第42話 婚約者の矜持 (Side:カルロ)
「か、カルロ様……!ご無事で――」
「あぁ、すまなかった。もう安全だ」
ひゅっと指を振って、シャロンを拘束していた頑丈な縄を魔法で切ってやる。
シャロンに男の躯を見せるのは憚られた。恐怖で腰が抜けているのか、まだ立ち上がれないシャロンの前にしゃがみこんで視界から外させる。
「怪我、お怪我はありませんか――?」
「俺よりシャロンだろ。お前こそ、何もなかったか?」
蒼い顔をしながら俺を気遣って伸ばされた手を取り、聞き返す。
シャロンはすぐに首を横に振った。
「私は大丈夫です……!それよりも、カルロ様が……!血、血が、馬車の中にいっぱい出ていて――私、咄嗟に魔法で傷を塞ぐことしか出来なくて――」
「あぁ……大丈夫だ。助かった。ちょっと貧血気味だが、傷はすっかり塞がってる。戦いでも傷一つついちゃいない。心配するな」
取った手が気の毒になるくらい震えていて、ぎゅっと胸が締め付けられる。
「悪かった。――怖い思い、させたな」
「いえっ……いいえ、そんな――私こそ、こんな危険に巻き込んでしまって……!」
申し訳なさそうに何度も頭を振るシャロンは、心から言っているようだった。
蒼い顔で震え、立ち上がることも出来ない姿は、先ほど暗殺者たちを相手に堂々と啖呵を切った少女と同一人物とは思えない。
命を狙われたのだ。恐怖を感じるのは無理もない。
だからこそ――どうしても俺は理解が出来なくて、問いかけた。
「……どうして、あんなことを言ったんだ」
「え……?」
「さっき、アイツらに――自分の命をやるから、俺たちの命は助けろ、だなんて」
どうしても責めるような響きが混じってしまう。
あの言葉を聞いた瞬間、本当に肝が冷えたのだ。
シャロンの声に迷いは微塵もなかった。本当にあそこで命を散らすことを覚悟していた。
「それは……」
「アンタはフロスト家のお嬢様だ。護衛や侍女や御者と天秤にかけて良い命じゃない。むしろ、馬車の三人の命はくれてやるから自分だけは助けてくれと懇願したっていいくらいなんだぞ――!」
抑えようとしても、語気が荒くなるのは防げなかった。シャロンは驚いたように肩を跳ねさせた。
「そんな……だ、だって、貴方やレイアにも、帰りを待つ人たちがいて――私のせいでその人たちまで悲しませるわけには――」
おろおろしながら口にする言い訳。困惑したような、虚を突かれたような顔。
――どうやらこのお嬢様は、本当に俺が言いたいことがわからないらしい。
「お前――ちゃんと、自分の立場を理解しろよ――!?」
カッと頭に血が上る。
シャロンにではない。――こんな風にシャロンを追い詰めた、これまでの全てに、だ。
「ご、ごめんなさ――」
「いいか!?お前は、何一つ悪いことなんかしちゃいない!仮に、お前を守って護衛が、侍女が、御者が死んだとしても――だからってお前が悪いわけじゃない!」
「で、ですが、そもそも私に関わらなければ――」
「違うだろっっ!悪いのは、お前の命を奪って政争に利用しようとする奴であり、目的のためには手段を選ばず周囲も巻き込む犯罪者だ!純然たる被害者のお前に、いったいどんな責がある!?」
貧血でくらくらする頭で、俺は感情のままにまくし立てる。
どこまでお人よしだ。どこまでを責任の範囲にするつもりだ。
これが、貴族のあるべき姿とでも言うつもりか。
「抱えなくていいモンまで抱えんな!捨てなくていいモンまで捨てんな!」
「なっ――」
「生まれるところを選べるわけじゃなし――そんなモン、お前が背負う必要ねぇことだろうが!」
絵画を何度も見上げては憧れた湖を想うだけで、顔を輝かせるくらい、本当は自由に焦がれているくせに。
敵の脅威が去っても立ち上がれないくらい、本当は怖くて怖くて堪らなかったはずなのに。
憧れも、恐怖も、当たり前の感情だ。
それを、『貴族だから』などと言って押し込めることの、何が美徳というのか。
「お前はもっと、我儘を言っていいんだ!両親に『こんな家に生まれたくなかった』と八つ当たりしたっていい。アルヴィンに『こんな不自由な生活はもう嫌だ』と嘆いたっていい。危ない目に遭ったなら『どうしてもっと腕のいい護衛を雇ってくれないんだ』って怒ったって良かったんだ!」
「そんな――」
「少なくとも、俺には言え!なんで俺が一緒にいながらこんな怖い目に遭う羽目になったんだとか、契約不履行だとか、才能があるならちゃんと使えとか!」
「そんなこと思うはずもありません!」
「思え!!!」
珍しく言い返して来たシャロンに、被せるように叫ぶ。
誰かに怒鳴られた経験などないのか、シャロンは驚いたように肩をすくめたが、俺はこの主張に関しては一切曲げるつもりはなかった。
俺はやり切れない思いでガシガシと頭を掻いて伝える。
「いいか。俺は今までみたいなフロスト家に雇われた”護衛”じゃない。”婚約者”だ」
「――」
「夫婦になるんだろ。じゃあ、運命共同体だ。確か正教じゃ、夫婦になる時に誓いを立てるんだろ。互いに支え合い苦労も喜びも分かち合って云々とか――」
かなりうろ覚えの知識を披露しながら、深いため息とともに伝える。
「俺はお前の人生に責任を持つ。何があっても絶対に一生かけてお前を守ってやるつもりだから、お前も素直にちゃんと守られてくれ」
「は……はい……」
「今日のことで、俺の認識が甘かったのはわかった。もっと本気で、徹底的にお前を守るにはどうしたらいいかを考える。外出しなければ危険はないなんてのは、ただの思考停止だ。そうじゃなく、お前が好きなように人生を目一杯謳歌するためにはどうしたらいいかを考えるのが、夫になる俺の役割だろう」
それが、シャロンの人生に責任を持つということだ。
アルヴィンだって、それを期待して、この縁談を許可したはずだった。
世界一可愛い天使みたいな俺の婚約者は、我慢強くて、シスコンの兄がいる癖に甘え下手で、人見知りの激しい臆病者のくせに、いざというときは誰かのために己の命も投げ出せる強さも持っているらしい。
そのシャロンの強さを否定はしない。ただ可愛らしくか弱いだけの女じゃないのは、今日、骨身に染みてわかった。
だけど――それを、『ただ可愛らしくか弱いだけの女』として一生を終えられるようにしてやるのが、俺の役割なんだろう。
愛らしい外見に惚れこんだだけの浮ついた恋心はどこかに霧散し、人生の伴侶としてこの女を本気で守り支えてやらねばと覚悟が決まった日だった。
「少なくとも俺は、やりたいことを全部我慢して辛気臭い顔してる女を妻にはしたくない。人生はまだ長いんだ。一番長く一番傍にいる相手には、なるべく笑って幸せでいてほしいって思うのは、変な事じゃないだろう」
「……は、はい……」
「ったく、本当にわかってんのか……?」
頬を上気させて上ずった声で返事をするシャロンに呆れながらつぶやく。
「まぁいい。レイアと御者を起こして、帰るぞ」
ひょい、とシャロンの腕を取って立ち上がらせながら、俺は頭の片隅で、離れている間も全自動でその身を守るような魔道具は造れないかと考え始める。
――後ろで、耳まで赤くなっていたシャロンには、最後まで気付くことはなかった。




