を逆手持ちにする。
『もぉおおおおおお゛!!』
「――ッああ!」
垂直に振り下ろされた戦斧。
タガネは横合いから斧腹を打ち、横へと受け流した。牛頭の膂力に圧し負けそうになりながらも、攻撃を回避した。
斧とタガネが弾かれ合うように離れた。
ジルを巻き込んで積み上がった瓦礫の上を転がる。
跳ね起きて。
タガネは即座に構えた。
「無事か?」
「いや、助かったぜ」
「なら良い」
「しかし、魔法剣たぁな…………」
二人で牛頭を睨んだ。
弾かれた斧が瓦礫に突き刺さっている。
抜くのに苦慮しており、長柄を掴んで何度も引き抜こうとしていた。
魔法剣を使う魔獣。
初めて対峙する脅威だった。
従来の魔獣のごとく生態や本能ではなく、技巧をもって戦う。
その在り方がすでに異質。
タガネは乾いた喉を唾をうるおす。
「尋常な剣で届くか」
「遠間じゃ魔法剣、近づいても危険」
「面倒なこって」
牛頭が戦斧を引き抜く。
二人へと左右に肩を揺らしながら歩む。
石畳を叩く重低音。
尾の蛇がしぃーッ、と鋭い声を発した。
「俺が前を引き受ける」
「オレは後ろからか」
「魔法剣はレインでしか対抗できん」
「そうだ、レインちゃんの力なら」
「無理だ」
即座にタガネは否定する。
「討伐軍の前じゃ使えん」
「……ヴリトラだもんな」
「復活させたとか難癖付けられる」
体裁を気にする場合ではない。
それでも。
レインが大蛇の姿に変形して戦えば、それこそヴリトラ再臨だと王宮に伝わり、より剣鬼弾圧の活発化を促す。
そうなれば安息はない。
むしろ、タガネがケティルノースと共に葬られるかもしれないのだ。
つまり、禁じ手てある。
「ヤツの後ろに回りな」
「了解だぜ!」
ジルが駆け出した。
タガネはその場に留まって構える。
牛頭は瓦礫を踏み砕きながら進む。
その瞳はタガネを一直線に見据えていた。
水平にした大剣を腰の後ろに引き絞る。
全力の一閃を予測した。
『もお゛!』
牛頭の全身が駆動する。
光を放射する大剣がふるわれる。
タガネの前景をすべて薙ぎ払う勢いだった。
瓦礫を巻き上げて光の渦が迫る。
魔剣で威力を削ぎ、剣圧で払う。
そして。
「ぐあッ!」
遅れて来る爆風に吹き飛ばされた。
地面の上に仰臥して。
「げッ!?」
その直上で。
跳んだ牛頭が斧を振り上げていた。
空を背景にした異形。
殺意を漲らせた影が接近している。
慌てて横へと跳ね起きながら側転。
一瞬前の過去位置がはぜる。
タガネは体勢を整えて前に疾駆した。
返す刃で振るわれた大剣を掻い潜り、内懐へと飛び込む。中腰になって踏み込む牛頭の太腿に飛び乗り、さらにそこから跳躍した。
牛頭の面前に躍り出る。
横へと魔剣を一閃させた。
――殺った!
『もぉおおおおおお゛!!』
勝利の確信と渾身の剣撃。
それらを無に帰すように牛頭が口を開けた。
頬まで裂けて、魔剣の切っ先が空振る。
驚く間もなく。
次いで口内から猛火が溢れた。
牛頭が一息吹くと、球状となって炎熱が発射される。真正面にいたタガネは魔剣で一刀両断した。
二つに分断された火球が後ろで爆発する。
失敗したとみるや、牛頭が頭を横に振った。
湾曲した角が、タガネを横合いから叩く。
体との間に魔剣を入れて防御した。
だが、力で敵うはずもなく弾き飛ばされる。
タガネは地面を転がった。
そこへ牛頭が容赦なく駆け込む。
大剣を地面に突き立てながら斬り上げた。
転がるタガネ。
その手元が霞む。
『もお゛ッ!?』
「速いな……!」
血飛沫が散る。
空へと、大剣を握る牛頭の腕が舞い上がった。
緩やかに落下して瓦礫の山の上に突き立つ。
牛頭はそれを顧みた。
その間に、タガネは息を整える。
「ジル、援護はどうした?」
「悪ィ、絡まれた!」
「は?」
タガネは前庭に視線を巡らす。
その一画にジルはいた。
そこには、牛頭とは別に丸太を抱えた巨人のような魔獣が相対している。首から上は無く、腹の表面に牙を持つ人の顔があった。
また面妖な姿の魔獣。
斧で受け止めた丸太を押し返そうとしている。
ジルが苦しげに振り向く。
「手が放せねぇ!」
「耐えろ、もう少しの辛抱だ」
タガネは牛頭を見上げる。
ナハトたちの報告が届けば、すぐに増援が――……。
思考が凍りつく。
援軍は、来ないかもしれない。
あの二人がもし、カルディナたちではなく、参謀に報告していたなら。
剣鬼の窮地を看過する。
あわよくば、これを機に戦死することも望んでいるだろう。
タガネは舌打ちした。
「ベル爺、これは無理だぞ」
魔剣を握り直す。
相手の片腕は斬り落とした。
あと腕は三本あるが、動いて撹乱しながら攻めれば勝てる。
タガネは改めて覚悟を固める。
『もぉおおおおおお゛!!』
雄叫びを上げる牛頭の腕が再生した。
タガネは唖然とする。
腕の損壊が一瞬で回復した。
これでは相手の戦力を削いで止めを刺す戦法では通用しない。
他に狙うとすれば――。
タガネは頭上の牛面を見た。
首を断つのは有効だ。
先刻の攻撃――裂けた頬は治癒していなかった。拡張された口端は唾液混じりの流血に染まっている。
弱点は頭部!
だが、それが遠い。
「剣鬼、やべぇぞ!!」
「なに?」
巨人を斬り倒したジルが叫ぶ。
タガネはその声に振り返って。
次々と前庭に踏み入る魔獣たちを見咎めて絶句した。物事は猖獗する、味方ではなく敵の増援の可能性を失念していた。
タガネの顔が引きつる。
「さて、どうしたもんかね」
『ブフルルルルルル!!』
牛頭が荒々しい呼気を出す。
タガネは魔剣を手に力の無い笑みを浮かべた。




