第188話 狙われたエンデル
「さてさて。色々と大変なようですが――皆さん。ここはひとつ、提案をさせていただきましょうか」
頭上から声が降ってきた。
同時に、影が落ちる。
空から舞い降りたそれは、漆黒の肉体を持つ巨躯の化物だった。
肌は岩のように硬質で、筋繊維が鎖のように絡み合っている。頭にはねじれた角が二本、下顎からは猛獣じみた牙が突き出ていた。
鬼――そんな言葉が脳裏をよぎる。俺たちも鬼と呼ばれたが、それとは別種な物だ。
だが、俺たちに話しかけてきているのはそいつではない。
化物の肩に乗った白衣の男だ。
癖のある白髪に、縁なしの丸眼鏡。細身で、見るからに戦士というより学者。
だが問題は、見た目ではない――その“気配”だ。
確かに実体はあるのに、どこか虚ろ。存在の輪郭が曖昧だ。
これは……まぁ、嫌な予感しかしない。
「突然やってきて提案とは、ずいぶん勝手だな」
「まぁまぁ。皆さんにとって悪い話ではありませんよ。――ほら、そこで怯えている少女をこちらに渡してください。そうすれば全員、無事に――」
その瞬間、俺の中で“線”が切れた。
言葉の続きを待つことなく、俺の刃は男の首を断ち切っていた。
今の俺の護衛対象はモンドとエンデルだ。こいつがエンデルを狙っている以上、殺す以外の選択肢はない。
「……やれやれ、いきなり首を飛ばすとは、酷い人ですね」
白衣の男が平然と口を開いた。
切断されたはずの首が、霧のように形を保ちながら喋っている。
「――やっぱりか。お前、本体じゃないな?」
納得だ。
感触が違った。切ったのに、生身の反応がない。血も流れず、手応えも軽い。
幻影系、もしくは遠隔の肉体投影ってところか。
「おいリョウガ、なんなんだこいつは!」
「あ、忘れてた」
「ちょっ、何を――!」
反射的にガロウの顔面へ手刀を放ってしまった。
いつの間にか当然のように横にいたからな。
「何って……殺すつもりだが?」
「いやいや! 状況見ろ! 今そんなことしてる場合じゃねぇだろ!」
言われてみれば確かにそうだが、先に喧嘩を売ってきたのはそっちだろ。
「やれやれ……じゃれ合いは他所でやってもらえますかね」
白衣の男がため息をついた瞬間、天が白く光った。
次の瞬間――雷撃。
轟音が地を揺らし、俺とガロウは同時に後方へ跳ぶ。
「実体がないくせに、魔法まで使えるのか」
「えぇ、当然です。私、天才ですから」
「自分で言うなよ。いけすかねぇ奴だな」
ガロウが刀の柄に手をかけ、舌打ちした。
「ふぅ……どちらにせよ、交渉は決裂ですね。仕方ありません。――やってしまいなさい、“ジャキ”」
白衣の男の言葉と同時に、巨体の化物が咆哮を上げた。
『グォオオオオオオオォォォオッ!』
地が震え、砂塵が舞い上がる。巨腕が振り下ろされ、大地がえぐれた。
速い。見た目以上に、反応速度が高い。
ただ、速い“だけ”だ。避けるのは容易い。
「何がなんだか……とにかく私たちもやるよ! クルス、魔法!」
「わかりました――加護の光――ブレス・オブ・ガーディアン!」
クルスの詠唱と共に淡い光が降り注ぎ、俺の筋肉が一瞬にして軽くなる。
視界の輪郭が鋭くなり、神経が研ぎ澄まされていくのがわかる。支援魔法か。悪くない。
「おい、俺たちにはねぇのかよ!」
「よく言えたもんだね。最初はリョウガを殺しに来たくせに」
「だからそれどころじゃ――待て、なにか来る!」
ガロウが刀を構えた瞬間、俺も同じ違和感を察した。
足音。大量の足音だ。腐臭を伴って近づいてくる。
「仕方ない。この巨体は俺が相手する。後方は任せる」
俺が拳を受け流しつつ発すると、背後の扉が爆ぜた。
中から大量のマタンゴが湧き出すように現れた。
白衣の男が愉快そうに笑う。
「アハハハッ。賑やかになってきましたねぇ。いい眺めです」
「あぁ、なるほど。あのマタンゴはお前の仕業か」
「さてどうでしょうかね」
白髪の男が肩をすくめて答えた。これは認めてるのと一緒だな。
「つまり街で暴れてる魔獣もお前が放ったのか」
「いえいえ。そちらは私とは関係ありませんよ? でも……結果的に仕事がしやすくなりました」
とぼけた顔で笑う。魔獣には関与してないか。
「お前ら、エンデルから目を離すな!」
「は、はい、会長!」
「了解!」
イザベラが剣を振り抜き、胞子の霧を切り裂いた。
モンドの護衛たちはエンデルを中心に円陣を組み、必死に守りを固める。
「ウドン! マタンゴを狩れ!」
「了解ッ!」
ウドンが咆哮と共に腕を伸ばし、数体をまとめて叩き潰す。
群れが崩れ、ぬるりとした体液が地を覆った。悪臭が漂うが、戦況は悪くない。
「よし……仕方ねぇ。こっちは俺が手伝ってやる!」
「別に頼んでないぞ」
「だったら勝手にやってやるよ!」
ガロウの言葉と同時に、黒い巨体が咆哮を上げた。
上空が歪み、化物の口が大きく開く。中で黒いエネルギーが渦を巻いている。
「おいおい……嫌な予感しかしねぇな」
「尻尾を巻くなら今のうちだぞ」
「は? 誰が逃げるか――」
ガロウの言葉を遮るように、黒球が放たれた。
空気が焼け、地面が削れ、轟音が耳を突く。あの速度、避けきれない者は確実に蒸発する。
「そこまで言うなら……譲ってやるよ」
「は? おま、ちょっ――!」
俺はガロウの首根っこを掴み、黒球の軌道上へ放り投げた。
「テメェざけんなっ!」
「何だ。そんなもんも切れないのか?」
「クソがっ――抜刀昇華――極一閃!」
雷鳴のような音が響いた。
閃光が走り、黒球が真っ二つに割れた。
割れた断面から爆風が吹き出し、黒煙が渦を巻く。
「……ふぅ。やっぱり、まだ上があったか」
俺は目を細め、肩を鳴らした。
ガロウの実力は確かだ。
少なくとも“弾除け”としては悪くない。
――さて、こっちも少しは動かないとな。




