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女神様が喚んでいるっ!  作者: 天川守
第1章『目標』
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第11話

 コンコン、と部屋にノック音が響き、暦は思考の海から戻ってくる。

 誰かが近づいていることは知っていた。

 それが誰か、までは特定していないがわざわざ重要な会議の最中に暦の下にやって来る者など王城の中では限られている。

 訪問してきそうな人物を思い描いて対応について決めていく。


「どうぞ」


 言葉は短く、簡潔に返事を行う。

 相手の気質に合わせて応答の方法は変えるべきである。

 基本と言えば基本だが、暦は少々極端な性質ではあった。

 今までの印象とは全く異なるように接するため、彼を知る人物からの評価は必ず一定しない。

 仮面の使い分け、ある意味でコミュニケーションにおいて必須にして基本のスキルだが、基本も極めれば1つの技となる。

 暦もこの使い分けに関してはそれなりに自信があった。

 誰が見ても特に問題がなく、かと言って何かの中心にはならない。

 己を意図的にそういう部分に置いていたのは他の誰でもないかつての『今川暦』が選択したことである。

 培った17年程になる仮面はそれなりに年季の入った品だった。

 日常での技能が場所を変えても役に立つ。

 人と関わり合いがあるスキルだからこそ、価値が減じることはなかった。


「失礼します。契約者、今川暦殿」

「……いえ、こちらこそ何もない部屋に来ていただき、申し訳ありません。聖王国宰相ゲオルグ・ヘルバイン殿」

 

 全身を黒衣で覆った厳めしい顔の初老の人物。

 重苦しい声と共に入室した人物は中々に大物であった。

 戦闘力の大小で言えば暦が片手で捻れる程度であるが、知恵比べでは些か以上に厳しい相手あろう。

 おまけに権力という社会的な力ではボロ負けとしか言いようのない状態だった。

 神のブーストがあって猶、この程度に過ぎない暦とは地の良さが全く違うのだ。


「お休みでしたかな?」

「ええ、まあ、それとなく監視されてますので」

「――ほう、それはご不便を強いているようで、申し訳ありません」

「いいですよ。流石に今は別の方に気が向いているみたいですからね」


 何をしに来たのかを考えようとして、その思考を破棄する。

 暦は潜在能力という面ではある程度の保証があるが、これといった実績というものは存在しない。

 目の前の人物のように実利で物事を考える人間には、下手な弁舌の上手さは逆に心証を損ねる可能性があった。

 有能さ、正確には自分の立場は認識している、ということをアピールしておきある程度は使えることを示す。

 暴力では優るとも、ただそれだけなのが暦である。

 社会活動において、暴力が役に立つのは非常の事態だけであり、日常では役に立たない。

 警戒されてはいけない、かと言って役立たずと思われてもいけないのだ。

 絶妙な線引きを見極めながら、暦は言葉を選んだ。


「なるほど、つまりただ神に引き摺られてきたわけではないということですか」


 そして、功を奏したと言うべきなのか。

 相手に正確に意図が伝わる。

 内心の安堵を押し殺して、努めて平素に返事を行う。


「それなりに用心深いつもりですよ。あの女は真面目そうなので、いろいろと隠しましたけど」

「懸命ですな。セレナ様はともかくとして、あなたには替えがいる。妙な小賢しさを発揮すれば排除する、くらいはやってのけるでしょう」


 温和に微笑むエレインと出会った時に、暦の背筋には確かに寒気が走った。

 雰囲気に騙されてはいけない。

 彼女は極めて柔軟性が高く、同時に優先順位を明確に持っているタイプだと直感した。

 下手な様子を見せれば、直ぐに腰に備えていた剣で首をはねられていただろう。

 実力の差など、対峙しなくとも理解出来る。


「雰囲気はいい感じの人だったんですけど、セレナの記憶の中にあるのと印象が変わってなかったですからね。そんな人間は警戒するでしょう?」

「正しい感性ですな。長く生き続けることは相応に人を歪ませるでしょう。ましてや、今の彼女は真実、この世界を背負う人物ですので」


 掛かる重圧はかなりのものだろう。

 不審な様子を見せたら直ぐに斬る、と直感したのもその責任感の強さを感じたからである。

 被害が大きくなる前に不確定要素を確実に排除しようとするのは目に見えていた。

 だからこそ、暦は聞き分けが良い様子で彼女と接したのである。

 本質的に善人であるのは疑う必要はないし、彼女は別に狂っている訳ではない。

 しかし、真面目だからこそ暦は彼女が怖かった。

 人間、多少は遊びが混じっているぐらいの方が付き合いやすいだろう。

 下手をすればこちらの命を奪いかねない真面目さなど何処に地雷が埋まっているかもわからない場所のようなものだ。


「周りの助けなんて期待していないし、そもそも周りも背負える程強くない。そして――」

「――背負える者は自分の道が存在している。契約者、というのは極めて個人の色が強い者たちです。仕方がないことでしょうな。1人で、大抵のことに手が届いてしまう。神の眷属、というのはそれだけ凄まじい」


 圧倒的な質が群れただけの量を凌駕するのは稀にあることだが、この世界では神という理不尽があるべきルールを捻じ曲げている。

 暦が感じていた違和感、その根源がそこにあった。

 どいつもこいつも、自分だけで完結しているのだ。

 それは師匠であるイザベルも変わらない。

 自分がやらないといけない、などというのが傲慢でなくてなんだと言うのか。


「魔獣の進攻、それはこの国に生きる人間にとっても他人事じゃない。なのに、選択の権利すらないのは、おかしい話だよな」


 常に念頭にあった疑問。

 この世界の生まれではなく、神の脅威の知る前に超越に至った男はかつての感性のままに、目の前の取引相手に本音を吐露する。

 そもそもが駆け引きというのは経験の分野のものだ。

 才能、というよくわからない財産ではどうにもならない。

 下手に繕うくらいならば正面から突破する。

 暦は自分のスタンスに気を使わない。

 それがマイナスとなることもあるが、この場では強ち間違ってはいない行動だった。


「ほう、正面突破とは……剛毅なものですな。それは、契約者としての余裕ですかな?」

「あり得んだろう。俺はいろんな意味で中途半端だしな。本音を言えば、爆弾みたいな立場は捨てたい。しかし、それをやったところで死期が伸びるだけだろう? 神様がいれば、なんとなる――そんなものはもう砕かれているのに、あいつらは無邪気に信じているんだぜ。勝てる訳がない」


 新しい女神が来た、だからやれることが増えた。

 じゃあ、結界を強化しながら魔獣と戦おう。

 今の会談の内容など簡単に予想が出来る。

 仮にこの内容でなかったとしても、今更――500年も経ってからの行動では遅すぎるだろう。

 突然の集まりにセレナが絡んでいない可能性など0であると断言できる。

 

「神様が来たから、さあ、戦おうか。……なんだよ、それは」


 鼻で笑ってしまう。

 近しい立場であろう人間との接触に暦の気分も多少は緩んでいた。

 常ならば周囲を警戒してこの類の言葉が出さないようにしているのだ。

 

「既に1回やっただろう? セレナとセレスティア、どちらが強いかなど誰でもわかるのに、神様だから大丈夫とか……思考停止以外の何ものでもない」


 暦からすればアホとしか言いようがない。

 何も解決していないではないか。

 魔獣が何モノなのか、そもそもどこからやって来て、目的は何なのか、知らないといけないことをこの世界は放置している。

 なのに、敗北した時と同じことをしようとしているのだ。

 暦でなくとも、常識的な感性を持っていたら反発する。


「……あの方たちは、失敗したなどと思っておりませんからな。そういう弱さとは無縁ですので」

「弱さがないことと強さは関係ないし、何よりも勝敗には何も影響がないぞ。改善、進化、進歩、言い方はなんでもいいけど、顧みないと何も変わらない」


 孫と祖父、というのは言い過ぎにしても既に老齢に差し掛かろうとするゲオルグと暦が同じ視線で話を交わす。

 共通点など欠片もない両者だったが、ある部分だけ共通していた。

 このままでは、何も変わらないと思っていることである。


「あなたには、何とかする手段があると」

「ああ、今はまだ机上の空論だけどな」

「それを解決するのに必要なものは?」

「権力だろうさ。いや、早い話、共犯者が欲しいのさ。仲間でも、同志でもある必要もない。目的も別でも構わない。俺がやりたいことを利用してくれる奴が必要だ」


 暦がやろうとしていることがどうなるのかなど、神ならぬゲオルグにはわからない。

 しかし、1つだけ確かなことはこの世界においてそれは爆弾になることは間違いないということだった。

 神を頂点とした、もしくはその眷属を頂点とした構図に僅かながらダメージを与えることは間違いないだろう。

 両者がそれを理解して――、


「では、契約は成立ですな。あなたを存分に利用させていただきましょうか」

「おう、望みに沿うかは知らんがな」


 煌びやかな星たちが運命を決めた日に黒子達が動き出す。

 この世界の趨勢を左右する勢力たちは、来る戦争に向けて準備を始める。

 武力は心もとないが、足りないならば他のところから持ってくれば良かった。

 幸いにも権力と繋ぎを取ったのだから、次は虎穴に入る必要がある。


「早速だが、次のピースが必要だ。どうしても契約者側の反発が予想されるからな。簡単に覆せない力が必要になる」

「道理ですな。……なるほど、口説かないといけない、という訳ですか」

「口説けるのか、というのはともかくとして、為人を知らんとどうにもならない。1人は当てがあるが、あっちは1人目にはなってくれないからな」


 道ぐらいは自分で切り拓け、と思っていそうな師匠に頭痛を覚える。

 雷親父はどうにも本音を感じさせないため保留という選択肢を選ぶしかない。

 エレインとその同類らしい南は論外であろう。

 北に関してはいろいろと集めた情報から0ではないが、味方にしても面倒臭いのが目に見えているため除外する。

 他の在野の契約者を探すのも手だが、露見する可能性もこちらは高い。

 この段階で妨害されるのは困るのだ。

 エレインならばいきなり強硬手段は取らないだろうが、彼女の周りがそうなのかまではわからない。

 派閥の長が穏健であろうとも下までが穏健派である可能性はそれほど高くないのだ。

 そうして選択肢を除外していけば、残るのは1つだけになる。


「――では、こちらから多少細工を行いましょう。何、魔獣というものの実態を知っていただくという建前でもあればそこまで警戒はされないでしょう」

「こちらが何も知らないのは事実だしな。あれぐらいで理解出来たとは思ってないさ。……では、お願いしようか」

「了解しました。これは貸し、としておきましょうか」

「遠慮なく借りておこうか。今の俺は無職だからな。勤労意欲はそれなりにあるが、あまり良い職場が見つからなくてね」


 契約は此処に成立した。

 求めるものをこの世に生み出すために人間と異邦人が手を組む。

 古参の契約者からすれば取るに足らない力。

 今はまだ世界を動かすほどの力はない、しかし、未来は不確定である。

 彼らの共同事業がどのようになるのか。

 暦の内から見守る、この世界で最後の女神様にもわからないことだった。






 ――旧帝都。

 天に穿たれた黒点が大地を覆う現世の地獄で泥が静かに蠢いている。

 未だに世界に空いた穴は塞がっておらず、飽きることなく機械の如き正確さで穴は泥を吐き出し続けていた。

 この世界を蝕む毒。

 現在の覇者たる存在たちは自らの繁栄だけで満足することなどあり得ない。

 彼らに刻まれた使命はこの世界の命を絶滅させること、ただそれだけなのだ。


「グオオオオオオオオオッ!!」


 雄叫びを上げる巨大な体躯。

 全てを噛み切る咢に、血走った眼は何も映すことはない。

 その持てる全ての才能を殺戮にしか使えない優秀な兵器は本能が命ずるままに役割を遂行する。

 与えられた役割に従事する怪物たちは、一種の機能美があった。

 結界内の変化を受けてかわからないが今までとも違う魔獣が生まれようとしている。

 彼が見つめる先は西方、奇しくも暦が赴任することを選んだ場所。

 闇を司り、冥府への道案内を行う妖しげな女性が収める場所で運命は交差する。

 大きな戦争、その前触れは魔獣側にも確かに訪れようとしていた。






「し、心臓に悪い……」


 なんとか交渉を終えた暦は胸を押さえながらベッドに横になる。

 エレインなども怪物であり小市民の彼すれば怖かったが、彼らの怖さは人間が自然災害に感じる恐怖であった。

 怖いのは怖いが、突然殴ってこないことを理解していれば付き合いは難しくない。

 対するゲオルグは徹頭徹尾、完全に人間である。

 単純な武力では暦の方が圧倒的だし、能力においても劣ってはいないだろう。

 しかし、そんなことは何の気休めにもならない。

 社会的に殺す、という意味を理解している現代人にとって権力者など遠くにいて欲しい存在の筆頭候補である。


『お疲れ様。暦、カッコ良かったよ』

「ああ、ありがとう」


 セレナの労いに礼を返して、黒衣の宰相を思い返す。

 顔に刻まれた年輪と雰囲気は正しく成長した者の強さを感じさせて、暦を威圧してきていた。

 暦の脳裏に思い浮かぶのは祖父の姿である。

 年齢は離れているし、暦の祖父は傑物ではなかったが、根本の強さは共通していた。

 年をとることでしか得られないもの、それを理解して経験を備えたものが持つ雰囲気とでも言うべきだろうか。

 柳のような、確たる存在感が後ろめたさのある暦の心に問いかけてくるのだ。

 浮かび上がる羞恥心に耐えるのが中々に辛い作業だったと、暦は他人事のような感想を抱く。

 自己という意識の切り替え、必要な時に必要な仮面を付けることは処世術の1つであるが、言葉だけでペラペラと語るのは時に恥ずかしいものとなってしまう。


「立派に歳をとる、か。難しいな」

『暦は契約者だから不老だよ? どうして、歳をとった時のことを考えているの?』

「今のセレナに通じるかは知らないけど、そっちの方が素直に凄いからさ。不老、とか言うと素敵に感じるが、年齢相応の苦労が顔にないのはちょっとカッコよくはないだろうさ」


 暦は苦労をしたい訳ではないが、いつまでも生きるなどというのも御免蒙りたい程度には小市民である。

 何事も極端に振れてしまえば、ただの人間では生きづらくなってしまう。

 清すぎる水もまた、身体には毒なのだ。


『よく、わからないな……。暦が言うことは、難しい感じがするよ』

「意味なんてあるようで、ないものだよ。まあ、セレナはじっくりと考えればいいさ。神様なんてものは、本当にどうしようもないときに出てくるくらいでいいんだよ」


 神様、助けてくださいと祈るにはまだ早いだろう。

 神の力を使っている身では矛盾しているかもしれないが、女神に頼りきるつもりなど欠片も存在しない。

 発生源はなんでもいいが、目標を達成する努力は己の手で行うべきだと暦は考えている。

 攻略が容易なゲームなど、欠片も楽しくないだろう。

 難易度とは、クリアした時の喜びに比例するものだ。

 困難を踏破してこそ、栄光はその者に降り注ぐのである。


『暦がそう言うなら、私はずっと見守るから』

「ああ、俺の博打、楽しんでくれ」


 暦が越えなければならない最初の壁は西の契約者。

 彼の地で何を得ることになるのか、彼は想像もしていないし、することも出来ない。

 神の力はあれど、相手も同じ神の使徒。

 一見すれば互角の存在だが、積み重ねた年月が立ち塞がる。


「ここが最初の1歩。勝利のために、やれるだけのことをやるさ」


 気負いはない。

 前を見据える瞳は感情を浮かべていないが、心の奥には熱がある。

 覚悟を決めて、暦は静かに未来を想うのだった。


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