第2話 誕生
透矢が目を覚ますと、そこは柔らかなベッドの中で、清潔なタオルのような物に包まれていた。
天井は高く、壁は細部まで彫刻や装飾が入ったゴシック建築のような造りになっている。
窓から入っているであろう風が、心地良く快適な肌触りで流れてゆく。
透矢は思った。たしか、ジットリとした夏の季節だったはずだと。しかし体感するのは、まるで秋から冬にかけての気温のようだ。
体を動かそうとする透矢だが、思い通りに動かせない。いや、動かない訳ではない。酷く運動神経が衰えた……いや、未発達のように感じる。
(何だ、ここは……。確か、俺は死んだはずでは? 一体どうなっているんだ……)
透矢が訝しんでいると、そこに上から覗き込むように男女が現れた。
「@@、@@@@@@@」
「@@@@@、@@@@@@@」
その二人が何かを言っている。
だが、透矢には何語なのか理解できなかった。
(何だ? 何語だ? 聞いた事の無い言語だ。それに、何かがおかしい……。コイツら、人間の形をしているが、人間じゃないような。何か、得体の知れない……人間ではない何かを感じる……)
透矢は腕を上げようと試みる。
(くそっ、体が上手く動かせない。どうなってるんだ)
目に映った自分の腕に、透矢は愕然とした。
(はっ? 何だ、これは? まるで、赤ん坊のような小さな手だ! 俺は………………)
この状況を頭の中で整理すると、透矢は元の記憶を持ったまま生まれ変わったのだと理解した。
(本当に転生したのか……しかも異世界に。俺の最後の願いを、神が、もし神という存在が実在したのなら、俺の願いを聞き転生させたのか。生前、何一つ俺の願いを聞かなかった神が、死ぬ直前に一つだけ願いを叶えたとでもいうのか? しかも、人ならざる者として……)
目を閉じた透矢は、深い愉悦に浸っていた。
(ふふふっ、どうでもいい、こうして甦ったのだ。やってやろうじゃないか。この俺が、人類の敵になってやる。そうだ、人類滅亡まで戦い続けてやるのだ!)
◆ ◇ ◆
それから数年が立った――――
彼の名はアベル・アスモデウス。神の気まぐれか運命の悪戯か、前世の記憶を持ったまま転生した男。
透矢だった男、アベルは驚くべきスピードで言葉や知識を覚えた。
(前世のような失敗を繰り返してはならない。この世界で成り上がるには、先ず知識と力が必要だからだ。幸い俺は赤ん坊の時から大人の知力が有る)
アベルは、まるで乾いたスポンジが水を吸収するように知識を吸収していった。幼くして天才的な知能を有し、神童と呼ばれているのだ。
アベルの種族は、元の世界で俗にいう悪魔や魔族と呼ばれているものだった。
幼い子供にして、アベルは野心に燃えていた。
「これは僥倖だ! 神がそう仕向けているのか? この世界で俺は、人間と敵対している種族なのだ。これほど好都合なことはない。本来なら元の世界のクソどもに仕返ししてやりたいが、代わりにこの世界の人族を滅ぼしてやる。ふははっ! 悪く思うなよ」
そして、更に都合が良いのは、アベルが上級悪魔であり家柄が伯爵家だということだ。
貴族の家柄なら士官学校を出て、いきなり将校として少尉からスタートができる。エリートコースに乗って軍の司令官も夢ではない。
「ふふふっ……はははははっ、はっはっはっはっは! そうだ、元の世界では、俺は底辺のゴミのような存在だった! だが、今の俺は違う!」
別の存在。強い体と精神。高い能力。もう彼は、昔の弱く優しいだけの男ではない。
「俺はエリートになった。もう誰も俺をバカにしたり踏みにじったりなどさせない! 俺は生まれ変わったのだ! やり直してやる。もうあんな惨めで無様な人生など真っ平ごめんだ。俺は上り詰めてやる!」
◆ ◇ ◆
そして、アベルは成長し士官学校の入学日となった。
全魔族領から優秀な若者が集まる士官学校。アベルは野心と期待を胸に校門をくぐった。
「ほう、ここが士官学校か」
アベルは、次々と建物に入って行く新入生を見渡していた。
(初日が肝心だ、舐められないようにせねば。そう、この学校には魔王や軍上層部の子女も入学するそうだ。コネが必要だ。この数年で人脈を作っておかねばな)
アベルには確信があった。
(だが、生まれ変わった俺なら何も問題無い! 俺の編み出したアスモデウス流軍学がな! 元の世界の歴史からパクリ……拝借した物だが……)
アベルは復讐を糧に生きてきた。それが元世界のものであったとしても。
アベルが士官学校の玄関ホールに入ると、一人の少女が何かに迷っているのか目に留まった。
小柄な体に金色の髪。怯えた表情をした少女だ。
「何だ、あの小娘は……。この貴族やエリートが集まる士官学校にも、あのような頼りなさそうな小娘もいるのか」
アベルが独り言を呟いていると、周囲の男たちが噂話が聞こえてきた。
「おい、あの子、魔王陛下の一人娘であるサタナキア様だぞ」
「これは是非、お近づきになって魔王様に取り入らねば」
そんな話をしながら男たちは通り過ぎる。
(あの小娘が魔王の娘だと! あんな弱そうで頼り無さそうな小娘が? まあいい、俺の軍学を用いて落としてみせる)
アベルは決意を新たにし、ホール奥の検査場へと向かった。
ここ、王都デスザガートにある魔王軍士官学校では、潜在能力によってクラス分けが行われる。入学時に行われる、潜在力テストや家柄などによって。
それにより、将来の幹部候補を養成するのである。
入学する士官候補生が、次々と潜在力を計測する魔石に手をかざして測定してゆく。
「潜在力、2300 Bクラスだ!」
「潜在力、8100 Aクラスだ!」
「潜在力、1200 Cクラスだ!」
次々と候補生が測定を終え、アベルの順番が回ってきた。
「次っ!」
アベルは魔石に手をかざす。
「な、何だと……潜在力、558200 これは凄い……Sクラスだ!」
「はい」
(当然だ、俺は生まれ持った才能や家柄に胡坐をかくことなく、生前の記憶と知識を使って幼少の頃から研鑽を積んできたのだ。必ず主席となって軍のトップへと昇りつめてやる!)
アベルが下がると、次の男が魔石に手をかざした。
「おおっ! 潜在力、385000 Sクラスだ!」
試験官の声でアベルは振り向いた。どうやら後ろにいた男が、かなりの数値を出したようだ。
(ほう、オレほどではないが、見所のあるヤツも居るようだな)
アベルがクラスへと向かって廊下を歩いていると、先ほどの高数値を出した男が横に並んだ。
「やあ、さっきのテスト、キミは凄い数値だったじゃないか。あっ、ボクはニコラ、ニコラ・ネビロスだ」
屈託のない笑顔を浮かべて、その男がアベルに話し掛けた。すらっとした体形で、女子受けの良さそうな爽やかな顔をした男だ。
「アベル・アスモデウスだ。キミも飛び抜けた数値だっただろ」
胡散臭いと感じながらも、アベルも自己紹介をした。
(コイツ……一応気を付けておくか……前世でも味方のように近付いてきて、油断させてから騙すクズが多かったからな)
「多分、キミが一番の数値かもしれないね。でも油断はしない方が良いよ。ここの士官候補生も、今では本当に有能な生徒より、家柄やコネで忖度されて推薦されるボンボンばかりだから」
「んっ、どういうことだ?」
ニコラは少し声を抑えて話を続ける。
「名目では実力主義のようになっているけど、実際は格式の高い大貴族や多額の寄付金をしているボンボンばかりなんだよ。そして、そういった役立たずばかりが軍のトップに上がっていき、今や魔王軍上層部は無能の集まりというわけさ。これでは人族との戦争も危ういだろうね……」
(この男……何を言っている……)
アベルは眉をひそめた。
「何故、その話を俺に? 俺が上層部へ報告したら、キミは処分されるかもしれないぞ」
「キミは他の候補生とは違うからさ」
ニコラは真剣な顔になった。
「どういうことだ?」
「キミは他のボンクラとは違う。何が何でもトップに上り詰めてやろうとする情熱や執念を感じる。この腐った世界を変革しようとする目をしている」
「ふっ、生憎、俺は危険思想のヤツと行動を共にして破滅したくはないからな」
(この男……頭も切れそうだし現状も理解している。出世して軍を変革させる為に、同じような意思を持っていそうな俺に近付いてきたのか。使えそうだが、完全に信用するのは危険だ……)
なおもニコラは語り続ける。
「ボクは、あまり格式が高くない男爵家の生まれでね。いくら成績トップクラスになっても、軍での出世は見込めないだろう。キミは家柄は良さそうだが、トップに上り詰めるのは不可能だろう。この腐敗して硬直化した組織では、必ず仲間が必要になるはず。今すぐ信用してくれとは言わないさ。だが、ボクは必ずキミの信用を勝ち取ってみせるよ」
ニコラの話を聞き、アベルの口元に笑みが浮かんだ。
「まあ、頑張れよ」
「ああ」
「ふふっ」
(面白い。お貴族様や金持ちのボンボンばかりじゃなく、骨のありそうなヤツも居るじゃないか。これから楽しくなりそうだ)




