第14話『見えてくる敵』
神とは何なのか。
そもそも、カシスの中にもその答えは存在していない。
暦よりは何たるかを心得てはいるだろうが、解答は存在していなかった。
「あれは……黒い影か?」
『そうよ。当時の私は、強いて言うならば子どもらしく親の言いつけを破って遊んでいるところ、とでも言えば良いかしら』
「な、なるほど……」
結果、彼女は道に迷い、森の中を彷徨っている。
暦がいた世界でもそうだが、文明が未発達の時に下手な冒険をしようものならば大火傷で済まないのは言うまでもないだろう。
幼きカシスも、命自体は助かるが大切なものを失うことになった。
『察しは付くでしょうけど、この時までの以後の私には強い断然があるわ。普通ならば、成長で終わることでも、何かの介入があれば不自然さは生まれてしまう』
「……これは」
厳密に何が行われたのかは、カシスの記憶の中にもないのだろう。
黒い影のようなものが迫り、彼女を飲み込んだ次の瞬間。
意識を取り戻したカシスが見たのは、人型の闇だったのだ。
「……似ている?」
今のカシスと外見上の相違点がいくつか存在している。
そっくりそのまま、という訳ではないが姉妹、と言って通じる程度には共通点があった。
目の前で行われた神と人の交わり。
相当なレアケースなのだろう。
暦が出会ったセレナは最初から人型をしていたのだ。
少なくとも不定形のガスのような存在ではなかったのは間違いない。
『後のことにそれほど特別なことはないわよ。彼女は私に名乗り、私はあの人の契約者となった。まあ、平坦な道ではなかったとは思うけどね』
「いえ、あなたにとって大切な思い出でしょう。ここまで見せてくれただけでも有り難いです」
神がカシスの姿になったこと、最初は不定形だったことも含めて必ず意味が存在している。
暦の確信を補強するかのように、その後の日常の一幕が唐突に差し込まれた。
「これは……」
『あなたが、知りたかったであろう、と私が判断したことよ』
大人の美女の姿をした闇が、まだ子どもの姿のカシスと楽しそうに遊んでいる。
カシスは神との契約によって、急激に知性を発達させているが、まだ子どもなので状況は理解出来た。
問題は神が同じように子どものような姿を見せていることだろう。
かと思えば、数日後には流暢に会話をこなすようにもなっていた。
まるで、人が成長する期間を短期間に詰め込んだかのように、神は急激に変化している。
「…………」
『神は、生まれながらに超越者だけど、相応しい格があるかと言えば答えはいいえ、となるわ』
神は人型をしているが、最初は人間らしくはないのだ。
子ども、というのが1番ピッタリなのだろうか。
彼らに善悪はなく、その力はいるだけで人間を傷つける。
そして、最悪の場合には周囲に生きている人間を全滅させてしまう。
信仰を失い、元の現象に戻ってしまった神の大半はそのようば滅び方をしていた。
「信仰……、それが神のエネルギー」
『神様は人の祈りから生まれた。ふふっ、不思議よね。私たちは言葉として彼らを『神』と定義したわ。実際に相応しい力も持っている』
「だけど、どこから出てきたのかは、わからない」
『あなたが奇妙に思っているのはその辺りなのかしら? ふーん、確かに言われてみれば
不自然ではあるわね』
暦がこの世界に来てから感じた違和感。
ここに来てそれが最大レベルで噴出してくる。
まるで、誰かがそのように生み出したとしか思えないほどに綺麗に間が抜けているのだ。
「順序が、おかしいだろうが」
神という存在がいるのは100歩譲って納得は出来るのだ。
世界を実際に創造したのが神とは何なのか、という哲学的な疑問を脇に置いておけば実際にいるものを認めるのは難しくない。
問題は発生の順序である。
人がいないと成立しない。
では、最初に生まれでた神と最初の人間の関係性。
そもそもこの世界はどうやってそうなったのか。
さらには神はどうして、人型を取るようになるのかと次々に変な部分が見えてくる。
『……私たちはこれが自然なのだけど、あなたには違和感が大きいと?』
「ああ、そもそも歴史の始まりすらも微妙だ。あんたたち、文明の最初期にしては発展ししぎなんだよ」
人が誕生した黎明から神が生まれる余地はある。
なのに実際に活動していた経歴はエレインなどの年齢から逆算できる範囲でしかない。
2000年前は確かに個人の尺度では長いが種のレベルで見れば短いとしか言いようがなかった。
信仰のエネルギーが人からしか発生し得ないと仮定すれば疑問は解決するが、今度はどうして人から出てくるのか、という問題が出てくる。
「……ここから先はあなたの個人的は歴史になるのか?」
『ええ、と言いたいけど流石にこれ以上はまだ早いわね。ふふ、でも、あなたとしては知りたいことを知れたし、見れた感じなのかしら』
カシスの言葉に不敵な笑みを見せておく。
エレインには負けるが、1500年ほどは生きている最古の契約者の1人から得られた情報は重要なものだった。
他の者にとっては何でもない常識なのだろうが、異世界から来た暦には重大な差異である。
よくわからない神とよくわからない魔獣。
この2つの発生源が共通している可能性はあるのだ。
「感謝します。貴重なものを見させていただきました」
『礼には及びませんよ。私もかなり楽しかったです。もし、ですけど、あなたが私を引き入れたいと思っているのならばヒントをあげましょう』
やけに好意的な様子に若干戸惑うが、受け取っておいて損はない。
暦は謎の空間を睨みつける。
目は口ほどに物を言う。
意思を表示する部位として優れた箇所ではあった。
『あらあら、そのような瞳をされると少し疼きますね。ふふっ、度胸に免じて口を滑らせると、『私』と私は強い殿方を必要としています。……この意味をよく考えてくださいな』
強い殿方。
単純に考えればカシスを圧倒するような武力になるのだろうが、それほど単純だとは思えなかった。
2重人格、いや、多重人格を持つ超越者という厄介極まりない存在。
しかも司る属性は死と闇という役満状態なのだ。
敵意を向けるような必要はないが、警戒を怠る訳にもいかない。
この空間とて、その気になればいつでも暦を殺すことは可能かもしれないのだ。
自分が相手の巣にいるのは重々承知していた。
「ゆっくりと考えさせて貰うさ。今日は貴重な体験をありがとう」
『いいえ、では、ごゆっくりと夢へとどうぞ。神を宿した、ペテン師さん』
「何、護衛対象と一緒になれるから便利だと思って使っているだけだよ」
『今回はそういうことにしておきますよ』
声が遠のいていく。
再び意識は闇の中へ引き戻される。
夢の中で気を失うという貴重な体験をしつつ、暦はどこか暖かさも感じる闇にその身を委ねるのであった。
この世界へとやって来て、暦に引っ掛かっていた疑問がある。
すなわち、急激に成長した知能などを含めて、自分は本当に『今川暦』なのか、ということだった。
変化とは成長であり、厳密には昔のままの人間などいないのだから、全員が別人になったという表現をするのは間違いではないだろう。
今回のことも外的な影響が強かったとはいえ、そのように割り切ってしまえばよかったのだ。
しかし、暦にそれは出来なかった。
発達した知能の弊害。
早い話が、考え込んでしまったのだ。
成長した頭脳が疑問として感じたことを疑問のままに置いておくことが出来なかった。
いろいろと理由を付けていたが暦は納得出来る答えが欲しかったのだ。
すなわち、『自分』とは何かということの答えを欲したのである。
「……っと、思っていたのだが……」
目を覚ませば、割り当てられた部屋に1人で横になっていた。
同化してきたはずのセレナの気配は存在していない。
神という存在の生態についてはまだよくわかってはいないが、遠くにある身体をこの場に呼ぶことも出来る。
暦の中からいなくなったということは、身体もこの地に召喚されているのだろう。
誰が暦の中から同化していた彼女を剥ぎ取ったのかなど、考えるまでもなかった。
現実感のない中、頭は徐々に働き始める。
「あー……鬱になる。こう、なんというか、黒歴史を見た気分だ」
今の暦にはそれどころではなかった。
手に入れた情報と、先駆者の得た1つの結論。
暦はよくわからない空間でそれらの情報を手に入れた。
いろいろと代価も払っているが、暦としては収支は取れている。
物事を成すにおいて、最も重要なのは組織力でも、才能でも、資金でもない。
やり遂げる、という意思である。
この世界に呼び出された暦はほぼ全ての行動で受け身だった。
何をするにしても、情報を手に入れてから。
別に間違ってはいないが、あれこれと理屈を付けて遠回りをし過ぎであろう。
拙速がよい訳ではないが、早いということが1つのアドバンテージなのは疑うべくもないことだった。
何より自発的に行動しない限りは、利益の総取りなどやれるはずもない。
「自分が何者か、なんて答えが出るはずもないか」
考えても仕方がないから、もうやめよう。
思考放棄であるが、割り切ることが出来るのも強さの1つであり、凡人の処世術だった。
昔の自分もこんな悩みではなく、些細なことをこのように割り切って考えていた。
「――そうだよ。あれこれ悩むのは終わりだ。俺は、この世界に俺としての証を刻みたい」
1度死んだようなものならば、怖いものはない。
少なくとも、人間にとって最大の脅威となるものの1つは味わったのだ。
恐怖とは、未知なるものへ感じる感情である。
答えはなく、ぼんやりとした形でしかないが何かが見えたことには意味があるだろう。
「だったら、最初にやるのは簡単だ。先輩として、相手になってくれると言うのならば――」
超えてやるのが男の義務というものだ。
素直に正面からいくような性格ではなく、友情や努力よりも知恵と工夫の方が好みだが、そうも言っていられない時がある。
ベットから身を起こして、魔獣側の領域と接する方向に視線を向ける。
「見せてやるよ、俺が生み出した力」
いろいろと悩みながらも身体は前に向かって進んでいた。
その証を見せてやろう。
闇と死を司る女王に妙な対抗心を燃やしながら、暦は部屋を飛び出していく。
知性故に自制していた感情が解き放たれる。
重しを解かれた最新の超越者は、古き者たちには思いもつかない叡智を世界に見せ付けるために走り出す。
運命の歯車が確かに動き出し始めた。
神々の時代は終わり、契約者の治世へと移り変わっていく。
人と神、その狭間に立つものたちが選択する時は近づいていた。
契約者が真の力を発揮するには3つの段階が必要になる。
1つは自らの魂を顕現させること。
これは簡単に言えば、自己が課すルールを世界に宣誓することとなっている。
契約者としての初歩であり、基本であるとも言えるだろう。
暦を除いた契約者はそれこそ、呼吸のように容易くこの段階へと移行することが出来る。
この時点でも熟練者は魔獣側最大の脅威である『ドラゴン』を容易く仕留める領域に至ることが出来た。
比類なき超越者たち、それこそが契約者であり神なのだ。
この世界における絶滅戦争の初期で神の勝利を人々が疑わなかったのも無理はないだろう。
同じ段階を経るが、神は契約者よりもさらに強かった。
この認識に齟齬はなく、神を倒した魔獣という存在に怯えてしまうのは無理からぬことである。
「――そう、最後の神様。セレナ様、とお呼びしても?」
「ええ、問題ないですよ」
何処か今までと違った大人びた仕草でセレナはカシスに返事をする。
古参の契約者であるカシスは特に気にした様子も見せずに、穏やかに微笑みながら問いかけた。
それは彼女が長年、疑問に思っていたこと――魔獣が神に勝利した原因とも言えるべきものについてだった。
「こういうと自画自賛に聞こえるかもしれませんが、私が契約した方はそれは強い方でした。単純な戦闘能力ではカール様が契約したかの戦神にも匹敵するでしょうね」
司る属性の特殊さも加味すれば、厄介さでは遥かにカシスが敬愛した存在の方が上であろう。
だからこそ、彼女も最初は信じられなかった。
冗談だと思うだろう。
『死』を司るはずの神が、死んでしまったなど、笑い話にもならない。
「おかしい、と感じた。だから、理由を探しました。案外、簡単に答えは見つかりましたよ。私たちの戦いにおいて、『場』というものはとても重要です」
契約者が力を発揮する3つの段階。
神と共通する部分からカシスは1つの仮説を導き出していた。
最初が己が魂を顕現させること。
2つ目は、その魂をより具体的な形へと変更すること。
そして、最後が――
「自らが支配する『世界』を生み出す。『場』を制する力――己で世界を満たす神の奇跡」
信仰の力と合わさり、敵を押し潰す世界を構築する。
ルールの押し付けあいたる戦いでの1つの究極。
この究極の力こそが、魔獣側の力の秘密ではないのかと、カシスは気付いたのだ。
「魔獣側に合わせた環境の変化。永続的なルールの展開と考えれば、彼我の格差の意味も見えてきます」
表情は笑顔であり、微笑みは変わらない。
しかし、言葉を進めるごとにカシスの雰囲気が負の気配を放ち始める。
彼女の持ち得る属性の力が、世界を軋ませていた。
指向性を持った『死』が確かに咢を生まれたばかりの女神に向けている。
「魔獣たちは、おそらく最終段階――『秩序喚起』と同じ力を持っている。。そして、それは『神を殺すことに特化した』世界なのでしょう。ならば、奴らは自然発生などではあり得ない」
神を殺すためだけの祈りが自然発生するなどあり得ない。
仮に発生したとしても、同質の祈りならば量の差で神が勝つはずだろう。
絶対の方程式、組まれたルールを掻き乱した『ナニカ』。
魔獣の裏に存在する知性の影。
カシスがこの結論に至るのに、それほど時間は掛からなかった。
彼女が中立派、などという面倒臭い立場にいるのは戦いが好き過ぎて極端な前進主義の帝国派と、女神の威光を守ることにしか興味のない聖王国派に巻き込まれることを避けるためである。
「あなたは、まさか……」
「その通りです。エレインが魔獣殲滅よりも王国の守りに主眼を置いている理由くらいは察していますよ。どちらかと言えば、私は心情的には北よりですからね」
魔獣を滅することだけは譲れない。
あれを生かしておくつもりなど、彼女には皆無である。
独自行動の最大の理由はどちらも派閥でも勝てるのかが、怪しいと言う点に集約されていた。
神の延長線上にいるだけの最古の契約者では結局のところ、神の二の舞になるだけである。
同じことをしていても一矢報いる事すらも出来ない。
「私は、私にいろいろと与えてくれたあの方に感謝しています」
脳裏に浮かぶのは彼女よりも深い闇を纏った美しき女神。
エレインが遺命に殉じるように、カシスにも譲れない部分がある。
魔獣を滅するのは当然で、背後にいるものもただでは済まさない。
「これは、一言で言えば復讐です。ですから、私は本気ですよ。私を超えられない程度では、魔獣たちとの戦いには使えないでしょう?」
決意を秘めた問いかけをセレナは真っ直ぐと肯定する。
「否定はしません。……それが、あなたたちの決めた道ならば見守ります。でも、1つだけ言っておきたいことがあります」
カシスをセレナは強く見返して、
「そちらこそ、私が見初めた男を舐めないでください。彼こそが、この世界を救う希望の光となるのです」
「楽しみにしています。――加減はしません。原初の恐怖、思い出すといいです」
カシスが見上げたのは、黒い空。
魔獣側の領域に近いこの場所は結界の限界点に近い。
地獄とこの世の分かれ目、狭間の空間で死神は女神を取り戻しにくる勇者を待っていた。
2人の女が1人の男を待っている。
どちらも正しいゆえに、最後は力を示すしかない。
夢を叶えたいのならば、掴むのしかないのだ。
今度は西の果てで暦が己を示す戦いが始まる。
敵は最古の1人。
強大なる神の眷属が覚悟と未来を見極めるために鎌を振るいて暴威を成す。
目覚めたばかりの英雄は一体、何を成すのであろうか。
不敵な笑みと覚悟の瞳が交差して、運命の一戦は幕を開けるのだった。




