二話「まだ」
舞踏会を開くような広い一室。
その中心に配置された長大な食卓には、豪勢な料理が並んでいる。卓上を彩るにしては華美な品数と量だった。
そして。
卓を囲うのは、わずか二名。
食卓を見守るのは複数の侍女達。
彼女らの視線に堪えて。
タガネは卓上の料理を眺める。
盛り付けや芳しい香りは、傭兵では滅多にありつけない値段も付く料理だった。食に興味が薄いタガネでも思わず息を呑む。
だが。
憮然としてタガネは隣を盗み見る。
国王が嬉々として食していた。
「おい、王様よ」
「料理が冷めるぞ」
「いや、いや」
タガネは侍女に視線を向ける。
鉄仮面の侍女長は、無言の圧力で食事を促していた。戦場で命を脅かす敵とは異なる迫力に冷や汗がにじみ、反射的にフォークとナイフを手にする。
震えながら。
そっと料理に手をつけた。
「どうだ、美味いか」
「まだ一口目だ」
「美味いか」
「急かすな」
国王の圧に呆れる。
タガネは一口目を頬張った。
やはり。
城下の酒場で食べる飯や携帯食の類とは別格である。
最近は『剣鬼』として名が知れて、多くの国で手厚い待遇を受けることが多くなった。そこで要人と面会をする際に、食の馳走でもてなされる機会があるが、それらを口にすると味覚的な異常を来し、しばらく携帯食などが飲み込めなくなる。
傭兵としては避けたい症状。
そんな憂いも知らず国王は嬉しそうだった。
二口目。
少ない咀嚼で速やかに嚥下する。
「それで、今日は何用だい」
「何用って?」
「……何か依頼があって呼んだんだろ」
「午前中のだけだぞ」
タガネは絶句した。
その様子に国王が声を潜めて笑う。
本来なら静かに食事をするのが礼儀であるにも拘らず、それを重んじるべき国王が体裁なども忘れて会話に興じていた。
侍女長の小さなため息が聞こえる。
「どうだった?」
「……あの公爵令嬢かい」
「会って二年目だろう。名前を憶えなさい」
「……マリー?」
「マリア、だ」
タガネは何口目かをぱくついた。
マリア。
紹介を受けて二年が経つ。
特段深い関わりもなく、初対面から続いて顔を合わせれば決闘を申し込まれ、国王が立会人となって試合する。これまで七戦を経てもマリアに敗けたことがない。
タガネは小さく笑った。
「あれは駄目だね」
「ほう?」
「激情に駆られて本来の体捌きすら忘れてる」
「なるほど」
「ありゃ近い内に死ぬよ」
冷静な分析に。
国王もうむ、と唸って手を止める。
「タガネ」
「うん?」
「これまで敗けたことは?」
「は?……敗け戦なら幾らでもあるぞ」
「一対一、個体戦力の話だ」
「…………」
タガネも手を止める。
自分よりも格上の強者について。
虚空を睨んで、記憶の中から面影を探った。
勝機が無いと悟った相手。
「二人……いる、にはいるな」
「ほう、誰だ」
「つっても、その戦い振りを見て勝てないと判断した、片や決着が付かなかったが敗北を感じなくとも勝機も見えない……というか」
「焦らすな、誰だ」
国王が先を促す。
タガネは眉根を寄せながら応えた。
「西の『覇刃』カルディナ」
「あれは確かに強いな」
タガネはふん、と鼻で笑う。
以前に列強国が衝突する大戦があり、その戦陣に加わったタガネの味方に、西でも驍名を轟かせる傭兵団『征服道』がおり、カルディナはその団長だった。
多くの武功を挙げた彼の戦い振り。
間近で見て、タガネは実力差を察知した。
結果として。
その戦はカルディナの貢献が大きく、彼を筆頭として敵国を降伏させた。
それが一人目。
「たしかに。先代国王の頃から聞く名だ」
「あれは決闘でも勝てない」
「それじゃ、拳聖や槍王なんぞの帝国最強たちはどうだ?」
「あれは――」
思い返して。
「たぶん、勝てる」
「ほう?」
「人のことは言えんが、俺よりも技は単調な上に、血気はやるところは未熟だ。あと攻撃が読みやすい」
「ふふ、数年後はどうだろうなぁ」
「さてね」
「鍛えんと負けるかもしれんぞ」
「そのときは逃げる。……というか、数年後も傭兵をやってる保証は無いし」
「そうか」
「定住先が見つ――」
「王宮専属の剣術指南官かもしれんしな」
「違う!」
国王が大笑する。
タガネは再び食事を進めようとして。
「もう一人は?」
「……『哭く墓』」
国王が話を再開する。
タガネは嘆息混じりに応えた。
すると、国王も閉口した。
食事を静観している侍女たちでさえも微かに騒めく。広間の空気が冷たくなっていくのをタガネは犇々と感じていた。
その名は口にしてはいけない。
そんな風聞がある。
タガネが勝てない相手。
それが『哭く墓』。
大陸中で誰もが魔獣と同じく共通の敵として認識している討伐対象。肝心なのは、魔獣ではなくそれが人であることだった。
気紛れに人を惑わし、弄び、最後に殺す。
彼によって殺された数は数百人に及び、またその犯行の中で関与して心身を喪失した被害者が千を優に超える数もいる。
およそ一人の所業とは思えない数。
ただ、相手を殺すときはいつも笑っているとも呻いているとも判じられない声で泣き、相手を棺に容れて持ち帰る殺し方から、その異名がついた。
わずかな沈黙の間。
ようやく国王が口を開いた。
「会ったのか」
「標的は俺の護衛対象だった」
「戦ったのか!」
「あれは危険だった」
とある国の侯爵令嬢の護衛。
その令嬢の近辺で奇異な事件が起きていた。
仲の良かった侍女が令嬢を恐れて逃げる、兄の侯爵令息が家族の名前を忘れて廃人と化す、手足を失った婚約者が針金で笑顔を作らせた状態で屋敷の前にいる……など。
惨たらしい出来事に。
令嬢すらもが恐怖で動転していた。
そんな折にタガネが護衛を依頼されたのだ。
任務に就いていたタガネは、客車に乗って令嬢の趣味である散歩に同行していた。
その途中。
客車の行く手に一人で男が立っていた。
全身が黒装束で、背中に棺を背負っている。
片手には全体が矩形の肉厚な包丁。
タガネはその男と交戦した。
半時にも亘って戦い続け、勝敗がつかずに途中で男の方から姿を消したのである。
撃退には成功した。
戦況は主導権の握り合いも制しており、敗北はしなかったにせよ、ただ勝利していた自身の未来図すら思い描けない戦いだった。
今も鮮烈に記憶に刻まれている。
「後で『哭く墓』と知ったね」
「強いか」
「……強いね」
タガネが断言する。
まだタガネも剣技が完成形には遠い。
それでも、もはや大陸に名を馳せる猛者に比肩するほどの実力を誇る。そんな彼でさえ倒せないと評する殺人鬼なのだ。
国王は腕を組んで唸る。
「お前でも勝てんか」
「今日はやけに血の気の多い話を好む」
「うむ、そうか?」
「俺の戦話は好かんのでは?」
タガネが横目で言うと。
国王は自身の言動を思い返す素振りをした。
国王が好むのは旅の話。
景色への感想、旅先で出会った人との会話、起こった一幕など。安穏として、平凡で、物語にしては色味も無い話の内容を酒の肴にする。
国王が苦笑した。
「そうかもな」
「ふん」
「んで、土産話はあるか?」
「港町で地元の爺と釣果で競う釣り対決、盗賊と二晩だけ財宝の発掘、あと入った宿が実は淫魔の巣窟だった件」
「……濃いな、お前の旅」
「これが……普通だろ?」
「価値観の相違って範疇ではないな」
食事中だと忘れて。
タガネは国王に旅の話を聞かせた。
異国の情勢云々は、諜報行為に当たらない程度に伏せていくことだけに留意する。
すると。
国王はどんな話でも愉快に笑う。
皿の上を平らげたときには、タガネも大体を話し終えていた。
「こんな感じかね」
「お前、淫魔の少女に迫られて何も思わんかったのか」
「別に」
「本気か?」
「身辺を脅かすってのに、男も女も関係なんざ無いだろう。夜の寝台に忍び込んで来れば、闇討ちと相場は決まってる」
「……さてはお前、恋を知らんな」
「は?」
「そうか、そうか。ふーん」
侍女長が顔をしかめる。
国王のにやついた顔をタガネが一睨みした。
「バカにするな」
「ほう?」
「俺だって人間、色恋なん……て…したこと、ある?」
「駄目だな」
国王が食卓から立ち上がる。
タガネも口元を拭って続いた。
「タガネ、書斎へ来い」
「もう寝る」
「恋について、知りたくないか?」
「いや、別に」
「色恋沙汰にある程度の理解が無いと、いつかそういった事を利用した詐欺なんかに寝首を掻かれるぞ」
「は、はあ」
タガネは半信半疑で応えた。
色恋沙汰で厄介を被るタガネの前途を案じているというより、語りたいのだと国王の目が爛々と光っていた。
国王の気迫に。
タガネは渋々と彼に付き合った。
その夜。
夜が明けるまで恋物語の朗読会に参加した。
成果として、女性が『乱暴でよく怒る上に嫌いと言いながら構ってくる』のは、好意の証であることだけ。
それから数年後。
北の山岳部で紅葉に色づく木々を眺めながら、タガネは草枕で寝ていた。国王と夜を明かした下らない記憶を夢に見て、寝起きの頭を軽く抱える。
隣でマリアが落葉の一枚を矯めつ眇めつしていた。
王国が崩壊して間もなく。
二人で宛てのない旅をしている。
傭兵仕事もこなしつつ、剣鬼と剣姫の歩む珍道中。国王ならば好む話になりそうだったが……。
「あ、起きたわね」
「おやすみ」
「ちょ、寝るんじゃないわよ!」
「叩くな、寝せろ」
「話に付き合いなさい」
「嫌だね」
「ッ……本っ当、アンタのこと嫌い!」
タガネは再び目を閉じる。
すると、肩のあたりをマリアの手がつかむ。
「ほ、本当に寝るの?」
「……………」
「こら!起きなさい!」
「おまえさん、もしかして――」
タガネは目を閉じたまま。
「俺のこと、案外好きなのかい?」
「……………………………………………………………………………は?」
「冗談だよ、おやすみ」
タガネは再び寝入る。
やはり、あのとき得た結論は無意味で時間の浪費にしかなっていないようだった。乱暴でよく怒る上に嫌いと言いながらも構ってくる、そんな女性は目の敵にするほど激しく嫌悪しているに限る。
そう考えて。
微睡む意識で諧謔を含んだ口で言った内容も、後で起きたタガネは憶えていない。
そして。
相手の反応も見ていない。
「そ、そんなわけ……ない……」
「ぐー、ぐー」
「……何か腹立つわね、斬ろうかしら」
ぐっと顔を近づけて。
マリアは至近でタガネの寝顔をにらむ。
やや女に似た顔立ちや、垂れた灰銀の前髪などを視線でなぞって。
「ふふ、間の抜けた面ね」
密かに楽しんでいたことも。
その頬が紅葉のように染まっていたのも。
まだ、知らない。




