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馴染みの剣鬼  作者: スタミナ0
幕間・小話
176/1102

一話「隠り歌」後編



 木の声に招かれて。

 踏み入った館は全く人気が無かった。

 その中を躊躇いなく老婆は進む。

 内部構造を心得ているのか、その足先には迷いはなく、戸口に出てすぐ正面に構える階段を上がっていく。

 その後ろ姿を見失う前に。

 タガネもその後を追って進んだ。

 踏みしめる段差の軋みが激しく、静まり返った屋内ではひどく響く。生業性(なりわいしょう)なのか、足音を潜ませることも多いため、タガネとしては段差が大きく鳴くたびに足が止まる。

 それに。

 得体の知れない者の住まう館。

 タガネとしては寸秒も気が抜けない。

 もし、鬼仔ならば。

 その戦闘力は魔獣とは異なって厄介だ。

 人としての知性がある分、相手を効率的に倒す術理を備えている。

 極めて危険な敵になる。

 屋内といい、戦闘状態になれば勝ち目があるか。

 そんな不安を抱えて階段を上がった。

 老婆の後に続いて二階へ。

 長い廊下を経て突き当りの一室の扉まで直行すると、門前に複数の瓶が積まれていた。老婆もそこへ音を立てないよう持参した瓶を置く。

 老婆が膝を突く。

 両手を門前で組み、頭を下げた。

 タガネは訝って顔を覗こうとし、瞑目した彼女の表情から一種の祈祷(きとう)なのだと察する。

 そのまま。

 老婆は沈黙の祈りを捧げた。

 扉がわずかに震える。

『ありがとう、ミール』

「いえ。夜主様もお健やかに」

 老婆が立ち上がる。

 扉へと一礼してその場を去った。

 タガネはそれを見送って、扉の取手をつかむ。

 そこで動きを止めた。

 扉の奥は――全くその行為を咎めない。

「入って良いのかい?」

『旅の方でしょう』

「調査依頼を請けて森を訪ねてね」

『お入りな』

 門前に虎のごとき傭兵。

 それなのに、余裕のある声だった。

 森の歌声、木から聞こえる声と一致する。

 心の安らぐような音色。

 騒ぐ胸を説き伏せ、タガネは呼吸を整えてから取手をひねる。

 ゆっくり扉を押しやった。

 隙間から光が漏れる。

 タガネは扉を大きく開け放つ。

『いらっしゃい』

「おまえさんが夜主かい」

『ええ』

 そこは書斎だった。

 文机に一つだけ灯籠(とうろう)を置いている。

 部屋の壁に書架が並び、光で照明されて目視可能な限りでは、どれも表面が擦り減って題名すら朧な書物を多く収容していた。

 その書架の前で。

 ちょうど本一冊を手に取る女性。

 腰まで伸びた銀の長髪は、光に照らされて揺れる都度に艶が毛先まで滑る。振り向いたその人相は、細くつり上がった目の眦を柔らかくし、酷薄(こくはく)な弓なりを描く唇の端を少しだけ上げて微笑んでいた。

 紙を繰る指先は瑞々しい。

 金色の瞳がタガネを見詰める。

 息を呑む妖艶さだった。

『ようこそ、緑の沼へ』

「吸血鬼、みたいだな」

『いかにも』

 夜主の手が椅子を示す。

 タガネは首を横に振って拒否した。

 やはり、と夜主は苦笑して文机にもたれる。

 所作の一つひとつに色香が漂う。

『事情は心得ているよ』

「では、単刀直入に訊こうか」

『どうぞ』

「この村で行方不明者が続出してる。それは、おまえさん……または、おまえさんが扇動した村の連中の仕業かい?」

『いいえ』

 タガネは目を眇める。

 まだ部屋に来て一分も経たない。

 そんな短時間でも、この女性のまとう雰囲気に心が傾きそうになる。人心を掌握する魔性じみた力を感じて、なおさら言葉が信じられなかった。

 夜主が笑みを止める。

 一転して憂いのある顔になった。

『けれど、それは私の責任』

「責任?」

『私は貴方に害をなすつもりはない』

「…………」

『ただ、協力して欲しいことがあるの』

「協力?」

『貴方はさぞや腕が立つのでしょう?』

 夜主が目を細める。

 タガネの首筋を冷や汗が撫でる。

「俺にどうしろと?」

『信頼して貰うためにも、まずはすべてを話す』

「ほう?」

『その上で判断して欲しい』

 夜主は本を閉じて文机の上に置いた。


 夜主の名は無い。

 その出生は三千年前に壊滅した小国の娼館で、一人の娼婦が魔獣の子を(みごも)ってできた子供である。

 鬼仔の例に漏れず迫害を受けて育った。

 細々と動物や人の死体から血を吸って生きた。

 そして二十歳の(みぎり)

 吸血鬼が大量発生しており、それを討滅すべく聖女が率いる騎士団によってことごとくが斃された。

 死体を装って難を逃れ。

 やがて同朋の(むくろ)を苗床にして木々が立ち、『緑の沼』と呼ばれる森の原形が完成した。

 長命の鬼仔を(ようぶん)にした植生。

 それは、尋常な物とは異質の力を備えて常に青葉を蓄えて生きる。その梢の葉、草と根、それらを食した動物は鬼仔の力に冒されて絶命し、土に還って森の養分になる。

 そうして。

 森は深く、広くなっていった。

 迷い込んだ人間が誤って山菜を採り、倒れた動物の肉を穫れば、同じ効果が人間に現れた。

 そこから当時は死の森と噂された。

 それでも、足を運ぶ人は絶えない。

 ただ、迷い込む人々の中には孤児(みなしご)や故郷から迫害を受けた者がいた。

 自殺を選んでこの地へ。

 そんな者たちの骸も積み上がる。

 その被害を防ぐべく。

 そういった人々を夜主は森に迷い込んだ人を自らの下へ招き、そこに村を作った。

 鬼仔としての力か。

 同朋の血が通った木々から、夜主は自身の意思を伝達する術を発見し、身寄りの無い者は毒を食らう前に誘導し、狩人などは警告を発して帰り道を示した。

 村に来た人々には、自身の血を分け与えて毒性への耐性を身に着けさせ、少しずつ開墾などを繰り返して尋常な草木を育み、人の住める環境を拡張する。

 夜主と村人の努力もあり。

 森の奥を安息の地へと変えた。

 そうして、この村はおよそ百余年の安寧を築く。


 夜主が微笑んだ。

『それが村の成り立ち』

「……行方不明者は?」

『私の声を聞いて混乱した者もいた。却って好奇心に進んで村を見つけるや略奪を試みた者や、()()になって獣を狩る者や、むしろ森の毒性を心得ながら喜んで死を選ぶ絶望者が……その行方不明者だと』

「ああ、だから歌を」

『不安が紛れると思って』

 タガネは腕を組んで黙り込む。

 たしかに。

 木々から声が聞こえれば、誰でもその怪異に驚いて混乱する。事前に死の森、帰れない――『緑の沼』だと聞き及んでいれば、そこで起こる現象に心が乱れるのは人として当然の理。

 鬼仔の力はまだ謎が多い。

 祖に持つ魔獣の特性。

 人と混合したことで新しく獲得する力もある。

 知らないからこそ恐れる。

 聞いた話から。

 行方不明者の果てとしては納得だった。

 だが。

「歌でも怖いもんは怖い」

『…………そう』

 夜主が少し肩を落とす。

 タガネは咳払いをして。

「それで、略奪を試みた連中は?」

『ええ』

「…………殺したのか」

『村を築いた私の使命だから』

「……なるほどね」

 タガネは失笑をこぼす。

 村を統轄する者なら、侵略者に対する待遇として正当な行為である。むしろ、ためらって人命を失う最悪を想定し、行動できる決断力は昨今の町村でも見ないほどだった。

 築き、そこに命を育む者の責任。

 夜主は理知的な人物だった。

「守り、住まわせる……か」

『…………』

「その対価に血かい?」

『そうしないと生きていけない』

 夜主が苦々しく歪める。

 鬼仔、それも吸血鬼としての定め。

 村を見守る為には、どうしても必要なのだ。

『信じてくれた?』

「ま、信じようとは思ったね」

『ありがとう』

「それで、頼みとは?」

 女性が自身の胸に手を当てる。

『この村を狙う者がいる。数日前にここを嗅ぎつけてきた。今は北に潜伏している』

「…………」

『本来なら迎え撃つのだけれど、相手は五十名……傭兵団、らしい。かなりの手練れ』

「ずいぶんな規模だな」

『先日、斥候が数人来たから迎撃した……でも、そのときに負った深傷で戦えない』

 そう言って。

 夜主は胸に置いた手を強く握る。

『斃した斥候の血を吸って一命は取り留めたけれど、まだ走ることもできず』

「村人の血でも足りないか」

『回復はしている……遅々と』

 タガネは後ろをかえりみる。

 積まれた瓶は多い、それらは老婆の様子から見ても惜しみない貢物であるのは判った。

 それだけ慕われている人格者。

「結論を言ってくれな」

『どうか、傭兵団から守って欲しい』

「一つだけ言おう」

『ええ』

「俺は調査で来た。ここに村があることも漏れなく報告する所存(しょぞん)だが、そうなればその傭兵みたいな手合が多く生じる」

『ええ』

「村を守る者として、依頼すべきは黙秘を要求することじゃないかい?」

 夜主は少し黙って。

 しかし緩やかに首を振って否定した。

『村の者が健やかであれば』

「…………」

『永久の平和は存在しない、世の常だから』

「傭兵団の撃退」

『ええ』

「どうあっても、この地は露呈するぞ」

『覚悟の上よ』

 夜主の意思は変わらない。

 決然とタガネを見据えて返答する。

 この村の安寧は、秘匿された地であることが大きく影響しており、誰かに知られることそのものが脅かされることと同意義なのだ。

 たとえ傭兵団を退けても。

 タガネの報告によって周知される。

 どうあっても平和は保たれない。

 それも承知の上で。

 目先の危険な暗影を排除したい。

 (こいねが)う夜主に、タガネは嘆息した。

「承った」

『……いいの?』

「五十なら、手に負える範疇だ」

『……感謝を』

 夜主が腰を折って深々と一礼する。

 ふと、タガネの後ろを見遣った。

 タガネもそちらを見ると、すでに日が山陰に隠れようとしている。もうすぐ夜が来るのだ。

『では、支度しないと』

「支度?」

『村を巡回する』

「……どうして」

『村の皆の顔がみたい』

 夜主は笑って言った。

 村人を愛し、守ろうとする。

 夜主としての務め、というよりも彼女本人の愛情が先立っているように見えた。

 吸血鬼と人が共存する村。

 面妖で不気味、けれど情で育まれた風土。

 タガネも我知らず笑みで応えた。

「俺も」

『なに?』

「傭兵をやってるが、実のところ嫌われ者でね……定住先を探して旅してんのさ」

『そう』

「もし、宛が無ければ……ここに来てもいいかい?」

『いつでも、いらっしゃい』

「ふん」

『でも、『夜伽』は貰うけど』

「いいさ」

 タガネは肩を竦めて。

「この村は()()注いで守る価値がある」

『そう?』

「定住先の候補が一つ……報酬はそれで充分だ」

 鬼気迫る修羅の笑みを浮かべた。



 森の調査に赴いた剣鬼は帰らなかった。

 同時期、森に踏み入った傭兵団五十名も消息を絶ち、森の不気味さはますます人々を畏れさせ、周辺にいる村もこれ以上の調査を中断した。

 手を出さなければ無事に済む。

 不用心に入った者の犠牲がそれを痛感させた。

 そうして二月後。

 何処かの戦場で活躍する剣鬼の名を人は耳にする。

 彼は『緑の沼』で消えたはず――。

 死んだはずの人間が現れる。

 謎が深まり、恐れは大きくなる。

 やがて、人々は『緑の沼』が神の力が働いた神聖な土地であり、不可侵だと後世にまで言い伝えることになった。

 その平和は。

 一月であれ、一年であれ、百年であれ……。

 長く続いたという。

 そんな後のことも知らず。

「やれ、よく働いたな」

 タガネは保存食をかじりながら。

 森を遠くから眺める丘に座っている。

 傭兵団五十名の動きを、夜主の力の掩護を得て把握し、その先手をことごとく潰して、背面から奇襲を仕掛けた。

 村人には報せず。

 タガネの手によって傭兵団は滅びた。

 その後は、夜主の案内を得て森を抜けて現在に至る。

 調査を依頼した村とは反対方向にいた。

 報告はしない。

 もし、してしまえば将来の定住先の候補が一つ消えてしまう。

 それだけ。

 それだけがタガネにとって痛手となる。

 自身の体から血臭がして顔をしかめた。

「川の場所でも聞けば良かったな」

 斬った傭兵団の返り血。

 身を清めることを失念していた。

 タガネは小さく笑って、立ち上がる。

「さ、そろそろ」

『また、いらっしゃい』

「…………」

 森から歌声が聞こえる。

 森に隠る夜主のそれが剣戟の音に堪えた鼓膜を癒やす。

 タガネは軽く手を振って応えた。

「さて、今日は何処にいくかね」






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