夢の断罪はソアーヴェ
※ 時間軸的には31-32話の間の話です。
それは、私が一人先に退院して間もない二月始めの頃。
「それにしても莉音、すんなり受け入れたのね」
類先生のお見舞いの帰り道、不意にそう言ったのは恵茉ねえだ。
私を真っ直ぐ見る幼馴染は、誰の何を、とは言わなかった。だけど、言わんとすることはわかるから、頷いて返す。吐き出された恵茉ねえのため息が、一瞬だけ冷たい空気を白く染めて、溶けるように消えていく。
「一回くらい類さんのことフリ返して、自分がしたこと身に沁みてもらってもよかったんじゃない?」
「んー……。嘘ついてフリ返すのは私も辛いし、類先生もだいぶ堪えてたみたいだから、追い打ちをかけるのはちょっと酷な気が……」
「自分でフッておいて凹んでたら世話ないっていうか、自業自得……ってあれ?」
腕を組んで憤慨していた恵茉ねえが、はたと意外そうに目を瞬かせた。
「類さんから聞いたの?」
「全部かはわからないけど、ある程度は」
その瞬間に過ったのは、私がフラれたあの日の件で、入院中に改めて謝られたときのことだった。
***
「莉音の気持ちを無視して傷付けて、本当に悪かった」
そう言って類先生は、病室のベッドの上で深々と土下座をした。一瞬だけ床と自分の病衣を見た辺り、床でするつもりだったのが伺えて、かなり戸惑った。
「そんな改めて謝らなくても……」
「いや、あの時オレは断ることと、莉音に早く忘れたいと思わせることしか考えてなかったから……その……」
「敢えて、私が傷付く言い方をしたってこと?」
気まずそうに告げられた言葉に問い返せば、しっかりと頷き返された。
「だから莉音の気の済むまで、罵倒でも殴るでも、何でも遠慮なくしてくれ」
そう言われて、途方に暮れた。しかもこの間、ずっと類先生は土下座をしたままだ。その姿は見るに忍びなくて、落とし所を探しながら、類先生の傍にしゃがんで問いかけた。
「どうしてそうしたのか聞いてもいい?」
「え……?」
目を瞬かせた類先生の顔が、思わずという感じで私を見る。事実として彼がしたことと謝罪は受けたし、本当の気持ちも聞いたけど、理由はまだちゃんと聞いてない。おおよその予想はついてるけど、類先生の口から聞きたかった。
そんな私の問いに、類先生は少し躊躇った末、伏し目がちにポツリポツリと語った。
「オレが莉音の害にしかならないなら、いない方がいいと思ったんだ。元気に生きていてくれたら、それでいい、と。だけど、会いに来られたら決心が鈍らない自信もなかった。だから愛想を尽かすくらい嫌われればいいと思ったんだ」
「そっか……」
「本当にすまなかった」
また謝って土下座に逆戻りした類先生は、たぶん落ち着いてから改めて振り返りでもした結果、あの謝罪じゃ足りない、となったんだろう。もっと言えば、自分を許せないのかもしれない。そんな彼と私の妥協点を探して、心を決めた。
「じゃあ、顔殴らせて」
そう告げれば、顔を上げて正座した類先生は私を見たあと、静かに目を閉じた。些か潔すぎる彼の額に向けて、右の人さし指を勢いよく弾けば、ぺちっと音が響いた。
「これでおしまい」
笑いながらそう告げれば、額を僅かに赤くして唖然としていた類先生は、ハッと口を開いた。
「いや、デコピン一つじゃ絶対見合わないだろ!」
「じゃあ、断罪のために、付き合うのやっぱりやめるって言ったらどうするの?」
私の例え話に、類先生の動きが止まる。恐らく、彼が納得できるくらいのはそれと同等の何かだと思うけど、それじゃ本末転倒だし。何より、そのために殴るこっちも痛いから嫌だ。
なのに、しばし逡巡した彼は、真顔でとんでもないことを言い出した。
「それだけ傷付けたなら受け入りぇ……り、りほん?」
私がどうして『付き合ってくれませんか』という言葉を受け入れたと思っているのか。
その怒りを込めて、バカなことを宣おうとする類先生の口を思いっきりぐいーっと引っ張った。
「なら、デコピンを罰として受け入れて。私、自分で自分を責めてる人をさらに責め立てる趣味、今世でもないから」
私の言葉に、エメラルドのような瞳が見開かれる。
前世でも、自分は咎人だと言って聞かなかった頑固な人がいた。けれど、その人を説得したのは生きて帰ってきたルイスだ。
それを覚えてたらしい類先生の頬を放して言った。
「許すって決めたからここにいるんだよ、私」
「莉音……」
目覚めてから言われた『ごめん』の時点でとっくに許してたのに、改めて断罪なんか求められたって困る。
「本当にすまな……」
「それ以上この件で謝ったら、本当に付き合うの考え直すから」
みなまで言う前に唇を人さし指で押さえて言えば、類先生はギョッとした様子で口を噤んだ。そろーりと私を見る彼の顔に、どうしたらいいのかわからないと書いてあったから、もう少しヒントを出すことにした。
「類先生が貰いすぎって感じるなら、謝るよりも別の形で返してよ。それなら受け取るし、私と同じ気持ちなら嬉しいから」
前世で罰を求めた人にルイスは、『貰いすぎたと感じる分を恩で返したらいい』と提案していたけれど、私は類先生からの恩なんて別にいらない。リオンだった頃も、今も、彼から欲しい気持ちはたった一つだから。
最初こそポカンとしていた類先生だったけれど、ふと泣きそうな顔で微笑んだ。
「オレなんかの『好き』でいいならいくらでも」
「類先生なんかじゃなくて、類先生から――好きな人から貰う『好き』だから嬉しいんだよ」
そう言って笑えば、うっかりまた謝罪の言葉を口にしかけつつも、類先生はその言葉を私にくれたのだった。
***
類先生とのやりとりを思い出していると、じとーっと見つめる恵茉ねえの目とかち合った。
「だ、大丈夫。類先生が隠すの止めたら、いろいろ見えて来たこともあるから」
「例えば?」
恵茉ねえと二人で私の自宅に入り、暖房を入れながら思い返す。
「相手の前世を見てる人じゃダメだったのは、記憶がなかったときの私の方だったとか。たぶん、あのときの断り文句は、記憶がなかった頃の私に対する言葉で。類先生自身が自分に言い聞かせるための言葉だったんじゃないか、とか」
――オレが誰より何より、お前をリオンの生まれ変わりっていう肩書きで見てしまってるんだ。
脳裏を過ったのは、勢いで告げた告白に対する返事。あれはきっと、ご褒美と称して強請った初デートのときに話した『恋の相手に求める条件』に対する彼の答えだったんだろう。
「だから思ったの。類先生も一度は考えてくれたからこそ、あの言葉が出てきたんじゃないかって」
「……確かに。多かれ少なかれ望みもしなかったら、類さんの場合は想像すらしなさそうよね」
ティーポット片手に遠い目で言う恵茉ねえの分析は、たぶんあってる。ルイスだった頃もそうだったけど、恋バナに縁がないと言った類先生は、他人のそれにあまり興味がないようで反応は淡泊だった。そんな人が話の流れとは言え、私の好きな人をわざわざ聞いた意味をもう少しちゃんと考えるべきだった。
今更言っても全て後の祭りだし、結果オーライではあるけど。
砂時計をひっくり返し、ポットにケトルのお湯を注ぐ恵茉ねえの手元を見ながら、あの日の類先生の気持ちを想像した。
「たぶん類先生にとって、私をフルことは耐えられても、私が目を覚まさないことは耐えられないことだったんだと思う。……私も、そうだから」
私が目を覚ましても、類先生が起きなかった数日間。私だけ助かって、類先生だけあのまま目を覚まさなかったら……と、そう思うとすごく怖かった。前世でルイスを失いかけたときの絶望を思い出したのもあって、目を覚ますことを待つしかできないことの怖さがより実感できてしまったから尚更。
そもそも事の発端は、前世の私の願いだから、もしあのまま目を覚まさなかったら私のせいだし、誰が許してくれてもきっと私が私を許せなかったと思う。
そんな『もしも』を考えていた私に、恵茉ねえは苦笑と呆れを足したような顔でポツリと言った。
「フッたあとに耐えられてたかはかなり怪しかったと思うけどね」
「え?」
予想していなかった言葉に目を瞬かせれば、紅茶の入ったマグカップを私に差し出しながら、恵茉ねえは教えてくれた。
「類さんの本音を引き出すために一芝居打った陸さんが、『莉音をもらっていいんだよね』的なこと言ったら、ものすごい剣幕で掴みかかったの」
「眠る前に会ったとき、類先生と喧嘩したとは聞いたけど、そんな感じだったの?」
「あ、それとはたぶん別。莉音の入院を知る直前の話だから」
前世で喧嘩したところなど見たことない。いや、あることはあったけど、まだ二人が十代の話だ。成人したあとは遠慮のない軽口こそ叩き合ってたけど、本気の喧嘩をしていた記憶はない。
だから、短期間で二人がそんな喧嘩を二度もしたことに驚いた。
しかも片方は、陸先輩が私を彼女にもらう的な話が理由らしいけれど。そもそも大前提として、私が陸先輩を恋愛対象と見て受け入れるか否かというところがすっぽ抜けてる気がして唖然とした。
「自分でフッたのに勝手よね、全く」
ため息混じりな恵茉ねえの言葉に、誤魔化し笑いを返しながらソファーに腰かける。
全面的に同意ではあるけれど、それはそれとして、ヤキモチやいて怒る程度には思ってくれてたのは、正直嬉しかった。
「類先生、私が安全ならそれ以外は二の次どころか、自分のことは計算に全く入れてなかったんだと思う」
「でしょうね。陸さんに言われてやっと気付いたみたいだったし」
「……そうなんだ」
ルイスだったときはどういう過程で気付いたのか知らないけど、類先生はそれほどまでに鈍いのかと心に留める。前世でも女心にはだいぶ疎い感じではあったから、今世でも鈍さ前提に考えた方がいいのかもしれない。
手元のマグカップを眺めながら考えに浸っていると、気付けば、恵茉ねえの琥珀色の瞳が私をじっと見ていた。
「だいぶ鈍くて不器用な人みたいだけど、本当にいいの?」
後悔はしないのか、と。一人っ子の私にとって、恵茉ねえは友達であると同時に、いつも頼りになるお姉ちゃんで。前世だのなんだの、突拍子もないことを言い出しても笑い飛ばさずに受け止めてくれた。
そんな恵茉ねえに身体ごと向き直って、今の正直な気持ちを打ち明けた。
「鈍感でも、一人で背負って突っ走ろうとして間違えても、それでもやっぱり、私は類先生のことが好きだから」
――また間違えて傷付けるかもしれない。それでも、オレは……。
夢の中で類先生のくれた言葉が脳裏を過る。私だって間違えるし、類先生も完璧な人間なんかじゃない。また傷付くかもしれないし、逆に私が類先生を傷付けることだってあるかもしれない。だけど、それでも――。
「一緒に生きたいって言ってくれた類先生の隣にいたいの」
他の誰に反対されても、できれば恵茉ねえにはわかってほしくて、伝わることを内心で祈りつつ返事を待つ。その沈黙がやけに長く感じて、気まずさから手元のカップに口をつけたときだった。
「なるほど、告白通り越してプロポーズされたのね」
真顔で言われた言葉に思わず噴いた。咽せた私の背中をさする恵茉ねえを涙目で見上げれば、キョトンとした様子で幼馴染は言った。
「え、一緒に生きたいって、類さんのことだから、この先ずっとって話じゃないの?」
「そっ、それは……! そう、だと思うけど……。でもお互い学生だし、まだ結婚できないしっ!」
「できる年齢だったら、そのまま婚姻届出しに行きそうよね」
「もー恵茉ねえ!!」
恵茉ねえがしたり顔で言うときは、だいたい揶揄いが混ざってる。案の定、名前を呼べば『ごめんごめん』とクスクス笑う。わかってくれたらしいのは嬉しいけれど、自分でもまだどう反応していいのかわからない揶揄いは勘弁してほしい。
私が息を吐くと、恵茉ねえはマグカップを揺らしながらしみじみと呟いた。
「さすがにもう心配ないんだろうなとは思ったんだけど、そこまでの覚悟があるなら私も許せそうだわ」
「何を?」
「大事な私の幼馴染を納得行かない理由でフッて泣かせた従兄(予定)のこと」
「……恵茉ねえ、実は結構怒ってた?」
目を瞬かせながら問いかければ、少しだけ目を瞬かせた恵茉ねえは、ものすごく綺麗ににーっこりと微笑んだ。
「当然。八剣先生の件に関しては恩人だと思ってるけど、それはそれ、これはこれ。いくら莉音のためって言ったって、独りよがりで泣かせていい理由になるわけないでしょ」
「あ、あはは……」
鼻息荒めに言い切ってお茶を飲む恵茉ねえの怒りの先は私の好きな人だけど、内容は真っ当すぎて何も言えない。
そんな私を見て、どこか諦め混じりに息を吐いた恵茉ねえは、語気を緩めて言った。
「だから、莉音が許しても、私はちょっとやそっとじゃ許さないつもりでいたんだけどね」
「……もしかして恵茉ねえが類先生のお見舞いに、毎回濃縮青汁ばっかり持って行ってるのって……」
「入院してる患者さんには、とーっても健康的な差し入れでしょ?」
そう言って、恵茉ねえはここ一番で怖いと感じるほど、にっこりと微笑んで見せた。いつかの夢で見た怒りを滲ませたエマにそっくりな笑顔で。
私のときは手作りのお菓子とかお茶とか持ってきてくれたのに、なんで類先生には青汁のペットボトルなんだろう、とは思ってた。類先生は微妙に顔を引き攣らせつつも、何を言うでもなく一気飲みしてたから深くは突っ込まなかったけど。どうやら、恵茉ねえの静かな怒りを察して、黙々と飲み込んでいたらしい。
今日に至っては、青汁が好きなのかと勘違いした私の分もあって倍だ。恵茉ねえの理由を考えたら、私が怒ってると勘違いさせてる可能性もあって、ちょっと途方に暮れた。あとで連絡するときにちょっと探りを入れようと心に留める私を他所に、恵茉ねえは小さく息をつく。
「でも、莉音もちゃんと納得した上で許したみたいだし、明日からは普通にお茶でも持って行くわ」
「うん、そうしてあげてもらえたら私も嬉しい」
そう返せば、仕方ないなとばかりに笑った恵茉ねえが、『でも』と続けた。
「それはそれとして、また何かあったら相談に乗るから。そのときは遠慮なく言って」
「ありがとう、恵茉ねえ」
「どういたしまして」
まだ部屋は十分に温まってないけど、恵茉ねえが淹れてくれたお茶を飲みながら笑い合っていると、それだけで寒さは吹き飛んでいく気がした。
そんな私たちが、帰ってきたお母さんに、類先生の退院が翌日に決まったと聞くのは、それから数時間後のこと。結局、類先生が恵茉ねえから普通のお見舞いをもらう機会はなくて、その代わり、退院祝いに手作りの焼き菓子をもらうことになったのだった。
番外としてひとまず掲載してみましたが、もしかしたら31-32話の間に移動させるかもしれません。




