8
入室した拳聖バーズが隣に立つ。
ナハトをじっくりと見た。
間近で眺められても、ナハトは全く応じない。裳裾を下ろして、何事もなかった風に佇む。バーズを前にしても毅然としていた。
やがて顔を離して。
タガネの肩を笑顔で叩いた。
「良い女だな」
「……」
タガネは内心で嘲笑する。
人のことは言えずとも、拳聖バーズは見事に欺かれていた。ナハトの表情も、心做しか笑っていた。
その機微も看取できず。
バーズは揚々と椅子の一つに腰掛けた。
緊張が解けて、指揮官もタガネの正面に腰を下ろす。
用意された椅子がすべて占められた。
ナハトが小さく耳打ちする。
「拳聖バーズとは知己か」
「数月前に殺し合った仲だ」
「下らない」
辛辣な言葉に。
タガネは心外だと託ち顔になる。
額に汗を滲ませ、緊張で落ち着かない手元の無聊を慰めるべく髭を撫でていた指揮官の手が止まった。
肝を冷やして青ざめる。
その反応に。
拳聖バーズが笑って手を叩く。
「勧誘とか嫌いなんだよな!」
「そ、そうでしょうな。ははは」
「そんな辛気臭ぇ顔すんなよ」
「あ、うん?」
釈然としないまま。
タガネは肘置きに頬杖を突く。
「おまえさんがここにいるってことは……」
「帝国は脱けたんだよ」
「……まあ、だろうな」
帝国の革命派の事件。
リクルの勢力に与したバーズは、あの晩に倒して放置した。事の情報漏洩の恐れはあったが、そも帝国を裏切って革命派に属した拳聖の言葉に耳を傾ける者はいない。
それに。
バーズは享楽的な好戦家。
より楽しめる戦場を求め、帝国に拘泥せずに何処へ行くと考えた。
しかし。
戦争推進派の北軍とバーズ。
その相性は抜群であり、ここにいるのも訊ねる前から大体が察せられる。
バーズが椅子から身を乗り出す。
「それで剣鬼」
「なんだ」
「迂遠な言い回しは止そうか」
「…………」
「ここで俺たちの仲間にならねぇか?」
「断る」
にべもなく拒否する。
バーズはきょとんと途方に暮れた顔になった。
タガネは呆れ混じりに笑う。
「俺は傭兵なんでね」
「えーマジかよ」
「一つの地には留まらん」
「んじゃ連合国に定住は?」
「あ?」
バーズの一言に。
タガネが止まって目を向けた。
「前に共闘したとき言ってたろ」
「……」
「定住先を探してるって」
「言ったな」
タガネと拳聖は幾度か共闘した。
帝国を仕事場とした頃、王国とは異なる隣国との戦役にタガネも参加し、拳聖とはそこで知り合った。まだ国の最重要戦力ではなく名もない兵士だったバーズ、名が立ち始めたタガネの両者はよく配置が同じにされる。
その間に、人との距離感の一切を無視する磊落な人柄のバーズは、タガネと距離を詰めた。
そのとき、定住先を探している目的について話した記憶がある。
タガネは後頭部を掻いた。
「ここは戦争中だ」
「北に良い場所があるぞ」
「良い場所?」
「水と草に恵まれた場所で、少し寒いが特に自然災害の報告も上がらねぇ」
「へー」
感心して。
タガネは目を大きくした。
バーズにしては、珍しく気の利いた提案だった。自然災害の報告が少なく、水と草に恵まれたとあれば作物もよく生る。
聞いた上では暮らしやすい土地だった。
それに加えて。
北軍はすでに六割の国土を掌中に収めている。
これならば、他国からの侵略以外に恐れるものは無いかもしれない。
魅力的ではあった。
「一考の余地はあるだろうな」
「だろっ?なら――」
「戦争推進派の国土ってのが落ち着かんがな」
「……何でだよ?」
「東軍でも見たが、戦争が過激化すれば人民からの税収、つまり搾取が始まる。豊かなのも今だけかもしれんしな」
「…………」
「安定した暮らしには遠い」
タガネが一瞥する。
指揮官の肩がびくりと大きく跳ねた。
戦争推進派とは、保有戦力が凄まじくとも水面下では国力が損なわれている場合が多い。無理やり国民から押収したすべてが注ぎ込まれているので、付け焼き刃同然である。
つまり。
北軍がそうなる危険性を孕んでいた。
彼らが統一を完遂すれば、だが。
「だから、平和になったらまた来るよ」
「…………」
「では、北軍には……」
「悪いが、仕事場ってだけだね」
その含意は。
北軍として拳聖と矛は並べない。
その意味を示していた。
タガネは膝を叩いて立ち上がる。
「それじゃ、話し合いはこれで」
「失礼致します」
タガネは手を振って退室する。
ナハトは一礼して後に続いた。
バーズはその背中を見送って嘆息する。
「あー、どうしようかねー」
苦笑して。
「『妹さん』にどう弁明したもんか」
妖しげに目を細めた。




