10
南軍の古城に撤退する。
その準備が完了し、三人は貴賓室を辞した。
ベリディール子爵邸の幼い使用人が見送る。
通路の脇に端然と立ち、横をすれ違う前に腰を折って一礼する。その所作は無駄がなく、流麗で気品があった。
それでも三人には異質に思えた。
彼らの瞳は昏く、三人を見ていない。整った所作と相まって、機械仕掛けの人形のような印象が強かった。
マリアは立ち止まって、一人の前に屈み込んだ。
同じ高さの目線から。
まっすぐ子供の顔を見つめる。
「しっかりしてるわね」
「いえ」
「これ、あげるわ」
荷物の中から。
袋を一つだけ押し付けるように渡す。
怪訝に袋を見る使用人に、マリアはうなずく。許可を得て中身を検めた子供の顔が、少しだけ明るくなった。
マリアは唇の前に指を立てる。
「ご主人様には内緒よ」
「よろしいのですか?」
「皆で分けなさい」
使用人がふたたび一礼する。
ただ、前よりも深くふかく頭を下げた。項を晒すほどに謝意を示されて、マリアも苦笑する。
面を上げるや左右を確認し、駆け足で横を通り過ぎていく。
ふと。
そのとき三人は気付いた。
幼い使用人は、片足を引きずって歩いている。跛行する足運びに、フィリアが胸前で両手を組んで瞑目する。
白い僧衣から光の粒子が空中に舞う。
宙を彩るそれらは、使用人を追うように群になって移動し、床に引きずられた足を渦となって包み込む。
驚いた使用人が悲鳴を上げるより先に。
光が散逸していく。
「何をしたのよ?」
「私からも、お礼ですよ」
フィリアが微笑む。
その視線の先で、幼い使用人が驚愕していた。
動かなかった足で床を踏みしめられる。踵で体重を支え、爪先で床を蹴った。足首はまだぎこちないが回る。
使用人が振り向く。
フィリアは手を振って応えた。
また深々と黙礼し、通路の奥に去っていく。
三人はそれを見送って。
「やはり、不吉」
「不吉、ですか?」
使用人が消えた先。
ミストは険のある眼差しを注いでいる。
フィリアは組んだ手をほどき、言問い顔で彼女を見る。
「アイツ風に言えば、『焦臭い』ね」
「何かあるんでしょうか」
「あの使用人たちからしても」
言葉を切って。
ミストが通路の前後を確かめる。
人の有無を確認していた。視覚的には判らずとも、魔力感知も並行して気配を読んでいる。
人の耳が無いと了解して。
ミストは小さな声でささやく。
「子供の数が異様です」
「そうね」
「邸を整えるだけなら、それだけの数は不要」
「たしかに、三十……以上はいましたね」
「その上」
ミストは先刻の使用人を思い出す。
充分な員数でありながら、満足に歩けない子供を使用人として起用するのは、本来奴隷でなく平民であっても貴族家は使おうとしない。
食い扶持を与えるのが無駄だからだ。
それでも。
あの子供を使役している。
「それに、あの歩き方」
「何よ」
「踵の腱と、膝の靭帯も損傷した人間の歩行の特徴がありました」
フィリアが首肯する。
魔力で癒やした手応えから、その部位に残る傷も判じられた。
「あれは、どうも怪しい」
「たまたま怪我したんじゃないの?」
「それを放置する?」
「…………」
ミストの抱く違和感。
曖昧だった輪郭が、だんだんと嫌悪感として明瞭さを帯び始めていた。その感情の矛先は、言わずもがなベリディール子爵である。
子供を多く使用人に採用した邸の態勢。
その時点でも、かなりの酔狂に相違ない。
戦争孤児を引き取って仕事を与え、従事する者に糧食を与える優れた人格の持ち主。――そうとも考えられる。
仮にそうだとしたら。
あの子供の負傷を看過するだろうか。
孤児を引き取るほど深い慈しみある者なら、怪我の治療などに手を尽くすまではなくとも、医療費などを工面して診療まで導くはずだ。
それすらも無い。
何より、使用人たちの瞳が物語っている。
一片の希望すら映さない暗さ。
この生活にまるで生きる喜びを見出していない。だから、先刻の様子は空気を華やがせたようだった。
これらを鑑みた上で。
そして怪我の箇所と照合する。
「国を防衛する者だった経験から」
「…………」
「あれは、よく嗜虐の趣向がある人間が他者にある程度の抵抗を許し、且つ逃走を防ぐためにつける傷に似ています」
「つまり、そういった類を嗜む者ですね」
「あの子は……」
「『お気に入り』ですね」
マリアが腕を組んで窓の外を睨む。
初見から、偏見ではあるが「胡散臭い」という印象があった。敬意も何も裏には無い、体面だけの立ち居振る舞い。
あの男が……。
マリアは、はたと顔を上げる。
「もしかして」
「ん?」
「はい?」
二人がマリアを見た。
「あの男、アイツに貸してるって」
「タガネさんに、ですよね?」
「そういえば……」
二人もまた。
マリアが言わんとすることを察した。
全員が青ざめる。
「子供、一人拉致ったんじゃないの?」
「まさか」
「タガネさんはそんなこと」
そう言いかけて。
全員が同時に沈黙していた。
また、面倒事なのだろう。
「懲りる、懲りないの問題じゃないわ」
「病気」
「ひ、人がいいんですよ、きっと!」
通路の奥からベリディール子爵が顔を出した。
「皆さん、馬車の用意が完了しました」
「え、ええ。すぐ行くわ!」
マリアは平静を装って。
ベリディール子爵の方へと歩んでいった。
「ご苦労様」
「いえ。私も城に用事があるので、道中ご一緒させて頂きます」
「え」
今度こそ取り繕えず。
三人はそれぞれが本心を顔全面に表して、その同行に渋面を作る。
子爵はただ、微笑みを浮かべた。
ここまでお付き合い頂き、誠に有り難うございます。
次回から南端、ようやく中央軍との絡みと伏線回収を行います。




