第34話 社会勉強① (Side:アルヴィン)
その駅に着いたとき、既に月は高く上り、冬の夜気が身を凍えさせた。
本来なら夕方には到着し、乗り換えた鉄道の中で食事をとっていた頃だ。
しかし、昼食を取り終えたころ――車両から異音がするということで、安全確保のために緊急停止し、点検が始まった。
しばらく後、問題なく車両は走り出したが、予定していた乗り換えには間に合わなかった。
「本当に、申し訳ございません。小さな街ではございますが、宿は我々鉄道会社で手配いたしましたので――」
「構わないさ。代わりに明日の鉄道の席は確保されているんだろう?」
「は、はい、それは確かに。朝一番の便でございます」
先に降りたカルロにぺこぺこと頭を下げる駅長が不憫で、僕も制す。
「頭を上げてください。トラブルは仕方がないです。安全に目的地までついてよかった。宿まで手配していただいて、本当にありがとうございます」
駅長は、地獄で救いの手を差し伸べられたような顔をする。先に降りた一等車両の客にも同様に謝罪したようだが、こっぴどく怒鳴られ嫌味を言われていたらしい。よほど堪えていたのだろう。
乗り換え駅としては有名だが、観光名所があるわけでもない小さな街だ。一等車両を使用する貴族階級が泊まるに相応しい設備の宿屋などない。
しかも、既存の宿泊客もいる中、無理に一等車両の客が泊まれるよう部屋を用意したのだ。さすがに食材の調達までは手が回らなかったのか、素泊まりになると聞かされた。他の貴族たちはとんでもなく怒り狂っていた。
僕はもう半年も、カルロと一緒に旅をしている。これよりも小さな村に宿泊したこともあるし、庶民が通う安さが売りの食堂で食事をとることだってあった。買い食いだってしたことがある。
その程度で目くじらは立てない。鉄道会社も威信をかけて、せめて街で最高級の宿を、と駆け回ったのだろう。十分すぎるくらいだ。
涙目で深々と礼をする駅長に見送られ、僕らは紹介された宿に荷物を置くと、貴重品だけを持って外に出る。
冬の訪れを感じさせる北風は冷たかったが、レーヴ領の山風に比べれば厳しさはない。だいぶ王都に近づいているようだ。
「こんな時間じゃ、食堂は閉まってそうだな。飯も出る酒場みたいなところを探すしかないか――?」
カルロが呟きながら意味深な目を向けるので、僕は慌てて両手を振る。
「僕のことなら気にしないで!心配しなくて大丈夫だよ」
「本当だな?……お前の外見は目を引くんだ。絶対俺から離れるなよ」
「ぅ……うん……」
相変わらず、過保護なのは変わらないらしい。虚勢を張ったところで、何度もトラブルに巻き込まれて迷惑をかけた自覚があるので、大人しく頷いておく。
カルロは、宿の主人から聞き出したメモに目を落としながら、店屋が多く並ぶ通りに向かって歩き出す。
「そういや、今まで聞いたことなかったが――シャロンって、酒は飲めるのか?」
「え?う、うん。一応、もう成人しているし――」
「いや。法律の話じゃなく、体質の話だ」
この国は、女性は十五、男性は十七で成人と認められる。法律では一応、酒は成人してからということになっているが、社交の場には酒がつきものなので、貴族は皆、社交デビュー前に家族の前などごく私的な場で飲酒の練習をし、自分の酔いやすさを知っておくというのは常識だった。
そんな慣習を平民のカルロが知っているのか不思議に思いながら、僕は質問に答える。
「飲めなくはないよ。社交の場で酒を勧められて、付き合いで飲む程度なら問題はないと思う」
「ってことは、アルヴィンみたいにザルってわけじゃないんだな。許容量を超えるとどうなる?」
「えっと……真っ赤になって、上機嫌になるよ。いつもの警戒心がなくなって他人との距離が近くなるみたいだ。だから夜会では、勧められない限り酒には口を付けないこと、お酒を飲んだら数曲で切り上げること、を約束させた気がする」
「そうか。聞いておいてよかった。こういうことに関しては俺は全面的にアルヴィンを信頼してるから、同意見だ」
「?……うん」
時々かみ合っているようでかみ合わない会話をする親友を不思議に思いながら頷く。
宿の主人に教わった通りに出ると、夜の酒場特有の喧騒が人気のない道に響いていた。
これまでの傭兵としての旅の間は、トラブルに巻き込まれるのを避けるため、食事を終えたら早めに宿に帰らされることが多く、こうした雰囲気を感じることはほとんどなかった。
「道に人通りはないのに、騒がしいって、不思議だ……音楽も聞こえる」
「もう冬だし、度数高めの酒を煽って歌い踊ってんだろ。庶民の酒場ってのはそんなもんだ。お貴族様には五月蠅いし理解できないだろ。食い物は少ないかもしれないが、もう少ししっぽりと飲めるトコで――」
世間知らずの僕に呆れながら、音楽が鳴り響く一段とやかましい店を通り過ぎようとしたカルロは、ふと、何かを思い出したように足を止めた。
「カルロ?」
「……いや。やっぱり、ここにするか」
「えっ!?」
過保護なカルロが、僕に合わせた選択を覆すのは珍しくて、思わず聞き返す。
しかし意志は固いようで、温かな光が漏れる店の簡素な扉に向かってカルロは迷いなく足を踏み出した。
「たまにはいいだろ。社会勉強だ」
「う、うん。もちろん、いいけど――」
常々、カルロは僕のことを気にし過ぎだと思っていた。
慌てて背の高いカルロに追いつくと、小さくカルロが呟く独り言が耳に入った。
「――昔、約束したしな」
「――……」
ドクンッ……と心臓が大きな音を立てる。
脳裏に、記憶にないはずの光景がリアルに蘇った。
――それは、社交デビューで踊る曲を練習していたときの、シャロンの記憶。
貴族のダンスは難しいと苦戦していた、今よりずっと若いカルロが、庶民の音楽について教えてくれた。
『庶民の音楽はもっと気楽な娯楽だ。祭りや酒場で奏でられる音楽に合わせて、歌って踊る。陽気でテンポも速いのが多い。決まったステップもお作法もない。曲に合わせて適当に身体を揺らすだけでいいモンだ』
未知の世界の話に興味深そうに聞き入るシャロンに気付き、カルロは笑う。
『気になるんなら、いつか、聞かせてやるよ。――いいだろ。社会勉強だ』
今と同じ言葉を吐いてニヤっと笑う顔は、悪戯を企む子供のようで――
不意に混濁したシャロンの記憶に戸惑いながら、背の高いカルロの後を追う僕の心臓は、我知らず駆け足になっていった。




