第7話 嫉妬
アベルの転生したこの世界は、人族と魔族とに大陸が分かれていた。
魔族は、特殊な魔力を持ち力も強い。しかし数が少なく、全世界の二割の領土に約一億の民が住んでいる。
一方、人族は魔族のような特殊な力は無い。代わりに技術力があり、何より人口が多く世界の八割を占める領土に約二十億の民が住んでいる。
その魔族と人族の間を隔てるように、ドレスト山脈という高く険しい山脈が連なり、僅かに開いた平地と東側の海から、魔族は人族の侵攻を受け続けてきたのだ。
魔族と人族の戦争は数千年前から続いているが、時代により激しさを増したり停戦状態になったりを繰り返している。
それというのも、人族側には大小幾つもの国が存在し、人族同士で戦争をしている為、近年人族が一致団結して魔属領に攻め入ることができずにいた。
現在、人族側ではドレスガルド帝国とアメリア共和国の二大国がいがみ合っており、ここ五十年は魔族側との大きな戦いは起きていない。
開けた平地側で、国境を接しているドレスガルド帝国との間で散発的に戦闘が起きているだけである。
大昔は魔力を持ち力の強い魔族側が勝っていたのだが、人族側が近代兵器を次々と開発し、昨今では軍事バランスが崩れてきているとの報告もある。
常に近隣諸国と戦争をし、軍事力を高め兵器を開発している人族と、戦闘を中央から離れた辺境に任せっきりで平和ボケしている魔族では、自ずと力の差は開いて行くのは明らかだろう。
この硬直した世界に、アベル……佐々木透矢という転生者がイレギュラーとして現れ、この先の歴史がどう変わって行くのか、まだ誰にも分らなかった。
◆ ◇ ◆
校内教練を終え更衣室で着替えているアベルは、隣のビリーの首にかけてあるネックレスが気になった。
視線に気づいたのが、ビリーはアベルに話し掛ける。
「これは、母の形見なのです」
「すると母君は……」
「はい、二年前に……。家は貧乏で満足な治療もしてあげられず……」
「それは……お気の毒に……」
アベルは目を伏せた。自分の境遇と重なる部分を感じたのだ。
「この士官学校に入ったのは、特待生だと学費免除だからなのです。ボクは潜在力が高かったので、特待生として入ることができました。軍で出世すれば家族に仕送りも可能だから」
「キミは成績も優秀で希少な魔力も持っている。希少スキルの治癒が使える者は重要だ。きっと出世できるはずさ」
そう言ったアベルは、過去を思い出していた。
(ビリー……中肉中背で黒髪、真面目を絵に描いたような顔をした男だ。真面目で一生懸命……だが、真面目なヤツはいつも損をするのだ。前世での俺もそうだった)
人を搾取する奴ら。平気で裏切る者たち。そんな奴らに、何度煮え湯を飲まされたことか。
(異世界に転生したが、どこの世界でも悪いヤツは多い。平民というだけで不当な扱いを受けてしまう。何も起こらず無事に卒業できれば良いのだが――)
アベルの心配が後に現実となるのだが、この時はまだ知る由もなかった。
本日の教練が終了したアベルは、帰り支度をして校門へと向かっていた。
たまたま一緒になったエレナが、駆け足でアベルの隣に並ぶ。
「アベル君、この後って暇?」
「まあ、特に用は無いが」
「じゃあじゃあ、何処か遊びに行かない?」
「そうだな……」
(エレナ……。エレアノーラ・パイモン伯爵令嬢。パイモンという名前からして、おっぱいが大きく俺の苦手とするタイプだ)
アベルが苦手意識を持つ反面、エレナは男子から人気が高い。
大きな目に長いまつ毛、少しのんびりとした感じの美人だ。ふわふわの茶髪と柔らかそうな女性らしいスタイルで、次から次へと男子を虜にしてしまう。
「ふふっ♡ アベル君、緊張してるの?」
エレナは茶髪をクルクルとさせながら、じゃれつくような仕草をする。
動く度に胸が揺れて、アベルは気になって仕方がない。
「き、緊張はしていない。その……」
「アベル様、お迎えにあがりました」
ちょうどそこに、いつものように専属メイドのローラが迎えに来た。
「あ、ああ、ローラか……」
(ど、どうする俺!? 前門の巨乳、後門の淫乱メイド! ダメだ! どちらも危険すぎる!)
アベルは心の中で迷ってしまう。どちらに行っても気苦労が多そうだから。
「もう、アベル君、行こうよ」
むにゅ!
「む、胸が、エレナの胸が……」
「ほらほらぁ」
ピキッ!
その時、アベルは凄まじい殺気を感じた。
(何だ! 凄い殺気が後ろから! 後ろを見ても、いつもの淫らなメイドが控えているだけだが。 おかしいな? 最近やけに殺気を感じる気がするのだが。誰かに狙われているのか? 少し注意した方が良いかもしれないな)
エレナとローラのプレシャーを感じながら、やっとアベルが結論を出した。
「エレナ、悪いが今日は家でやることを思い出した。遊びに行くのは、また今度にしよう」
「ええーっ! そうなんだ。次は一緒だから。もうっ、絶対だからね」
「ああ」
エレナと別れたアベルは、屋敷までローラと一緒に歩く。
相変わらず見た目も所作も淫らすぎて、アベルの心が乱されてしまうのだが。
「その……ローラ、わざわざ迎えに来るのも大変だろう。明日からは送り迎えはしなくても大丈夫だぞ」
「いえ、これは私の大事な仕事です。アベル様に何かあったら、旦那様に叱られてしまいます」
「いや、でも……」
(俺は子供じゃないぞ。というか、俺の命令に絶対服従じゃなかったのか? このメイド、俺の命令を聞いてくれないじゃないか…)
絶対服従のはずが意外と頑固なローラに、アベルは肩をすくめる。
そんなローラは、少しだけジト目になるのだった。
「アベル様、おモテになるのですね」
「ん? 別にモテてはいないさ」
「御学友の方にデートに誘われていらしたので」
「そうか? あれは普通だろ」
普通とか言っているアベルだが、実際エレナは彼にだけ馴れ馴れしかった。
校外教練以後、急に絡むようになったのだ。
(あんな美人と付き合えるのなら最高なのかもしれない。だが、前世から女慣れしていない俺は、必死に冷静さを装っているのが精一杯なんだ。付き合ったりしたらボロが出て、恥をかくのではと考えてしまう……)
アベルは隣で歩くローラを見る。
ローラなら、喜んで手ほどきさせてくれるかもしれない。貴族の息子に若い専属メイドを付けるのには、本来そういう意味もあるのだろう。
(ああ、こんな淫らなメイドが初めてだと、俺の精神がもたないかもしれないじゃないか。一体、俺はどうしたら良いんだ……)
やはりアベルは女性が苦手だった。
◆ ◇ ◆
エレナには用があると言ったアベルだが、実際は特に用もなかった。早めに湯浴みをするくらいである。
家に帰っても、淫らなメイドがピッタリと付いてきて落ち着かないのだ。
「ふう~っ、やっぱり風呂は落ち着くな。ここは一人になれる聖域だからな……」
やっと一人になれたと落ち着くアベルだが、あの淫らメイドが放っておくはずもなく。
「アベル様、お背中をお流し致します」
「はあ? いや、ちょ、ちょっと待て」
「失礼致します」
「もう入ってるじゃねーか!」
突然、ローラが入ってきて、アベルは後ずさる。
しかも彼女は下着姿なのだ。スリムでありながら胸や尻にはムッチリとした肉付き。その魅惑の肢体を包むように、清楚な純白の下着を付けている。
「お、おい、何で下着姿なんだ!?」
「裸の方がよろしいでしょうか?」
「そうじゃない! メイド服で良いんじゃないか?」
「申し訳ございません。服が濡れてしまいます故、お見苦しい体をお見せしてしまいますが、このまま御奉仕いたします」
「い、いや、ローラの体は全然見苦しくないぞ」
「あ、ありがとうございます」
アベルの言葉で、ローラが頬を染めた。
(待て待て待て! 服を着ていても淫らすぎて困っているのに、下着姿なんぞになったら直視できないではないか!)
「ひ、一人で洗うから戻ってくれないか」
「いえ、これは私の大事な仕事ですので」
(だから、全然命令に従ってくれないじゃないか! どうなってるんだ!)
「では」
ローラはタオルに石鹸を付けて、アベルの背中を洗い始める。
既に手つきが妙に妖しい。
「んっ♡ んんっ♡」
(だから、何で色っぽい喘ぎ声を漏らすんだ! 気のせいとか思われるかもしれないが、本当にこのメイドは淫らなのだ! 絶対、気にしすぎではないはずだぞ)
「アベル様、前も洗いますので」
ローラの手が、アベルの胸元に滑り込んできた。
「いや、前はやらなくていい! もう大丈夫だ!」
「ですが」
「後は一人でゆっくりしたから、もう戻ってくれないか」
「分かりました……」
ローラは残念そうな表情をして浴室を出ていく。去り際に一言だけ残して。
「アベル様、ご命令いただければ、私は何でもいたしますから」
「は?」
(ど、どういう意味だ? 聖域だった風呂まで侵食されて、もう俺の安息の地は何処にも無いというのか。ローラが何を考えているのか、俺にはさっぱり分からない……)
将来、国家存亡の危機に対し勇猛果敢に戦うアベルだが、女性関係では簡単に侵略を受けてしまうのだった。




