第10話
大きな円形のテーブル。
上下関係を付けない証を示した場所で、5人の男女が向かい合う。
穏やかな微笑みを浮かべて周囲を見渡す緑の髪を持つ女性。
世界の守護者にして、最強の契約者――エレイン・ラインフォールドが代表として口火を切る。
「皆さん、本日はお集まりいただきありがとうございます。各々、結界防衛の任があるところに無理を言って集まっていただきました」
「いやいや、僕らも面倒臭い貴族共の相手などを任せているからね。むしろ、礼を言うのはこちらだよ。エレイン、いつもありがとう」
姿は年若く、雰囲気には子どもような無邪気さが溢れている。
彼のことをよく知らぬ人物ならば騙される者もいるかもしれないだろう。
聖王国の武力の担い手。
最大の激戦地たる北方を預かる将軍――カール・ロンギースは殊更明るく振る舞った。
親しみやすい空気、彼のことを知らなければ誰も疑わないだろう完璧な微笑み。
しかし、完璧だからこそ、この場にいるものたちには通用しない。
「カール殿。あまり遊ばれるのは場にそぐわないと愚行します。……その、殺気を引いてくださいませんか? そんなものを感じると――首を落としたくなるので」
この場においては最年少。
しかし、外見では最も年齢を経ている雷の化身は笑顔のままで同郷の戦神に啖呵を切った。
『雷火の鉄槌』ディオン・グラスエルズは表情を変えぬまま大先輩に対して挑発を行う。
彼らのような武へと傾いた者たちにはある種の挨拶なのだが、場の空気を歪めるものではあった。
普通は話し合いの場所で殺気を出すようなことはしない。
「クハっ、なるほど、なるほど。失敬。随分と懐かしい気配を感じたもので、僕も気が立っているのさ。早く、戦いたいとね」
「お気持ちは理解出来ますが……それは今やらねばならないことではないでしょう。我ら、東と北は奴らとの最前線。万が一があれば、この場に居る全ての者に災厄が降りかかる」
「わかっているさ。エレイン、すまないね」
「いえ、別に問題ありません。あなた方2人とはいえ、この場で暴れればどうなるのかは計算しているでしょう?」
エレインは微笑みながら、2人のじゃれ合いを何もなかったかのように見逃す。
先ほどまで充満していた気のようなものを
現在の聖王国において最強の存在が間違いなく彼女かカールのどちらかになる。
両者の激突は相性なども考えると決着が付かないが、ここに他者が介入すれば話は別であった。
「2人が戦うならば、リーアは私に付きます。仮に、あなたたちが手を組めば……」
「私があなたに味方するでしょうね。ふふっ、御二方ともあまり血の気が多いのは紳士とは言い難いですよ」
西方将軍、カシス・エードが妖艶な微笑みを浮かべる。
男を妖しく誘う堕落の微笑み。
彼女の笑みに誘われたが最後、闇と死の安息へと運ばれてしまう。
上級クラスの魔獣すらも容易く葬る悪夢の具現者。
契約者でも彼女の発する死の気配に不快感を感じるのは避けられないのだが、この場にいるものは皆が同じ領域にいる化け物である。
同位の能力に容易く膝を屈するなどあり得ない。
「ほう、貴公がそちらにいくとは思わなんだ。理由は?」
「ない、ですよ。私に行動理念などありません。日和見ですらない。特に私はそういうものです」
「ふむ、流石ですな。闇の契約者殿」
全員がバラバラ、纏まりに欠ける集団たち。
彼らこそがこの国の表向きの首脳陣である。
実務は貴族が行うが、実権はほとんどがここに集中していた。
神の継嗣にして、世界の守護者。
彼らこそが世界の最後の希望だった。
「皆さん、遊んでいないで話を進めましょう。こちらの時間も永遠ではないのですから」
南方将軍にして、エレインの派閥に所属する契約者。
リーア・エンタノンは呆れたように言葉を漏らす。
全員が集まるといつもこのような始まりになるのだ。
彼らにはじゃれあいであっても外で待機する護衛などからすれば心臓に悪い光景であろう。
エレインの妹分にして唯一の良識派がなんとか場を収める。
「ありがとう、リーア」
「いえ、お姉様もまた話が拗れる前に早く話を始めてください。まったく、こういうところのノリはいいんですから……」
「ふふ、わかってるわ。ありがとうね」
リーアの音頭にエレインが笑みを零す。
ここにいる全員が最低でも500年の付き合いになるのだ。
心の奥深くまでわからずとも、どのような反応を示すか程度は事前に予測が可能だった。
リーアが押さえるとわかっているからこそ、エレインもカールたちの遊びに付き合ったのだ。
エレインは秩序を報じる側であり、真面目な性格をしているが、別にそれ一辺倒という訳ではなかった。
「まずは大前提から話しておきましょう。ここに居る者たちにスタンスの違いはあるでしょうが、大筋としての目的は一致しているはずです」
「肯定しようか。貴族たちや王族は結局のところ、僕たちから権力を取りたいだけど、僕たちは主導権争いなだけだからね」
「ええ……ですので、私としてはこの場である程度は合意を形成しておきたいのです」
エレインが手を翳すとテーブルの上に地図が描かれ出す。
王都と各都市、そして砦を結ぶように張り巡らされたラインを描いたそれは現在の聖王国の版図と呼ぶべきものだった。
「セレスが命を賭けて展開したのは結界の基礎部分――奴らを弱らせる法則の範囲です。それを強化、維持しているのは各地に展開した法陣によるもの」
「そして、我らはそれを維持しつつ反抗の機会を窺っている、という訳ですな」
状況確認は単純である。
各地の結界を増幅する法陣を守り、この世界から魔獣を駆逐していく。
この点で契約者が原則として一致している。
エレインはこれを前提として、基本的に防御に重きを置いていた。
徐々に版図を拡大する形で前に進み、最終的に魔獣を駆逐すればいい、それが彼女の今までの方針である。
対してカールの方は、魔獣襲来の地である帝都の方に全力を投入して、根本から断ち切るべきだと考えていた。
どちらも一長一短であり、デメリットは存在している。
だからこそ、両者もこれまで譲ることが出来ずどちらにも付かない中立派などが誕生することになったのだ。
「今までの議論でお互いの立場は鮮明です。その上で、私は新たな提案を行います」
「ほう?」
カールは面白そうに顔を歪める。
これまでも妥協点を探ってはきたのだ。
例えば、拠点の進出を北に絞り、そこから進めていく、という言う両者の折衷案などが提案されたこともある。
両者の主張を上手く取り入れたこの考えは悪くはないものだったのだが、この提案をスッパリと切り捨てたのがカールだった。
彼からすればそれは無駄に時間を使っているだけにしか見えないのだ。
進出拠点を北だけに絞っても、結果的に突出した補給線などは敵の脅威に晒される。
おまけに敵には妙な学習能力あるのだ。
契約者には時間がほぼ無限に存在しているが、だからと言って無駄にしても良いという訳ではないだろう。
魔獣側にも時間による変化は存在しているのだ。
何より、人間――民は戦力にならず戦に使えるのは契約者しか存在していない。
わざわざ勢力圏を取り戻す、などということをせずとも契約者だけで行動すれば大きな問題ないと判断していたが故の反対だった。
折衷案は他にもあったが、その全てにカールは反対してきた。
当然ながら、エレインもその事は知っている。
「僕の立場はわかった上で、ということかい?」
「ええ、あなたは勢力圏を取り戻すことが無意味、という前提での発言のはずです」
「違いないね。ちょっとした安心と……後はキャパシティの問題だろう? 出産関係は上手くコントロールをしているけど、いい加減人口も増えたしね」
「ですな。結界内ではこちらが優位であるが、それは中心部での話です。辺境、砦の辺りではほとんど効果がない。奴らの長時間の活動を阻害するだけでも十分ではありますが」
エレインの方針は今を守りつつの攻勢である。
それをカールは手緩いと判断したのだ。
この断絶は単純であるが、だからこそ解消が難しいものでもあった。
状況を一変させるものでもなければ、決してこの方針の違いは是正出来なかっただろう。
「では、こう言えばどうでしょうか。結界を前進させつつの進行が可能かもしれない、というのは」
「――ふーん、なるほど、なるほどね」
「……それが今回の招集の理由ですか。確かに全員を集めるにたるものですね」
「お姉さま、詳細についての説明を求めます」
全員の反応が予想通りだったからだろうか。
柔らかく、同時に少しだけ自信ありげにエレインは微笑む。
「新たな女神様、あの方こそが鍵となります。私の、セレスティアの国を守るための、強力な切り札となるでしょう」
微笑む顔は美しく彼女の慈愛を示している。
しかし、そこに何処か薄ら寒い空気があるのは何故だろうか。
こうして彼らの方針は定まっていく。
契約者たちは魔獣に対抗するために、新たな神の力と共に前に進もうとしていた。
そこに無垢なる神の意志は関係なく、ましてや民の意見など顧みることもない。
正しくかつての神と同じように、彼らは己の意思のみで全てを決めようとしていた。
――既に、世界が変わっていることに気付かずに。
この場に集えども、心は一致していない。
悪いことではないが、お互いに彼らは齟齬を抱えている。
この先、どこでそれが爆発するかもわからぬままに前に進もうとしていたのだった。
王城の一角――正しくは中心と言うべきだろうか。
玉座の間に憂いげな表情で佇む1人の偉丈夫がいた。
体躯は大きく、暦が見ればアメフトの選手かと思うようなガッシリとした身体つきをしている。
巨大な体躯に、品良く纏められた豪奢な衣装。
妙に小さく見える玉座の存在が、彼をこの国の主たる存在だと示していた。
その風貌なせいか、受ける印象がチグハグとしたものになるのは仕方がないのだろう。
玉座に大人しく座るよりも戦場を駆ける方が遥かに似合う王。
そういう王がいなかった訳ではないが、現在の時勢に必要とされる王者ではないことは確かであった。
豪放磊落を体現した体躯でありながら、顔には深い苦悩が刻まれている。
憂鬱そうな溜息と共に、王は脇に控える黒衣の老人に尋ねた。
「我が宰相、ゲオルグよ。どうなると思う?」
「ご質問が些か抽象的故に答えに窮しますが……そうですな、大凡の方針は攻勢で一致するのではないでしょうか」
「で、あるか。無意味なことをするものだ。……エレイン殿も、長き時は疲れるのだな」
「あの方は今を以って猶、この国の守護者であります。しかし、それは国という器の守護者であり、民を想ってのことではありません。長き時を、人の心では生きられませんでしょう」
豪放磊落、かつ強気であるはずの王者――『アージェント・セレスティア32世』は大きな溜息を吐く。
憂いげな表情が欠片も似合わない男であったが、彼をして溜息を吐きたくなるほどに聖王国を取り巻く事情は厳しい。
「お分かりでしょうが、無駄なことを考えるのはやめた方がよろしいでしょう。風の契約者殿のように心が折れている方が自然なのです。文明が崩れ去るほどの衝撃を耐えてしまうような強さは、ハッキリと申しまして異常です」
エレインを筆頭にして、今も精力的に活動が出来る契約者というのは何処かがおかしいと貴族たちは感じていた。
契約者側の視点からすれば、小賢しくも立ち回る鬱陶しい存在であるが、貴族たちは人間のために暴虐な契約者を牽制しようと必死なだけである。
やれる力があるのに、わざわざ人間を死地に連れて行く彼らに唯々諾々と従っていたらあっという間に民は壊滅してしまうだろう。
「かと言って、彼らの協力なしに国を維持することも出来んだろう」
「はい。ですので、内部での主導権争いに終始しています。仮に武力決起などしても意味はないですしな」
「詳細は任せる。……あの方たちも、別に悪逆という訳ではないのだ。しかし、エレイン殿を筆頭に繋がる相手を失ったことが孤独に拍車をかけている」
エレインに至っては国の黎明から存在する契約者である。
心が折れてしまった契約者はその当時、つまりは500年前に外見相応の年齢もしくは若かった者が多い。
対して耐えるどころか新たな神として頑張っているのは、エレインを筆頭とした古参ばかりである。
力もそうだが、心が神に近づいていた故に彼らはやれてしまうのだ。
しかし、カールはともかくとして元々は善良であるエレインに完璧な女神の影は大きな負担となっていた。
本人に自覚はなかろうと、彼女に育てられたに等しい王族たちはそれに気付いてしまう。
無理をしている、と感じてしまった以上、何かをしたいと思うのが人情であった。
「責任感、というのも厄介なものですな。全てを自分たちで決しようとしている。かつて、神々がそうしたように」
「あの方にとって、いや、彼らにとっては我らは期待する存在ではなく、庇護する存在なのだよ。どこまでいっても、子どもは子どもでしかない、ということだ」
王の言葉に宰相は少し意地悪く笑い、
「そこまでわかっていて、猶も信じておられるのですか? 共に、手を取り合えるはずだ、などと。夢想も良いところでしょう」
「無論だ。人は神やそれに類する者を排したいのではない。彼らに認められたいのだ。我らは無力に、駆逐されるだけではない。あなたたちを支えることが出来るのだ、と証明したにだよ。……手を取って欲しいのだ」
貴族派の内部にも様々な思惑はあれど、神々に従ったままでは現状は何も変わらないということでは一致していた。
知性ある者が集まれば、そこには思惑が生まれ、派閥も生まれていく。
王と言う飾りものであろうとも、彼もまた意思を持つ存在であった。
戦いに沈もうとするかつての想い人を助けたいと思う心はある。
「理想は理想。しかし、生きるには目的が必要ですな。何よりもそれが王の命とあらば、微力を尽くしましょう」
「頼む。わかっているだろうが、新しい女神に接触させるのは末端で十分だ。あちらよりも」
「契約者殿、ですな。中々に強かそうな方で遣り甲斐があります。ちょうどよく、向こう側から会談の申し込みがありましたしね」
この時、初めて王者の顔が楽しそうに歪んだ。
正確に時勢を把握している暦に対して、期待感を抱いたのである。
「ゲオルグ、上手くやれ」
「御意」
この日、全ての将軍たちが集まった日に行われたもう1つの会談。
名前もなく、表に出ることのない話し合いも世界に大きな影響を与えることになる。
胎動する流れは1つではなく、いくつもの流れが生み出されていく。
今はまだ、穏やかな日々が続く世界に激動がやって来るのはそう遠い日の出来事ではなかった。




