第9話
停滞していた世界が動き出す。
その切っ掛けとなるのは、エレインによる緊急招集。
彼女の決断、四方の守りを薄くしてでもやらねばならないことがあるという、意思の発露が否応なく世界に変革を要求するのだ。
彼女がそれを求めた訳でもないが、引き金を引いたのは間違いなかった。
「さてはて、エレインはその辺りのことはどう思っているのかな」
「どうかされましたか?」
「いや、何、独り言さ。面白くなるかな、とね」
「閣下は乱を望み過ぎです。戦は後方の安定があってこそですよ?」
副将の言葉にカールは苦笑する。
自分でも自覚があるほどに彼は安定とは無縁の男だった。
的確な物言いは付き合いの長さもあるが、契約者としてのカールよりも人間としてのカールに重みを置いているからこその発言である。
「返す言葉もないよ。君に口では勝てないね。武神、などと言われても僕もこの程度かな」
「閣下は素直すぎますから。戦は時には卑怯であることも必要ですよ」
「なるほど、君の言う通りだよ」
示唆に富んだ言葉に微笑み、馬車の外に視線を送る。
流れていく景色を見つめて、カールはふと感想を漏らした。
「うーん、ここは変わらないねー。帰るのは結構久しぶりだけど、かつてのまま長閑な光景だよ」
「北に比べればどこも天国ですよ。地獄に最も近い場所。我らのかつての母国に繋がるあそこがそのように呼ばれているのは知っていたはずでは?」
「はは、それはそうだけど、あまりにも変化がないのが気になってね。まるで、やる気がないように見えるよ」
本来ならば大軍を指揮しているであろう男は退屈そうに呟いた。
言葉に籠められた意味を副将は正しく受け止める。
「……仕方がないでしょう。エレイン様は絶対者ではないです。意見の舵取りを行い、我らにきちんと援助してくださるだけでも立派かと」
「ああ、僕もエレインに文句があるわけじゃないさ。貴族たちにはいろいろとあるけどね。神がいなくなってから、ああいう力もない輩が小賢しく立ち回るようになったよ」
「同意しますが、そもそも惰弱な者たちに支えられている我らの弱さの方が問題かと」
男の愚痴に女は冷ややかに返す。
共に力を柱としているからこそ、自身の現状に対しての憤りがそこにはあった。
「……ああ、その通りだ。意味のない繰り言だったよ」
「ご納得いただけたなら幸いです。これは独り言ですが」
「ほう?」
「あまり滅多なことは言わない方がいいと思いますよ。ただでさえ、私たちは嫌われていますからね」
「了解、了解。なるべく注意するさ」
カールは副将の忠告を軽く受け止める。
彼ら――北方軍集団が嫌われていることなど周知の事実なのだ。
今更気を遣うほどの情報ではなかった。
そんな態度が透けて見える男に、女は額を押さえる。
彼女以外で頭脳労働を行ってくれる人材が軒並み壊滅したが故の悲劇がそこにはあった。
「……カール様。お願いですから、少しは頭を使ってください。天空神の眷属、その中でも最強たる方が猪などと……神になんと言えばいいやら」
「はははは、ごめんごめん。ま、細かいことは追々詰めるさ。ディオンの話が本当なら、今度はちょっと本気でやろうと思ってるからね」
少しだけトーンが落ちる声に場所の空気が一気に冷える。
獲物を前にした肉食獣のような笑みを浮かべる男――北方将軍『カール・ロンギース』。
年齢、格なども含めてエレインに次ぐ第2位の契約者が、戦いの気配に歓喜の表情を浮かべていた。
「新たな神、それもセレスティアの系譜。ふふふっ、エレインはどんな気持ちなのかなぁ。いや、本当に楽しみだよ」
「セレナ殿とその契約者。なるべく初対面の印象はよくしてください。一応、引き込む努力はするつもりですから」
「了解、了解。心配しなくてもきちんとやるさ」
契約者も人間である以上逃れられないものがある。
魔獣の侵略を前にして、抗うという選択肢は同じでも取りえる手段は異なっていた。
その差異がここまで人類を追い詰めた要因の1つであるのは間違いないだろう。
全てを理解する頭脳を持ちながら戦いの申し子は放置する。
時勢の変化、変わっていく流れに戦の匂いを感じ取り、カールは歯を剥き出しにして笑った。
「戦いは前準備で全てが決まる。だからこそ、準備はしっかりとしないとね」
「……不穏なことを言いますね。我らの敵は魔獣ですよ」
「仇は討つさ。それは大前提だけど……自分の衝動に嘘は吐けないからね。だから、僕を止めたいなら――」
「殺すしかない、でしょう? わかっていますよ。……その時が来るまでは、御供しますよ」
「ありがとう。ノーア、君は本当に僕の補佐にピッタリだよ」
満面の笑みで礼を言う男に眼鏡を掛けた知的な女性は憂鬱そうに表情を歪めた。
「あなたと出会った時から、私の人生は詰んでいたのかもしれないですね」
「ははっ! そうかもしれないね。運命ってやつだよ」
朗らかなはずなのにどこか薄ら寒い空気と共に現在の聖王国で1番の問題児は王都を目指す。
何を考えているのか誰にも読ませない。
エレインと唯1人だけ同じ視点を持つ者、そして同時に永劫に交わることがない者。
「……時代、か。いくつも見たけど、今度は今までとは違うかもしれないな」
何もかも変わった中で、戦場を照らす理は勝利を纏って存在する。
変わる世界の中に不変があると信じて、彼は戦場を支配するのだ。
「まだ見ぬ契約者よ。せめて、君の理が楽しいものであることを祈るよ」
神ではなく、人を見つめる戦神。
王都での出会いに何かを期待しながら、彼は今日も世界を掻き乱す。
彼の真意を知ることが出来る者は、もうこの世界に残っていないのだった。
暦がセレナと引き離されて既に1ヶ月。
あれこれと理由を付けて面会も許されていないがその理由もなんとなくだが理解してはいた。
この世界において神というのは最大級の力を持つ存在であり、現実的な暴力と精神的な支柱という要素が組み合わされることで最高の存在感を放っている。
チマチマと派閥の調整などしなくてもセレナの言葉を貰えれば一気に逆転すらも可能な切り札が手に入ったのだ。
善良な派閥であろうが、ある程度のルール違反程度はやってのけるだろう。
「それがほとんど無意味と知ったらどう思うのかね?」
今日もセレナの下に王族が顔を出したようだが一方的に話すだけで終わっていた。
それもそのはずである。
セレナの意識は他の誰でもないこの男の中に存在していたのだ。
別室に残っているのは抜け殻――というと語弊があるがそれに近いものであるのは間違いなかった。
セレナの存在感など最初から暦も予想していたのだ。
易々と引き剥がされるような真似をするつもりはなかった。
「俺がホイホイと自分の主を預ける奴だと思われるのは心外だな。きちんと安全対策はするものだと思うんだけどな」
『暦は、私の心配をしてくれたんだよね?』
「そういうこと。取らぬ狸の皮算用をするのは自由だが、狸側が付き合う義理はないよ」
誰もいない場所、王城の一角に用意された自室で暦はセレナに話しかける王族を監視しつつ思いを吐露する。
厳戒態勢の王城。
空気がピリピリとしているからこそ、今が行動をするチャンスであった。
派手に動くことはないが、それなりに暦は考えている。
普段はエレインの目があるためにセレナに接触出来ないのだが、今だけは別であった。
「あの女、万能型だが俺ほどじゃない。目の前にいなければどうとでもなるな」
『あの子の属性は『統制』だから。私の全能神としての側面が出ているの』
「私、じゃないだろう? その辺りがあいつらにも確証がないんだろうがな」
『あっ、ごめん、なさい』
「怒ってないよ。ま、追々でいいさ」
セレナはセレスティアではない。
言葉遊びのようだが、暦はそれを確信していた。
生まれ変わって出会う、というのは中々にロマンがあるが、1度死んだが記憶を持っているから本人、などいうのは意味がわからない。
それでは死んだとは言わないだろう。
死は終わりであり、だからこそ生が輝くのである。
リセットが出来るようでは何も意味がない。
「……そうだよ。死んだら、終わりだろうが」
『暦?』
「なんでもないよ。自分のスタンスを確認しただけさ。はてさて、今日は中々にやりたいことが多くて困るな」
自分の内心は隠し、何事もないように振る舞いながら思考を切り替える。
暦がやらないといけないことは多岐に渡るのだ。
ここから世界を動かすだけの力を得るには無茶をする必要もあった。
「会議の内容が知りたいんだが……流石にねー。何人か怪物がいるみたいだし、下手なことをしたら死ぬかもしれんね」
イザベルとの修行もあり簡単にはやられなくなっているが、それだけで慢心するほどアホではなかった。
この世界の軍事力の質、というものを軽視するつもりはない。
今の暦では契約者の誰にも勝てない。
意見を押し通すだけの強さがなんらかの形で得られるまでは雌伏の日々が続くのだ。
「……戦場の方が楽でいいようなが気がする。いや、流石に気のせいだろう。斬った張ったが楽とかどんな修羅だよ。でもなぁ……」
自分を鍛える傍らに様々なプランを考えていた。
考えているのだが、実行するだけの基盤が皆無だった。
暦がやりたいことは一言で言えば富国、である。
「契約者以外が時代相応の戦闘能力しかない。それはどう考えても問題だろう」
いろいろと考えてた暦が出した結論は1つ。
契約者同士の主導権争いも問題ではあるが、そんなもの人間の政治には付き物なのだからそこまで気にする必要はない。
最大の問題は、魔獣にどのように対抗すれば良いのか、ということだった。
最大戦力である契約者、もしくは神はかつて投入されて結果として敗戦している。
その理由を暦は推測していたが、結界内に来て確信に至ろうとしていた。
「魔獣の浸透具合、つまりは一般人が生き残れてない」
魔獣の圧倒的な再生能力と数が契約者の防御を突破している。
結界を盾にした攻防ではこちら側が優勢なのもあることを示していた。
「……この世界の人たち、攻撃は上手いが防御が下手くそだな」
圧倒的な能力故か敵の排除に思考が偏っているのだ。
頭は悪くなくとも発想がない以上、こちら側の被害は減らない。
まさに試合には勝ったが勝負に負けた状態が続くのだ。
契約者対魔獣の試合に勝利するのは難しくないが、防衛まで含めた勝負となる惨敗もいいところである。
後方戦力、つまりは人間を鍛えるという発想がないのがこの世界の現状を招いていた。
「社会基盤を破壊されるから、契約者も居場所を失う。……信仰はつまるところ社会があってのものだからな」
人間が皆殺しにされてしまえば結果として神たちも力を減少させる。
そうやって少しずつ対抗した結果が魔獣による神殺しなのだろう。
無論、それだけではないのだろうが、大きな理由の1つとして考えるには十分だった。
また、契約者が残った理由も似たようなものである。
力の大半は神からのものだが、神が滅んだ際に役割を受け継いだ。
しかし、彼らは元は人間である。
神の力はブーストであり、あくまでも補助に過ぎないのだ。
「存在まで含めて実は人間に依存している神は意外と脆い。……そういう意味で、セレナは……いや、今はいいか」
自分の主に考察を巡らせようとして、そこでやめておく。
今はまだ時期ではないし、先ばかり見過ぎるのも良いことではなかった。
暦が今すべきことは1つ。
他の契約者がやれない、もしくはやらない人間側の強化を行わないといけない。
土地を守るのに適しているのは1人の超人ではなく複数のベテランである。
英雄による戦争から軍隊による戦争に形式を切り替える必要あるのだ。
どれほど能力が優れていようが限界というものは存在しているのだから、あって然るべき変遷を辿らせなければいけない。
「さしあたって……ファンタジーの定番から手を付けたいんだけど……」
人間とよく似た姿をした神や特別な力、おまけに侵略者と暦が知る限りのファンタジーな要素を大量に詰め込んだ世界なのだがあるものが欠けていた。
この世界において特別なのは神と関わった者だけであり、特殊な力なども全ては神が由来となる。
だからこそ、人間が扱える簡単な奇跡の代名詞がこの世界には存在していないのだ。
「まずはそこから……なんだけどねー。いやはや、前途多難だな」
とりあえずの目的はしっかりと存在している。
達成のために必要なものは見えている。
暦という契約者、自分をカードにするのにも躊躇はないが、既存の派閥内に組み込まれるのは最終目的に困るという問題があった。
エレインの派閥に入ってしまえば楽なのだが、それは全てをエレインに任せるということと紙一重の選択肢なのだ。
成果を出してからそれを元手に独立、も不可能ではないがどうしてもしがらみというものが生まれてしまう。
「目標を達成するためには手段が必要で、手段を得るために目標を立てる。……そして、初志を忘れてしまう。……上手くいかないもんだ」
力というなんとも曖昧なものを手に入れるために行動をしないとならない。
今日の会議が1つの分水嶺になることはわかっていた。
「派閥に入らずとも、ある程度は利用できる。……1つしかないか」
どっぷりな関係にならない。
全体として見た時は1部の人間と仲良くしているだけに済む派閥など1つしか存在していない。
今回の会議では西方――4つの区域の中ではちょうど中間点の難易度を誇る場所を守護する者と顔を合わせる必要があった。
「俺の目標は、西方将軍『カシス・エード』と仲良くなること、か。異世界に来て、やるべきことがナンパとは……俺も思わなかったわ」
学校では女子生徒と話すこともあったが、特別接することが得意という訳ではない。
異世界に来てコミュニケーション能力が必要になるとは考えたこともなかった。
「結局、どこに行っても人間と接する以上は必要な最低限の技能ってことか。……戦闘能力よりもこっちをなんとかすべきだったかな?」
援護はなし、敵地に孤立無援の状態で情報もないのに要塞の攻略を求められている。
作戦難易度が高すぎて逆に笑えてくるような状況となっていた。
しかも、リトライもなければセーブもない。
現実という遊びの残酷さがそこにはある。
「なんとも……本当にクソみたいなゲームだよ。……やれるだけのことを、やるしかないか」
暦にとっても運命の分岐路となる会議。
後の世に『セレスティア会議』と呼ばれる歴史の転換点が動き出す。
その中心に暦の姿はまだ存在していない。
彼が時代の流れを生み出すには、今はまだ少しだけ時間を必要としているのであった。




