小話「才華に遭う」②
その少女は、深い谷の中に生まれた。
半世紀以上前まで、魔神教団なる邪悪の徒の根城にされた影響もあり人の集まりは絶望的に無かったが、少しずつ賑わいを取り戻した谷の里を少女も愛した。
穏やかな里の人たちと敬愛する両親と紡ぐ平和。
しかし、常に安穏としていたわけではなかった。
国からも街からもやや離れた険しい土地だが、却ってそこは国の目を逃れたい盗賊や与太者の集団の隠れ家として利用される事が屡々ある。
当然、生きる為に、快楽の為に他人から略奪したいと願う悪意の的として里は好適だった。
谷を挟んで架けられた橋。
里を襲う者は一様にここを渡って襲撃する。
橋は里の要で、侵攻されると脆い。
そんな場所だからこそ、『橋守』は存在する。
『いいかい?――ジブリール』
『ん?』
『絶対の平和なんて在りはしない。だから、人の手で作っていかなきゃならないんだ』
『無いから、作る……』
『その為に、この槍を握るのさ』
祖母は『橋守』だった。
昔は大陸にも名を馳せた騎士とされている。
祖父と結ばれて以降は、この地に腰を据えて里を守る役目を担った。
どんな悪党も返り討ちにし、里を守り抜く。
そんな祖母を里中が慕っていた。
それは少女もまた例外ではない。
祖母が『橋守』を引退した後も、敬いの念は絶えなかった。祖母曰く、才能を受け継いでいると評価された少女は、自身もいずれは『橋守』として里を守るのだと思っていた。
だが、不思議と祖母はそれを是としなかった。
自由に生きろ、と。
祖母は常々少女に対して口にする。
『あんたは将来有望だしね』
『あたし、ここも好きだよ』
『分かってるよ。ただ、惜しく感じる……アンタほどの才なら、私が知る最強の男のように伝説を作れるのに』
『最強の男?』
祖母は、よく最強の男について語る。
孤児だった自分を見出した親代わりの男だと。
彼は今、比較的新しい伝説として世に膾炙している剣士――少女も寝物語に聞いた『剣聖』。
『あたしが剣聖くらい凄いの?』
『ああ。勿論、鍛えればって話さ』
『でも、もう祖母ちゃん以外は誰も勝負にならないし強くなってる実感が持てないよ』
『そうだねぇ。この谷はあんたに狭すぎるかもね』
『うん』
『ううん、なら』
祖母は少し考えた後に。
『いつか南の海の浮遊島に行きな』
悪戯でも思いついたような意地の悪い笑顔で少女に南を示した。
少女はその時まだ知る由も無い。
この笑顔が、南で待つ祖母の敬愛した戦士のものとそっくりであるということに。
「というわけで、この島に来た!」
少女は胸を張り、浮遊島の空にその声を響かせる。
事の経緯を聞き及んだタガネは、少女に怯えて背に引っ付いた曾孫を見遣りつつ、再び聞かせられた事情には頭を抱えたくなってしまった。
かつて妻の弟子だった英雄。
傭兵時代から繋がる運命だが、それから半世紀以上が経って新たな形を見せるとは思いもしなかった。
ヒューグサス家と自分には因縁がある。
「だからと言って面倒を見ろ、ってか」
「あたしはジブリール。宜しく剣聖!」
「剣聖じゃねえ。タガネだ」
「剣聖だろ?」
「そんな何十年も前に死んだ英雄様なぞ知らん。多少は剣に腕の覚えがある隠居爺だ」
「なるほど。謙虚だ、これが英雄」




