第12話『西』
この世界のおける現在の支配者、契約者というものは生まれながらの超人と言う訳ではない。
むしろ、実態はその逆である。
彼、あるいは彼女たちは『神』という存在の気紛れによって選ばれた運が良いだけの人間にすぎない。
選ばれたことで、彼らは良かれ悪しかれ人生を大きく変化させる。
同時に、彼らは逃れられない呪縛に囚われるのだ。
生まれでも努力でもなく、誰かから気紛れに与えられた栄光。
神に相応しい存在として、持てる能力をの全てを引き摺りだされてしまい、自分から目を逸らすことも出来ない。
栄光に相応しい自分だと、彼らこそが誰よりも信じられないからこそ、歪みというものが其処には生まれる。
西方の土地で暦が出会う死を纏った女性。
彼女もまた、契約者が抱えている歪みを持っている。
この地に暦がやって来て、もうすぐ4ヶ月。
格下として、保護対象として、今までは様々な理由で格下として扱われてきた暦が、初めて賓客となり対等の立場で契約者と対峙する。
軋む運命の歯車――描かれる軌跡が如何なるモノとなるのか。
神でさえも、結末はわからない。
出会いというものは大きく運命を変える。
人と人の出会いでもそうなのだから、神と人の出会いは言うまでもないだろう。
彼女――カシス・エードにとって美しい死神との出会いはまさに運命だった。
神によって統治された偉大なる世界。
この言葉を多くの民は疑うことなく信じている。
何故ならば、現在彼らを覆う世界こそがそのようになっているからだ。
最大最強の契約者、エレイン・ラインフォールドが世の中をそのように統治している。
「実際、エレインはよくやっていますよね。無垢なる民とやらに、幻想を信じさせる程度には、この箱庭の見栄えはいいです」
『否定はしないよ、闇の契約者殿。彼女が、僕よりもそういう点では遥かに上手なのは事実だしね。僕は戦場における1つの奇跡であり、勝利の輝き、非日常的な栄光だからね』
己の言葉に応える水晶の輝き。
エレインが生み出した通信式の1つ。
こういった器用さにおいても最強の守護者は群を抜いている。
カシスからすれば圧倒的な汎用能力に嫉妬するよりも呆れてしまう。
エレインの技術がなければ、こういった遠隔での会話すらもままならないのだ。
なんとかしたいとは思っていても、代替手段がなく結局のところエレインに頼り切ってしまっている。
「それにしても、過日の会議で同意されるとは思いませんでした。失礼ながら、折り合いはつかないとばかり」
『ははは、それはすまないね。ただ、今回の提案は悪いものではなかったよ。魔獣こそが僕らの敵。ならば、妥協すべき部分は必要だろう?』
享楽的、かつ気分屋。
通信を行っている人物の性格にカシスは僅かに瞳を細める。
彼女が中立派、などという派閥に分類されているのにはいくつか理由があった。
1つは彼女の性質の問題、そしてもう1つがどちらの派閥も付いていけないと感じていたことである。
お行儀が良すぎるエレインたちとあまりにも戦闘に寄っているカールたち。
どちらもが極端に過ぎるため、非常にやり辛いのだ。
「……気分屋なことを言いますね。1つだけ、ハッキリとさせておきます。私はどちらにも協力しますが、どちらにも立ちませんので」
『わかっているよ。……ただね、1つ忠告だ。今のエレインは必要ならば、君を消しかねないよ。身の回りには注意することだね』
「ご忠告はありがたく。そこまで彼女が短慮なら、私も楽だったんですけどね。では、王都から客人がこられるので、失礼します」
『ああ、彼によろしく。僕もその内、話してみたいと言っていたと伝えておいてくれ』
意趣返しと言う訳ではないが、無言で通信を切る。
「……わかっていますよ。両派閥で妥協が成立したならば、次はそれ以外に対処する。……1番楽なのは、私の排除でしょうね。わざわざ煽るような物言いをする方です」
中立派は核がおらず、最大勢力としてカシスがいるだけである。
それも固有の戦力を保有しているなどではなく、彼女の武力で成り立っているものだった。
砦とその地に住まう民や兵士たちもいるが、契約者は彼女1人だけしか存在していない。
今まではカールとエレインの双方に協力することで、上手く立場を保っていたが、今回の変化で保てなく可能性が高くなってしまった。
「戦闘狂も、狂信者も、どちらも勘弁願います。……手段に拘って目的を見失うようでは、意味がないでしょうに」
握り締めた拳と震える言葉が彼女の本質を暴き出す。
爆発する前の火山。
荘厳な雰囲気を醸し出しつつ、闇を纏う乙女は地面を睨みつける。
どれくらいそのようにしていたのか。
次に顔をあげた時には、いつも通りの彼女がいた。
「幸か不幸か、このタイミングでの訪問は都合が良い。いろいろと考えましょうか」
最悪の場合は、この地で死んでもらおう。
冷静に未来を推し量りながら、この地に近づく力を見つめる。
同じ契約者の力、されど力の質はあまり記憶にない人物。
この苦境のある意味で元凶と呼べる存在の来訪にカシスは複雑な表情を作った。
彼が存在しているからこそ、この苦境は訪れたのだが、それが一時でも遠ざかるのは彼がこの地に来てくれるからである。
また、彼という存在がカシスにとっての切り札になる可能性もあった。
「……願わくば、私の味方とならんことを。……なんて、不可能ですかね」
憂いげに溜息を吐く姿は美しい。
在りし日の神と過ごした楽しい日々を思い、彼女は今の自分を自嘲するのであった。
「ようこそ、女神の契約者殿。東方を知っているならば、光景の違いに驚きましたか?」
総責任者であるカシスの前にやって来たのは微妙に覇気のない1人の男性。
新しい契約者というには本当に平凡な空気しか感じさせない存在だった。
無論、そういった感想を表に出すことはなく完璧な笑顔で応対する。
この辺りは彼女がまだ人間だったときの処世術だった。
他の契約者と違い、明確な仲間などがほぼ存在しないにも関わらず相応の派閥を持っていると判断されるのは世渡りの上手さがあったのだ。
他の面々よりも端的に言えば、コミュニケーション能力に優れている。
カシスは戦闘時を除けば、民や兵士からも慕われる良き領主なのであった。
正確には彼女を直視しなければ、という注釈が付くのだが、今は関係ないことではある。
「そうですね。この世の地獄、みたいな場所と比べればここは随分と長閑だと思います」
「森の側に出れば多少は雰囲気も変わりますが、こちら側は昔から一貫してこちらの領地なので汚染がないのですよ。ですので、長閑な光景になっています」
「……なるほど。やはり、敵を知るには実際に戦っている場所に行くのが1番ですね。情報だけでは、その辺りことは実感出来ませんでした」
言葉を選んでいる。
カシスの直感が暦の話し方から、そういった機微を見抜く。
初対面であり、公式の場であるため当然のことではあるのだが、妙にカシスの中で引っ掛かるものがあった。
そういった次元ではない何かしらの思惑、匂いとでも言うのだろうか。
火種となりそうな気配を感じ取った。
「……助けになったようならば、私としても嬉しいです。案内人を1人付けますので、今日はゆっくりとお休みください。明日からは私が直接、お相手させていただきます」
「は、はぁ……。お忙しいのならば、別にご自身じゃなくてもいいですよ?」
暦の反応が戸惑ったようなものなったのをしっかりと見抜く。
カシスも最初は直接の案内などするつもりはなかった。
しかし、なんとなくだがそうした方がよいという直感が働いたのだ。
大昔、彼女が神と出会った時のようにそうした方が自分が救われると感じた。
理由はそれだけで、彼女にとってはそれだけで十分である。
人を辞めて、神の眷属になっても変えなかった彼女の生き方。
千年単位で貫き通したものを今更変えることなど出来ない。
「ふふ、気にしないでください。お若い方には、私のような年寄りとの話は退屈だと思いますが、よかったらお付き合いください」
「……あ、ありがとうございます」
緊張でもしていたのだろうか、引き締まっていた顔が微妙に崩れる。
政治、力、派閥、などと最近は詰まらないことばかりだったが、カシスは唐突にだが楽しくなってきていた。
500年ぶりの同朋。
思えばもう少し優しくすべきであろう。
長いときを彼女は1人で過ごしてきた。
相手は偉大なる女神の系譜に連なる契約者かもしれないのだ。
もしかしたら、自分の問題も乗り越えてくれるかもしれない。
自分を納得させて事前の予定を破棄することに納得する。
全てを1人で背負ってきた女性は暦から漂う懐かしい気配に郷愁を刺激され、情の方へと判断が緩むのであった。
カシスとの接触を終えて、暦は思いもよらない展開に困惑を隠せなかった。
如何にしてカシスと接触するのかを考えていたら勝手に相手が近寄って来たのだ。
最初は罠かと思ったのだが、現段階の暦に何をするにしてもメリットが少ない。
わざわざカシスが何かをする必要性は皆無だった。
また、会談の結果で中立派の立場が揺らぐことも予想はしていたため、簡単には消されないだろうという自信もあった。
「それにしてもこう、普通の人というか。うん……綺麗な人だったな」
『暦ー、どうしたの?』
「あ、いいや、悪い。それよりも、こっちの準備だな」
自分の中にいるセレナに慌てて弁解する。
何故謝ったのかを自分でもわからずに、暦は思考を別のところへと向けた。
頭に浮かんだ微笑むカシスを追い出して、本来の目的に思いを馳せる。
「よし、水晶は問題なしだな」
王都での会談の後に暦の下に東方から1人の兵士がやって来ていた。
アルベルトの部下であるその人物に暦はこの世界における1つの戦略物資を渡していたのだ。
反対側にある西方に来ている今こそ、渡したものが活用される時だった。
自分用の水晶に力を通しながら、周囲への配慮も始める。
「場所は……よし。見られると困るから、隠蔽の準備もしておくか」
『わくわく、これって、水晶球だよね? 暦、もしかしてエレインの技を?』
「ああ、原理は単純だからな。力の使い方がわかってたら再現は簡単だったよ。元々、仕える神様は同じだしな。俺は似たようなものも知っているから、感覚的にも楽だったよ」
『へえー、暦は物知りだね!』
感心したようなセレナの言葉に暦は苦笑する。
自分が凄いのではなく、自分を育てた文化が凄いのだ。
数多の人間の努力の果てでそれを甘受しただけの自分が今は情けない。
それでも、使えるものは使わないといけないのが辛い立場だった。
「――いや、繰り言だな。……よし、聞こえますか?」
頭に浮かんだマイナス思考を振り払って、暦は水晶に話しかける。
淡く光る水晶が、僅かに点滅を繰り返して、
『ああ、聞こえるよ。なるほど、これだけでも君の価値は大きく上がったね。エレイン殿には面白くないでしょうが』
「わかり切っていることを言わないで下さい。ああいう情に深いタイプの女性は怖いんですよ。それに、俺の身の危険の話をしたくて渡した訳じゃないんですけど」
『理解しているさ。さて、こちらの様子だが君の予想から聞いてもいいかな?』
「答え合わせのつもりですか? まあ、まだ何も動きはないんじゃないですか。エレインさんとかにとっての武力は契約者であり、人間の底上げじゃないですからね」
一応、人間側の傭兵組織などもあるにはあるのだ。
兵士にはならないがそれなりに腕に自信があるものたちが属している。
暦からすればそういった傭兵団は荒くれ者共が多く同時にそれなりの規模や権力も持っている印象だった。
これらが間違った情報だとわかったのはアルベルトとの情報の摺り合わせを行った時である。
この世界、とにかく神が絡んでいないと力が押さえつけられているのだ。
民間がまったくと言ってもよいほどに発展していない。
商業、農業、工業、軍事などあらゆる分野に契約者の影がある。
別に悪いとは言わないが結果として文明が相当に歪んだ形で発展してしまっているのだ。
『その通り、我らもこの大地を生きる者なんだが、高みにいる人たちには見えないらしいからね』
「個が多を圧倒する状況が増えればそうなりもするでしょう。まあ、これからその辺りを変える訳ですから、愚痴を言っても仕方がないですよ」
『民を戦に駆り出すのだから、君は中々に悪辣だな。そう言ったら、どうするかい?』
「なんとも思いませんよ。事実でしょうしね。人を戦力にしよう、なんていうのは被害を増やす一面もあると思いますよ。でも、飼い殺しよりはいいでしょう?」
飼い犬の安全か、それとも野生の自由か。
良く問われることだが、比較出来るような状況にもない事が問題なのだ。
暦は積極的に世界を壊すつもりもないが、今までのままで勝てるとも思っていなかった。
傭兵団なども含めて民間を上手く活用するのはこの絶滅戦争には必ず必要になる。
『私は賛同するさ。ディオン様は素晴らしい上司だが、個人の人間性に頼ることほど、不安はことはない』
「ある日、ある時、突然に豹変する可能性は否定できない。契約者は老いによる劣化はないですけど、変化に柔軟に対応できるのかはわからないですしね」
『あの方々の統治が悪い訳ではないさ。しかし、手段は持っておきたいと思うのが人間だろう?』
「差し詰め、俺は裏切り者になる訳か。最悪ですね。まあ、別にいいですけど」
アルベルトが何を思って人間の強化を画策しているのかは知らない。
数少ない協力者ではあるが、全面的な信頼はしていなかった。
そこまでの関係性はない。
寂しいことではあるが、仕方がないだろう。
セレナのように心と身体を重ねあわせれば解決できる問題でも人間同士では不可能なのだ。
時間と行動で示していくしかない。
「とりあえずは、これである程度の能力は示せたでしょう? 定時連絡はするので、そちらとかの情報をお願いします」
『了解したよ。まあ、頑張ってくれたまえ』
「……ありがとうございます」
疲れるばかりだが、遣り甲斐はある。
暦は自分を奮い立たせて、新しい任地での日々に気合を入れ直すのだった。




