第17話『共犯者』
一夜明けて、今後の話し合いのために暦はカシスと対峙する。
機嫌の良さそうな死の女王に安心するも、昨日と今日の砦の雰囲気の違いには眉を顰めるしかなかった。
閑散としていたはずのこの砦、気付けば人の活気で溢れている。
「もしかして、謀りましたか?」
「謀り、というほど大したことではないですよ。私が怖がられているのは確かですけど、普段から怒っている訳じゃないですからね」
カシスに忠実な者には命令を出して、何かしらの用件で外出をさせておく。
残った者の態度で彼女は砦の人間の色を見ていたのだ。
あれだけ閑散としていたのは、彼女は意図的に妙な気配を漂わせたのもあるだろうが、根本には彼女への恐怖がある。
「俺のことがメインでも、他にもいろいろとやっていた、ということですか」
「ええ、私の派閥は頼りになる人がいませんからね。あなたも、私の配下になりたい、という訳じゃないでしょう?」
中々に痛いところを突かれてしまう。
カシスは暦に好意を抱いてくれているし、今のところは協力出来る部分が多い。
しかし、それは未来での関係を保証してくれる訳ではなかった。
同盟、というのもは両者が互いに利益を提供できるからこそ行えるものなのだ。
いくつかの弱みを既に握られている現状で、暦はカシスに頭が上がらないがまだ部下になった訳ではない。
彼女が全ての手の内を明かさないのも当然ではある。
「……はぁ、こっちに来てから胃に痛いことばかりですよ」
「ご愁傷様です。異界から来た方。私としても歓迎はしたいのですが、今はそういう状況ではないので」
「急ぐだけの理由がある、ということですか? エレインさんも含めて、妙に行動が早い」
端々に見えるのは余裕の無さ、である。
本来ならばカシスの行動ももう少し時間を掛けてやった方が確実だった。
実際には着任当日、というあまりにも早い段階での実行となっている。
暦が乗ったのが激突を早めた最大の理由だが、誘ったのはカシスである以上は、何かしらの理由があるとみるべきだろう。
「目敏いですね。正解です。昨日、兵士を出していたことも関係していますが、この砦を放棄する可能性があります」
「……それって、まさか」
「ええ、結界の縮小ですね。エレインが積極論を言い出すぐらいには切迫していますよ」
「いつかは、と思ってましたけど、今の段階でそこまで進んでいるんですか?」
セレナの誕生、そして暦の召喚。
女神の意図が何処にあったのかはわからないが、輝かしい未来が待っているとは思ってはいなかった。
神が再臨してなんとなる、というのならばわざわざ暦を召喚するようなことはないだろう。
覚悟が決まっていなくとも、その辺りの行動はしっかりとしていた。
情報を集めていたおかげである程度の目途は付いていたが、いざハッキリと言われると衝撃は大きい。
「エレインによれば、まだいけるとのことですが」
「座して待つ訳にもいかない、ですかね?」
「ええ。後は、この話、全体に影響があるので彼女としては北と南は死守したいようですね」
北側には最大の激戦区がある。
エレインが此処のラインを下げたくない理由は直ぐにわかった。
ただでさえ、魔獣側の方が本来は有利なのだ。
契約者が神よりはまともに戦えるとはいえ、勝てるかどうかは常に薄氷である。
カールのような戦闘狂でもない限りは、慣れた地での戦いをしたいだろう。
おまけにここは敵が最初に降りてきた場所に繋がっているのだ。
北の後退はそのまま、勝利からの後退へと繋がる。
「北はわかります。ただ、南は何故ですか?」
「あら、こちらも簡単ですよ。唯一の海に面した土地、大きな港町もあるので、ハッキリ言うと経済的な損失とかが大きいです」
「……なるほど、統治面での影響ですか」
「東と西の間には小さな村落、対して南には大きな村などもありますからね。あそこが下がるのは死活問題です」
北という最前線から遠く、魔獣の影響も少ない南側には人口密集地が多い。
結界が出来た当初、エレインが行った政策によるものだがそれが南を下げることが出来ない理由となっていた。
残った都市の中でも最大クラスの都市を失う可能性も含めてある意味では北以上に下げられない。
「南に彼女の派閥でも重要人物であるリーアが配置されているのも、その辺りが理由ですね。決して譲れない土地だからこそ、身内を置いている感じです」
「責任を取るため、なんでしょうけど上手い策ですね。反発もし辛い」
「エレインは実利と責務を釣り合わせるのが得意ですからね。彼女が聖王国を主導しており、方針で対立があるのは事実ですけど、手腕は誰もが認めていますよ」
カシスの支配領域が小さくなるのに、余裕を見せているのは彼女の勢力が自身の力によるものだからであろう。
多少面倒なのは確かでも、戦略面から考えても西と東以外からは削ることが出来ず、東も激戦区であるため、西の方を大目に下げるしかない。
「さてと、状況は理解出来ましたか?」
「あなたの立場も含めていろいろと。集めた情報だけではやっぱりわからない事の方が多いですね」
「今回の派遣を見るに、王族と繋がった手腕などは賞賛すべきことだと思っていますよ。エレインもあなたの再評価をしているはずでしょう」
「当面の壁になる人に評価されるのは微妙な感じなんですが……」
「あら、エレインは味方でもあるのですから、別に問題はないと思いますよ。敵だの、味方だの、と綺麗に線分けしたがるのは若い人の特徴ですね」
敵味方入り混じるのが、正しい在り方であると知っている女性には暦の感性は可愛らしいものと思えた。
暦もカシスの言葉に一理あるとは思ったが、モヤモヤとしたものが解消できない。
敵となりえる人物と上手く連携する、という状況に何とも言えないものを感じていた。
「悩みなさい。そこから見えてくるものも私はあると思いますよ」
「えーと……精進します」
「ふふ、では今後の予定、とやらについて決めましょうか。あなたの目標、その一端を開示してください」
カシスの表情が穏やかなものから引き締まった表情へと変わる。
仕事モード、とでも言えばよいのだろうか。
真剣な瞳は美貌と相まって、人の視線を奪うだけの力があった。
見惚れたことに内心で動揺しつつも、暦は自分の考えた手段を提示するため意を決し、口を開くのであった。
人の戦力化、つまりは全体の総合値の上昇手段として暦はゲームなどでよくあるファンタジーの定番たる魔法を作り出すことを考えていた。
単体で見ればそこまで大きな影響はないだろうが、総体としての意味は大きい。
契約者が強大な魔獣に集中し、個体としての戦力では組織としての連携が行える意味は多少頭が回れば直ぐに理解出来るものだった。
暦の覚醒した能力も新しい力の開発に多いに役に立つ。
「――と言う訳だが、中々に厳しい表情をしてますね」
「反論されるのは予想済みでしょう? では、簡単なところから行きますか。まず、人間を戦力にする意義はわかりますが、デメリットが大きくないですか?」
「人が減るとその分、信仰が減るとかですかね」
「想定している、ということはこれも織り込み済みですか」
カシスの言葉に不敵に笑い返す。
人間の戦力化というのは嘘ではないが、暦にとっては真実でもなかった。
1番重要なのは、契約者の力を解き明かし、ひいてはこの世界の仕組みに手を伸ばすことである。
「魔法、と暫定的に呼びますが、この力を生み出す過程である程度は自分達の力を把握する必要があります」
「……それは、もしかして」
「ええ、どうやって信仰を獲得してさらには強くなるのか。そもそも、信仰とは何なのかということから解明する必要があるでしょう」
人と神が契約したことで契約者となった者たち。
その後に、神と交配することで力を得た王族などと神の力を得たものたちにも種類が存在している。
これらの違い、つまりは差異には理由があるはずなのだ。
神がいなくなってからも力が使える契約者とは何なのか。
神の力とは、一体どういったものを指し示すのか。
使えるからと放置していたものを暦は読み解こうとしていた。
「もし、仮の話ですが、僅かにでも判明すれば」
「それこそセレナ以外の神の再臨も可能かもしれない。契約の残照――かつての神の名残はあなたたちの中にある訳ですしね」
「っ……本来は不死であるはずの神が復活出来ていないのは、魔獣たちの技ですが、その部分を解き明かす、ということですね」
「結果として、副次的にですがいろいろとやれるようにはなると思いますよ」
人間の戦力化、というわかりやすい部分は名目として掲げたものである。
裏にあるものも、別に隠すほどのではないが保守的なものほど反発はするだろう。
建前、というものの大事さは暦もよくわかっている。
ある程度は反発し辛い目標を掲げておく程度の小細工はするつもりだった。
「誰もやっていないことです。全てが万事順調とはいかないでしょうけど」
「だからこそ、得られる利益は大きくなる、ですね。ふむ……しかし、反発が強そうな案ですね」
「まあ、その辺りも考えてはいますよ。今、あなたにこの事を話したようにね」
神の謎を解明することによって暦が得る利益は大きい。
結果として魔獣の秘密も解き明かせるかもしれないのだ。
この辺りを材料とすれば、説得は難しくないだろう。
暦も別に無理をして神々の神秘を解き明かしたい訳ではない。
あくまでも本題は魔獣殲滅にある。
「最初から真の目的を話してもあれですし、逃げれなくなってから巻き込んでしまえばいいでしょう。ちょうど、こんな感じに」
「……やられましたね。この話をエレインに流すのは難しそうです」
「今の俺はどこまでいっても、あなたの下ですからね。単独で勢力でもあれば話は別ですけど、あの人の警戒はどう考えてもあなたが主体でしょう」
暦も何も考えずに情報を全面開示している訳ではない。
カシスは共犯者として巻き込んだ方がメリットが大きいと判断したのだ。
実際、今の暦には何をしようとしてもいろいろと足りない部分が多い。
補える部分を持つカシスとの同盟はメリットだらけなのだ。
カシス側にも暦との同盟のメリットは大きい。
そもそも神とセットになっている契約者という価値があるのだ。
そこに何やら凄いことを言い出した頭脳がおまけで付いてくる。
今はまだ結果が出てないため、山師以上ではないが、ある程度は理解出来るだけの知性があるため、嘘とも言えないのがカシスの判断を難しくしていた。
カシスは瞳を閉じて、何かを計算する。
本当に一瞬の間、しかし、その一瞬が世界を左右する決断となった。
「……そうですね。いいでしょう。私が人員などは集めます。あなたのことですから、ある程度の目途は立っているのでしょう?」
「まあ、そこは当然ですよね。流石に何もない思いつきだけで言ってたら詐欺師と変わらないです」
妙に自信があったのも、自分がそっち方向に特化した能力を発揮するとわかっていたからかもしれない。
無意識下であっても、考えるべきことはしっかりと考えていたのだ。
「ある程度の成果は出るまでは私は王都の指示に注力します。勿論、仮に上手くいかなくても見捨てはしないですよ。戦力としての意味はありますからね」
「変わりにあなたの下になって、以後の行動に制約が付くんでしょう? 精いっぱいやりますよ。数日で成果を出せ、とかはやめてくださいよ。一応、前代未聞の試みなんですからね」
両者の合意が出来た時点で、話し合いの方向性は実務の方へと向かう。
何処かピリピリとしか空気が漂っていたのが、落ち着いたものとなったのも合意が取れたのが大きい。
これ以後の話し合いは大筋の目的をどのように達成するかに集約される。
方針の違いからの対立はあっても、激突は起こらないのだ。
「やろうとしている困難さは理解していますよ。ただ、成果が出るまでは大規模な支援は難しい、というだけです」
「スポンサー、という訳ですね。了解です。微力を尽くしますよ」
「……ああ、そういう意味の言葉ですか。ええ、間違ってないですよ。あなたが成果を出して、私の共犯となってくれるのも待っています」
暦が発する言葉の中には当然、この世界では存在しないものがある。
カシスは言葉を『世界』から拾い上げて、翻訳していたが、普通の人間にはこういったことは難しい。
完璧に言語が適応しているからこその陥穽。
自分がやらないといけないことの難しさを改めて見つけてしまい、額に汗が浮かぶ。
「ど、努力します。……そうか、人間相手だと、もっと考えないとダメなのか」
思ったよりも難業になりそうだが、ワクワクするものもあった。
こういった物作りは嫌いではないのだ。
プラモデルのように実体があるものではないが、だからこそ遣り甲斐はあった。
趣味と実益を兼ねる、ではないがどうせやるのならば楽しい方が良いだろう。
「それでは、これからよろしくお願いしますね」
「勿論。若輩者ですが、精いっぱい、努力させていただきます」
契約は完了し、実に良い笑顔をした2人が握手をする。
今川暦という人間をこの世界に刻み込む作業の第一歩はこうして始まったのだった。




