運命回避の作戦会議
その週末の休日、わたしは午前のみの図書館での仕事を終えたあと、アデラインさまと待ち合わせていた。
「図書館の上の階に、こんな部屋があったんですね」
わたしは驚きながらアデラインさまのあとに続いて、図書館の上階にある部屋の一室に足を踏み入れる。
大きくとられたガラス窓の前には重厚な飴色の書斎机があり、壁際には天井まである本棚、部屋の中央には品のよいテーブルとソファーが備え付けられていて、どこかの邸宅の書斎のような雰囲気だ。
「ええ、図書館で調べ物をするときや特別に禁書を閲覧させてもらうときなどのために、ウェイレット侯爵家が特別にお借りしている部屋なの。ここなら防音もしっかりしているし、何より移動の手間も少なくて済むからリゼ嬢の効率もいいと思って」
たしかに、今日みたいに図書館の仕事終わりに向かうには最も効率のよい場所だろう。ただ、わたしのような貧乏男爵家の者が足を踏み入れてもいいのか、そう考えると畏れ多くて腰が引けてしまうのは仕方ない。
これからのこと、断罪回避について話し合いをするにあたって、アデラインさまが用意してくれた場所がここだった。
最初はウェイレット侯爵邸に招くと言ってくれたが、由緒ある侯爵邸にお邪魔するなどそれこそもっと気後れするし、さらに場所的にもわたしが徒歩で向かうには時間がかかってしまう。
アデラインさまは当然のように馬車で送迎すると言ってくれたが、おそらく話し合いは一度では済まないだろうと思われたし、その都度送り迎えをしてもらうのは申し訳なかった。
「ありがとうございます」わたしはお礼を述べる。
「お礼を言うのはわたくしのほうよ。お仕事だけでなく勉強する時間も確保しなければいけないでしょうに、こうして時間を割いてくださって本当にありがとう」
「大丈夫です! わたしでお役に立てることがあるならがんばりますから!」
わたしは胸の前でぎゅっと両手を握りしめる。
その後、わたしたちは向かい合わせでソファーに腰かけ、話し合いを始めた。
テーブルの上には、断罪が予測される卒業パーティーまでに起こる出来事とおおよその時期が順番に書かれた紙があるが、先日学院の一室で見せてくれたものよりも詳しい情報が追加されていた。
アデラインさまの流麗な文字で書かれた紙を覗き込み、気になった点や疑問点などを確認させてもらいつつ、改めて情報を整理していく。
今は春先、夏の半ばに行われるアデラインさまたちの卒業パーティーまで、半年ほどの期間がある。
それまでに、『持ち物を水浸しにする』『ドレスを破る』『アクセサリーを盗んで壊す』『地下室に閉じ込める』『階段から突き落とす』といった数々の事件が起こるらしい。
持ち物が水浸しになる以外は、人生でもそうそう遭遇することがなさそうな状況ばかりだ。
アデラインさまいわく、小説の中の悪役令嬢であるアデラインさまは婚約者であるベイジル王太子殿下への恋慕によって、ミレイさまへの激しい嫉妬と憎悪をつのらせ罪を犯してしまうらしいが……。
「なんていうか、ひどい内容の小説ですね」
最初に話を聞いてからずっと感じていたが、わたしは思わず本音を漏らしてしまう。
「婚約者がいながらほかの女性と親しくする王太子殿下や、婚約者がいる男性とわかって近づく女性にも十分非があるように思いますが、それなのに悪役令嬢とその家門にだけ罪を着せるなんて……!」
あの日、学院の裏庭で見たベイジル王太子殿下とミレイさまの非常に仲睦まじい様子を思い出してしまい、わたしは無性にムカムカする。
すると、アデラインさまが一瞬キョトンしたあとで、ふふっと小さく笑う。
わたしは子どもっぽく感情を出しすぎた気がして、とたんに恥ずかしくなる。
「……アデラインさまはもっと怒ったほうがいいと思います」
「そうね、ベイジル殿下の軽率な行動に対して思うことがないわけではないけれど、でももう何を言ってもわたくしの言葉は届かないし、それについては諦めてしまっていたわ。だけどリゼ嬢がこうして怒ってくれると、とても心が軽くなる気がするの、不思議ね」
可憐に笑うアデラインさまを目にして、わたしはうっと胸を押さえる。
(とんでもない攻撃力だ──)
普段めったなことでは笑みを見せないあのアデラインさまの無防備な微笑み。これで庇護欲がそそられない男性がいたら見てみたい。本当にベイジル王太子殿下の目はどうなっているのだろう。
「……こほん」
とわたしは小さく咳払いして落ち着きを取り戻すと、紙に書かれた文字を指差して話を戻す。
「先日もお話ししたとおり、この未来に起こると予測される出来事、その時期の前後はとくに注意して、関係のありそうな場所には近寄らない、ひとりにならないことが重要だと思われます」
「ええ、そうね。約束するわ」
アデラインさまはしっかりと頷く。
「あとは、より確実に回避するためにどうすればいいのかですが……」
わたしが一番頭を悩ませているのはここだ。
アデラインさまも同じことを思っていたようで、わたしの言葉を引き継ぐように、
「たしかに、わたくしが事件を起こそうとしていない時点で未来は変えられると信じたいけれど、でも過去のときは結局変えられなかったわ。こうしてベイジル殿下の婚約者になって、学院にも入学することになってしまったもの。それこそ何か見えない力でも働くように、小説の物語と同じ未来に向かってしまう……」
アデラインさまの言葉に、わたしは静かに頷く。
そうなのだ。過去アデラインさま自身も未来を変えようと色々と行動していたにもかかわらず、なぜか小説と同じ出来事が起こってしまう。それは得体の知れないものに対峙しなければいけないような恐怖を感じさせる。
「はい、それが一番の問題のようにも思います。最大限回避に努めると同時に、それでも万が一事件が起こってしまった場合は、罪を着せられないよう事件を起こしていないこと、つまり『その場所にいなかった』『存在することができなかった』ということを証明する証拠や、事件を起こした本当の犯人がいることを証明する証拠などを提示できればいいかと思いました」
「そうね、それができればわたくしが事件を起こしていないと主張できるものね。ただ、その証拠が受け入れられるかは相手次第でしょうけれど」
相手は王族であり、次期国王となることが約束されている王太子殿下だ。その王太子殿下の判断がどれだけ力を持つかはわからないが、もし国王陛下をも動かしてしまうなら、いくら高位貴族の筆頭ウェイレット侯爵家といえどそれを覆すのは容易ではないだろう。
「国王陛下はどのようなお方なのでしょう?」
わたしは尋ねる。
わたしのような下位貴族の男爵家からすれば、国王陛下はまさに雲の上の存在だ。お顔を拝見する機会は滅多になく、どのようなお方なのか判断は難しい。それでも今の治世が安定しているところを見れば、他者を貶め、民を蔑ろにするようなお方ではないとは感じているが……。
アデラインさまは少し考えるそぶりを見せたあとで、
「寛容さもありながら、厳しさも持ち合わせているお方だと思うわ。そして、いずれ王位を継ぐ第一王子であるベイジル殿下を目にかけていらっしゃるようにも感じるわ。だからこそ、その基盤が揺るがないよう配慮しているようにも思えるわね」
「そうですか……」
それは、いざとなればベイジル王太子殿下を守るために動いたり、無理を通してでも殿下の希望を叶えてやったりする可能性もあるということだろうか。可能かどうか別にしても、国王陛下に無実を訴えるという最終手段はあまり期待できないのかもしれない。
わたしは頭を切り替えるように、
「あとは、ミレイさまがどういった行動をとるのかも気になりますね。今のところはベイジル王太子殿下と仲良くされている以外はアデラインさまに直接何かしたりすることはないんですよね?」
「ええ、今のところ何か言われたり、されたりはした覚えはないわ。それだけに今後のことが予測できなくて……。このままの状態がいいとは言えないけれど、それでもベイジル殿下とミレイ嬢がただ仲良くしているだけなら、わたくしが何かをしたわけじゃないから罪を着せられたりすることもないと思うの。それに簡単にはいかないけれど、婚約だって解消できる方法がまったくないわけではないでしょうし。でもこのまま婚約が維持され、ミレイ嬢に何か起こってしまったら……」
アデラインさまは表情を曇らせる。
その後もわたしたちは色々と意見を出し合い、万が一に備えた対策をいくつか練った。
気づけばもう夕方になっていた。
また次回続きを話し合うことにして、その日は解散した。




