10
兵士を全滅させて。
息絶えだえのジルは階段付近を見遣る。
三人が交戦していた。
短剣を両手に近接戦闘に臨むナハト、遠距離から投擲で援護するロビー、それらを戦斧二本で打ち払うイーザス。
一見してイーザスが優勢だった。
荒事に向かない貴族の風体だったが、武器を手にした今は、その印象が払拭されている。斧でナハトを弾き、体勢が崩れた隙に攻める様は獰猛で、手慣れた感があった。
ロビーの投擲による奇襲。
死角からでも機敏に対応してみせる。
相手の力量を軽視していた。
いや、それよりも。
ナハトの戦闘力を過大評価していたのだ。
たしかに器用で多様な技に長けてはいるが、どれも常人よりも達者な程度である。それらを巧みに織り交ぜることで高い戦闘技術へと応用されているが、ナハトの本職は暗殺である。
真っ向からの白兵戦。
本来なら不意打ちなどが得意であり、彼にとって尋常な立ち合いこそ邪道なはず。
劣勢は無理もなかった。
ジルはそちらに足を運ぶ。
「こりゃ、加勢するか?」
「お頭、来やしたぜ」
「んあ?」
上階と思しき高さの階段。
その段差を侍女服が埋め尽くしていた。
戦況を俯瞰している。
イーザスが来るとなれば、とうぜん彼の傀儡である侍女服の部隊との激突も想定していた。その出所は、全員があの孤児院であり、無理やり暗殺の術理を叩き込まれた子供なのだ。
ジルは嘆息して。
胸いっぱいに空気を吸い込む。
「おら――――そこのガキ共!!」
「お、お頭?」
「なんだ、なんだ?」
突然の大声に剣鬼隊も戸惑う。
しかし、構わずジルは上を見上げる。
「主人の首は貰う!」
「…………」
「その次はテメェらだ!抵抗しないんなら、オメェらを養ってやるぜ?」
「変態じゃない?」
ジルの発言に。
階段の上がわずかに騒めく。
イーザスも戦闘中に手を止めて、その様子に目を見開いていた。
ジルがほくそ笑む。
孤児院への援助――それが侍女服たちを拘束する理由である。その原因さえ取り除けば、イーザスは不要となるのだ。
援助できる財政。
それは概ね貴族などに限られる。
タガネにはその宛があった。
以前にデナテノルズの事件で助けた騎士団には、意図していないとはいえ大恩を売っている。王国壊滅直後も、贔屓にしていた仕事場の損失を鑑みて、剣鬼の先行きを憂慮した騎士団から帝国への勧誘などがあった。
それからも、しばしば連絡は来る。
なお帝国は人間至上主義者。
亜人に対する弾圧は烈しいが、それは却って人間には寛容な風土である意味を持つ。幸か不幸か、孤児院の子供は皆が人間だった。
なお。
帝室にも剣術指南官として勧誘されている。
ここでシスター及びナハト達の身柄の保護を求めれば、相手は剣鬼への交渉で優位性を獲られると承諾する可能性も高い。
これなら安全にシスターたちも過ごせる。
それがタガネの用意した方策。
イーザスを失った後の頼みだった。
ジルがこのことを聞き及んだのは先日。
ナハトの奪取を決意し、南部の戦線に挑む道中だった。
甲高い金属音が鳴る。
イーザスがナハトを蹴り飛ばし、ジルへと飛びかかる。追撃にロビーが背後から短剣三本を連投するが、それらも彼の一歩後の床を叩くのみに終えた。
ジルも槌鉾を構えた。
「何を世迷い言を!!」
「死ぬテメェには関係ねぇよ――なぁ!?」
イーザスの戦斧と衝突した。
その瞬間、ジルは瞠目する。
武器を操る膂力は同等だった。体格の差は、頭一つ分ほどで歴然としているにもかかわらず、押し合いは拮抗している。
それも。
渾身の槌鉾を片手の戦斧で対抗していた。
両腕ならば如何ほどなのか。
イーザスが後ろでもう一方の斧を振りかぶる。
ジルの脳が警鐘を鳴らす。
咄嗟に前へさらに一歩出て、戦斧を押し退けながらイーザスの肩へと体当たりする。密着して斧の間合いの内側へ強引に侵入した。
イーザスが舌打ちする。
後ろへ飛びのこうと床を踏みしめた。
しかし。
「逃がすかっ!」
「ぬぅ!?」
イーザスの襟を捕まえる。
距離を取らせまいとジルは握力を緩めず、そのまま自身へと強く引き寄せて、イーザスへと頭突きを喰らわせた。
互いの額が衝突する。
瞼の裏を刹那の白光が包み、脳内で激痛が炸裂した。弾けた二人の頭から、潰れた額どうしが赤い血で結ばれる。
よろめいて。
ジルはその場に膝を突いた。
イーザスは数歩退いて踏み堪える。
血の伝う顔に笑みがこぼれた。
「頑丈さでは私が勝っていたねぇ」
「そんな面、してねぇのにな……!」
「人は見かけに依らないんだねぇ」
イーザスが戦斧を振り上げる。
ジルは槌鉾を上に掲げて構えた。
振り下ろされた重厚な凶刃が、槌鉾の柄を叩く。上からの加圧は止まず、しだいにジルの肩に向かって沈んでいく。
食いしばった歯が砕ける。
頭上のイーザスの笑みがますます深まった。
斧の手が進む。
ジルの腕が限界に達し、その圧力の前に屈する。
――その前に。
「させませんッ!」
ロビーが再度、短剣を投じる。
やや下に投射されたそれは、床で跳ねてイーザスの踵に命中した。反射角度を読んで放たれた絶妙な一投である。
イーザスの足から力が抜けた。
踵の腱が断たれて支えを失う。
イーザスもまた膝を屈した。
圧迫から解放されて、ジルが肩で息をする。
「助かったぜ、ロビー……!」
「く、小賢しいねぇ……!」
「終わりです」
イーザスの背後に。
いつの間にか幽鬼の如くナハトが佇んでいた。
イーザスが息を呑んで振り返る。
それよりも早く、後ろから短剣で彼の喉元を貫いた。皮膚から突き出た刃先を染めるように、血が溢れ出す。
赤い燕尾服がより真紅に染まり。
全身が痙攣する。
「かっ……あっ……!」
「貴方には感謝しています」
「ぐぶ、ぶ」
「今まで孤児院の面倒を見て下さったことも、私に多様な訓練を施して頂いたことも。そのお蔭で、私は仲間に恵まれ、シスター達を救える力を手にできた」
「ごぽ、ぽぽぽ……!」
「さようなら」
ナハトが短剣を引き抜く。
首から噴き出した血で侍女服が濡れる。
黒い瞳はそれを淡々と見下ろし、ジルとロビーを見遣ってから、ようやく柔らかい光を取り戻す。
階段の上の侍女服も唖然としていた。
ロビーが歩み寄って彼の肩を叩く。
そこで、ナハトは長い吐息とともに床に崩れ落ちてうつむいた。
勝利の感慨、復讐を達成した充足感。
どちらよりも、ナハトの胸中で先立ったのは安堵だった。
剣鬼隊が駆け寄る。
ナハトを囲って歓喜した。
「よくやったぞ、似非メイド!」
「晴れて剣鬼隊の紅一点だな」
「こいつ男だっつの」
「ナハトを取り戻したぞ!!」
ジルも一団に加わる。
ナハトを胴上げし始め、宙へと幾度も高く放る。小さく悲鳴を上げる彼など構わず、随喜のままに祝った。
ナハトが思わず声を張り上げる。
「まだ上階に子供がいます!」
「な、マジか!」
「そりゃいけねぇ。すぐ行くぞ!」
「おい。侍女服ども、手伝え」
我に却って。
剣鬼隊の数名が階段へと殺到する。
途中で立ち尽くしている侍女服を巻き込んで、イーザスが孤児院から買い取った子供の身柄を保護しに向かった。その数として十以上はあるものの、危険視していた敵は降したのでその足取りは軽い。
その背中を見つめながら、広間に待機する全員が修羅場を切り抜けたと了解して肩の力を抜く。
――が。
「早く逃げろ!!」
「あ?」
塔の壁に設えられた円窓。
その外から声がした。
前庭からタガネが叫んでいた。
聞きつけたジルを筆頭に、昇降機を使って全員が塔から出る。門前に空を凝然と振り仰ぐタガネが立っており、ロビー達も訝って頭上を見た。
空が異様に明るい。
何事か――そう思考を巡らすよりも早く。
空を焦がしながら落ちてくる大岩を捉えた。
「な、何だ……あれ」
「こっちに落ちてくんぞ!」
ジルが視線を投げかける。
受け止めたタガネが頷いた。
「これってよぉ、まさか……!」
「星だ。星が墜ちてきてやがる」
「じゃあ、ヤツが来てるのか!?」
タガネは歯噛みした。
ジルたちの様子から作戦成功は察した。
事は順調、あとは撤退するだけ。
それなのに。
「……ケティルノース……!」
「くそ、まだ塔の中にはガキと仲間が……!」
加速する絶望に。
全員は空を見上げるしかなかった。
あの星が地表に墜ちれば、その衝撃だけで連合国の中央は地図から消える。気づかれたバスグレイを崇める巨塔も、その周囲に栄えた人の文化も平等に塵となる。
タガネは魔剣を握りしめて。
「くそ……!」
「もうだめだ……」
星は迫る。
タガネ達は諦めて目を閉じた。
そのときだった。
「はい。ワシって出来る爺じゃのぅ」
陽気で嗄れた声とともに。
世界に存在するすべてが停止した。




