第15話『魂』
女と女の意見がぶつかり、運命を予感した刹那。
場を塗り替えるために遠方から放たれた1つの軌跡。
カシスが知らない方法での攻撃、暦の返礼が彼女の下へと届いた。
「なっ!?」
セレナごとミサイル群はカシスを吹き飛ばす。
紛いなりにも人質がいる場所に叩き込むべきではない数を一切の躊躇なく暦は叩き込んだ。
セレナに対する信頼もそうだが、これくらいで相手が死ぬような生き物ではないということを悟っていたからでもある。
「……この、首筋にピリピリとくるのは!」
煙に包まれた一角から強大なプレッシャーを感じる。
脳裏に過る恐怖、震える身体を気合で制御して、暦は敵と対峙する覚悟を決めた。
暦の確かな戦意の発露に呼応して、闇と死の契約者が動き出す。
「顕現せよ――我が魂!」
世界に轟く超越者の宣誓。
魂を発露させる契約者の第1段階。
カシスが未熟な契約者を前にして、契約者の契約者ある由縁を見せ付ける。
「っ――! こいッ!」
「意気込みは良し。しかし、私を止められますかね!」
「止めてみせるさ!」
「ならば――やって見せてくださいなッ!」
夜の衣を翻して、最古の死神が自己の魂を喚起する。
世界に対する宣戦布告であり、同時に自己を曝け出す苦行。
相反する行為を一纏めにした契約者の必殺技。
必ずしも自分が望む部分が喚起される訳ではない諸刃の剣を携えて闇の乙女は飛翔する。
「闇を纏い、死を運ぶ我が腕――どうか、切に願う。誰か私を掴まえてっ!」
自己のルールが世界を書き換える。
結果として、一切の見た目は変わらないままに彼女が知覚できる世界は今までとは異なる場所へと変貌していた。
魔獣側の支配領域は基本的に暗い感じの場所ではあるが、夜の闇とはまた異なっている。
人と魔獣の境界線――そんな場所を覆い尽くす原初の闇が姿を見せていた。
闇が展開されると共に暦に掛かる圧力も上昇する。
「なるほど、これはヤバイな! 闇、とはこういう怖さか!」
瞳に力を集中させて情報を読み取る。
カシスの身体から放たれた黒い霧のようなもの。
徐々に広がっていく霧の支配地域、それこそが今のカシスのルールが及ぶ場所である。
付加されたルールは単純明確。
闇に属さずにこの領域に接触したものたちを問答無用で死という夢へと誘う。
「この闇、触れれば終わりと心得なさい!」
「言われずとも!」
素手で突っ込んでくるカシスに暦は全神経を集中させる。
支配領域はそこまで広くはない。
武器であり、鎧でもある闇はカシスの全身を覆うくらいで留まっていた。
わかりやすい武器はないが、これこそがカシスの戦闘スタイル。
この強力無比なルールこそが、彼女の強さの秘密であり、単独で勢力となってしまうほどの力だった。
彼女を倒すにはエレインもしくは、カールを担ぎ出す必要があるという時点で聖王国内での序列がよくわかる。
「――つまりは、俺も同じステージに上がる必要がある!」
先ほど放ったミサイルを含めて力を応用した武器の創造は大したレベルのものではない。
生み出した、ということは格下のものならば無効化も容易いのだ。
あの程度では上の段階には絶対に通用しない。
小細工が上手くいくのは両者の格差が絶対的ではない時の話である。
天秤に乗ってすらいない状態で、天秤を動かす細工をしても意味がないのだ。
暦が成さねばならないことはたった1つ。
相手と同じ領域に立つことである。
やり方は既に見た。
後は、羞恥心といった人間らしい情動を投げ捨てるだけである。
「顕現せよ――我が魂!」
叫ぶのは魂の希求。
知性だの、成長だのでは変化しない刻まれた生き様――根源とも言うべき部分が少しだけ顔を覗かせる。
「揺れ動き、不確かなる我が信念――されど、此処に誓う。決して、君を裏切らない!」
暦の本質というべきものが紡がれた。
同時に変化が訪れる。
日本人らしい黒髪、黒目から緑の髪と緑の瞳へと姿が変わっていく。
覚醒――いや、脱皮というのが正しいのだろうか。
セレナという補助輪を付けていた状態でなんとか至っていた場所に自力で彼は辿り着く。
惑い、揺れ動くのは死ぬまで、それこそ死んでも変わらないのかもしれない。
苛烈なように見えて、暦はどこかに迷いを残す。
何処かにもっと、良い道があったかもしれないという未練を感じてしまうのだ。
凡人の性、ありもしない道を妄想することで自分を慰める自慰行為。
しかし、1つだけは約束すると天地に宣誓した。
何があろうとも君を裏切らない、と。
新しい同朋の青臭い叫びに先輩が祝福を送る。
「ふふ、おめでとうございます! ここに至れば、1つの答えは得られますよ!」
「ありがとう、先輩。気分は晴れやかで、確かに答えを得たような気持ちにはなっているよ。同時に恥ずかしくて、死にそうだけどな!」
「お互い様ですよ。私なんて1000歳を超えて、これを言っているんですから。あなたはまだ年齢相応な分マシでしょう?」
「ああ、そうだな! 何より、楽しいのが微妙に癪だよッ!」
諧謔に飛んだ口調は普段とは少しだけ異なる様子を見せていた。
仮面を被った出来損ないではなく、真実の姿として暦は尊大な態度を身に付けている。
超越者のように振る舞ってみたかった。
やってみたかったことの尽くを、彼は諦めてきたのだ。
器ではない、社会的ではない、やってはいけない。
常識としては誤ってはいないが、押し殺したものによる鬱屈は常に感じていた。
この世界にやって来ても、どこか良い子でいようとしたのはそのためである。
世界を紛いなりにも維持している英雄たちを殴りに行く理由が、気に入らないではあまり賛同は得られないだろう。
常識的に判断した感性は至極正しいものであった。
「なるほど、思うがままに振る舞うってのはこういうことか!」
「解放感がありますか? ええ、同感です。麻薬のようなものですので、正気になると非常に辛いですが、『今』はあまり関係ないですよね!」
「これでも常識的な奴だと自負しているのでね! ――ああ、こんな風に暴力を振るいたくなることがあったよ!」
「ふふっ、素敵な笑顔ですよ。今までの何かに耐えるような表情よりも、そちらの方が好みですね」
刹那の快楽に身を委ねる。
真面目や実直とは言えないが、反社会的とも言えない。
今川暦はそんなごく普通の良い子だった。
家庭は中流、父と母の仲は悪くなく兄弟はいない一人っ子。
典型的な現代っ子の1人として、テンプレになってもおかしくないぐらいには普通の人間だった。
しかし、既に運命は変わっている。
一体、何処が気に入ったのか、そもそもどうやって暦のことを知ったのか。
疑問は後から大量に湧き出てくるが、もはやどうでもよかった。
神が契約者を選ぶのに、打算は存在しない。
無邪気な人格を持った事象たち。
ある意味では自然の落とし子である彼らは人間的な情動がそもそも合わないのだ。
計算などしない、あるがままに敵を凌駕する。
だからこそ、神々は魔獣に敗北した。
神を滅するために生まれた彼らは、質で劣ろうとも覆せるだけの相性というものが存在したのだ。
相性を凌駕するのは、ただ圧倒的な力だけであり、神はその領域には届いていなかった。
この苦境も、現在の戦況も、全てはそこに帰結している。
「褒め殺しか!」
「正当な評価です。――ええ、あなたという人間も知れました。そして、こちらについても知っていただきました」
笑顔のまま、両者は攻防を続ける。
やっていることは一撃必殺を持つ相手から暦が只管逃げるだけの鬼ごっこであるが、これは仕方のないことだろう。
自覚したばかりでカシスに勝てるほど、この国の頂点は甘くない。
1つの勢力を代表するほどの存在に勝つには切り札の1つや2つは必要だった。
「人柄はわかりました。認識の齟齬もない。私たちは正しく同じ敵を見定めている。では、後は――」
暦が知りたがったことをカシスは提供した。
つまり、今の暦はカシスに借りがある。
思惑の一致、魔獣の裏にいる存在も含めて、カシスは絶対に彼らを許さない。
勝つためには策を巡らす必要があり、同時に強大な力を必要とする。
カシスは力を持っているが、策には些か自信がない。
知性が大きく上昇しても、策士に成れるかは別の話である。
1人での戦いは既に限界に来ていた。
そこに現れた、非常に都合の良い人物。
彼女の目的を達成するためにも、決して逃さない。
「――力を見せていただきます!」
攻めは苛烈に、闇の女神が次のステップへ暦を無理矢理ひっぱり出す。
2人のダンスは、まだ始まったばかりだった。
神や契約者の力の段階は3つ。
1つ目が自己の本質を表出させること。
これは基礎であり、自分を認めれば誰にでも出来る簡単な領域の力である。
この段階でも契約者の力は魔獣の群れの壊滅させるだけの力を持っており、彼らが真実、一騎当千の怪物であることを教えてくれた。
そして、次の段階。
ここからが、契約者が戦闘者としての性格を表に出す段階。
己の本質を刃となし、立ち塞がる壁を砕くのだ。
「魂、紡ぎて刃と成す――転心、『冥府・永久への旅路』」
2段階目――己の魂、心を武器と成す。
カシスの手に生まれた巨大な鎌は命を刈り取る死神の証。
彼女は戦神にあらず、されど『命』の専門家である。
終わらせることに特化した存在が、一切の手加減なしに暦に襲い掛かった。
「くっ!?」
「ふっ!」
女性の細腕で軽々と鎌を振るう。
自分の心を武器にする。
言葉にするのは簡単だが、剥き出しの魂は一切の虚飾を許さない。
自分から目を背けていてはこの『武器』は扱えなかった。
「あら、避けるだけでよろしいんですか? ――このまま、終わらせますよ」
妖艶の微笑みと共に、暦の背筋に悪寒が走る。
殺気などは感じ取れないが、生命体の端くれとして命の危機は感知することが出来た。
とにかく距離を取ることだけを考えて、展開した力場に強く念じる。
速度の上昇ではなく、距離という概念の変化。
神の領域の技での離脱。
逃げとして使うには中々に豪華な技であるが、
「させません」
「はあァ!?」
カシスの気迫共に放たれた力が暦の集めた力を消し飛ばす。
上位の領域の技が、下位の技を消し飛ばした。
やっていることはそれだけだが、致命的な問題でもある。
神と神の戦いで、上下あっさりと決まってしまったのもこの辺りが原因なのだ。
出力で上にいかれるとどうにもならない。
神の全員が須らく力押しばかりだったのも理由の1つではあるが、戦闘における真理でもあった。
策略などは秤を動かすための手段なのだ。
そもそも、秤にのらない程に差がある場合ではどうにならない。
最上位の戦略とは、戦わずに勝利すること。
『死』に特化した生きる者にとっての鬼門は暦に対しても例外なく働く。
「だったら――」
確実に逃げる手段を潰されて、暦は前に出ることを余儀なくされる。
勝算がない訳ではなかった。
力押しされるのは両者に差があるためである。
理屈としては、差を埋めれば抗戦は可能だった。
能力の極悪さも、同格ならばある程度は拮抗出来る。
特殊能力に頼った強さであるカシスは本質的には戦闘者ではない。
暦も他人にどうこう言えるほど戦いに精通している訳ではないが、現代日本という文化レベルではこの世界を圧倒する世界出身の彼にはわかることがあった。
すなわち、特殊な能力には特殊な能力で対抗すればよい、ということである。
「魂、紡ぎて刃となす! 転心――『光輝・真理の瞳』」
契約する神との特徴。
現在のセレナが纏っているのは、神であるという性質のみである。
よって、反映される力は純粋に今川暦という人間の本質を映し出す。
光が瞳に集い、今までとは異なる光景を見せる。
与えられる莫大な情報、瞳が暦の見通せる範囲の未来にまで力を伸ばす。
武器は武器でも、戦うための力ではなく何かを探求するための力。
武ではなく智に長けた者として、持てる力の全てを発揮する。
「見えるぞ!」
「そちらが其処に至るなど、想定済みですよ。言ったはずです。私はあなたを、高く評価している、と!」
「だが、対策は出来ていないだろう!」
真理を見通す瞳が、カシスの攻撃から未来を導き出す。
どれほどの戦闘能力を持っていようが、当たらなければ効果を発揮出来ない。
カシスが振るう死の鎌は同じ領域であっても直撃すれば死は避けられないだろう。
ならば当たらない未来を見通せばよいのだ。
敵の動きを解析し、分析し、丸裸にしてしまう。
「あらあら」
「くっ!」
闇を纏った鎌が直近を通り過ぎる度に寿命が縮んでいく。
暦の瞳は未来すらも見通す神の瞳だが、当然上限はある。
熟練者を簡単に超えられると思うほど彼は楽観的ではなかった。
攻撃が交差することすらもない戦場。
只管にカシスが攻めで、受けは暦。
繰り返されるダンスが中盤に差し掛かった頃、闇の乙女が感慨深く呟いた。
「ふむ、なるほど。あなたはそちらの系譜ですか。ふふっ、悪くない。ええ、本当に悪くない能力ですね」
カシスは敵が自分とは中々に噛み合せのよい能力を持っていることを、既に察していた。
未来を知っているかのように、カシスの振るう鎌の軌跡を避ける。
如何な必殺も当たらなければただの空振り以上にはならない。
カシスの纏う闇の衣は死の属性が付与された絶対の鎧でもあるため、簡単に貫かれるようなことはあり得ない。
攻撃と防御の双方で聖王国でも随一の強者。
戦闘者ではないが、生きた年月の長さから経験は豊富である。
「このまま続けても、ということですか」
暦を仕留めるだけの手段はある。
必中ではない必殺攻撃の弱点など、彼女が1番知っているのだ。
対応策はあるし、それを使えば初見の相手を殺すことは容易い。
暦の『真理の瞳』が未来を見通したところで、対応出来ない力であればどうにも出来ないだろう。
「汎用性の高さ故に、事前の準備が必要……。まさか、ここまでとは」
暦の力の方向性、目標をある程度把握することは出来ているのだ。
これ以上は、カシスの気分を高揚させる程度しか意味はないだろう。
第3段階――異界を組み上げる術を使えば、ここは文字通りの意味で『冥府』と化す。
多少未来を見つめる程度では意味がないのだ。
「……ここまで、ですね」
彼女は戦闘者ではない。
目的を達しているのならば、これ以上は無意味だろう。
「――わかりました。あなたの力と意思、確かに見させていただきました」
「……お眼鏡には適いましたか?」
鎌を消し、カシスは武装を解除したことを暦に示す。
瞳に集っていた輝きを消し、暦もゆっくりと地上へと降りていく。
荒れ果てた森の一角で向き合う2人の男女。
「ええ、申し分ないです。あなたがいれば、私の行動を早々に潰されることはなくなるでしょうね」
カシスが前衛、後衛を暦という組み合わせはこれ以上ないほどの良相性である。
攻撃を当てないといけない女に必中させるために最適な情報を持つ男が付くのだ。
敵からすれば悪夢の組み合わせだった。
「では、俺は認められたと?」
「もう、せっかちですね。落ち着きのない男は嫌われますよ」
「ぐぅ……すいません」
姉のようにカシスは逸る男を諌める。
頭脳派を気取っているが、本質的には暦は力押しが好みなのだ。
細かいことが増えると投げ出したくなる性質だった。
カシスは反省した表情の新しい同盟者に苦笑しつつ、本題を切り出す。
「――認めましょう。共に戦っていただけますか? 『真理の探究者』」
「よろこんで、『冥府の女王』」
西の地で新たな戦いの息吹が誕生した。
今はまだ小さな同盟、しかし、彼らこそが動き出す時代の旗手となる。
何をなすのにもまずは力が必要であり、力とは武であり、智であった。
敵ではないが味方ではない者たちと、強大な敵という厄介な2つに挟まれながらも彼らは進む。
聖王国歴2000年、運命の車輪がついに大きく動き出したのだった。




