第9話 行軍
アベルは、士官学校の生活にも慣れ、王都での暮らしも板についてきた。
前世ではろくに友人もいなかったアベルだが、この世界ではニコラたちと行動を共にする機会も多い。
行きつけの店に行っては、時にくだらない話をしたり、時に将来の夢を語ったりと、初めての青春と呼べるかもしれない日々だ。
最初は失敗だと思った王女への対応だが、今にして思えば何故か成功しているかのようである。誰にも懐いていない王女が、アベルにだけ話し掛けるのだから。
三献茶が成功しているのか、それとも『お茶の男』として覚えているだけなのか。
もう一つ、アベルはビリーを守っていた。
「相変わらずビリーへの中傷が多いな。俺やニコラがガードして大事にならないようにせなば」
平民でありながら成績優秀であり、学費免除という特待生で入学したビリーに、僻みや妬みを向けるヤツ等が多いのだ。
特権階級にある者は、己が何をしても許されると思っている輩が多いのだろう。
たまたま親の地位が高かったとか、実家が裕福だったというだけで、自分が優秀だと勘違いした者が多いのだ。本人は優秀でも偉くもないのに。
「ふんっ、実力でビリーに勝てないから、親の地位を持ち出して、威張り散らす輩の何と多いことか」
アベルがビリーを守るのは、彼を憐れんでいるだけではなかった。
親や地位を利用して、他者を踏みにじる輩が大嫌いなのだ。
エレナやアリサが、分け隔てなく接してくれているのには感謝していた。
クラスで人気の彼女らが、率先してビリーと接してくれていて、少しずつでも空気が変わっているのかもしれない。
いずれにせよ、アベルたちメンバーは好成績を継続し、Sクラス上位のまま時は過ぎていった――――
士官学校での訓練も二年目に入った頃、地獄の行軍と呼ばれている日が訪れた。
訓練を行うスタート地点に立ったライラ教官が、訓練生に向かって檄を飛ばす。
「本日は行軍を行う! これは重要な訓練だ! 最後まで気を抜かず隊列を組んで歩くように! 同期の仲間と協力し合い任務を完遂せよ!」
開始の挨拶をしたライラ教官は、候補生に隊容検査を始める。
装備の点検、携行品の確認、精神状態など、任務遂行能力のチェックだ。
行軍訓練とは、候補生が魔装式歩兵銃と背嚢を背負い、自らの機動力で高低差のある山道などを歩く訓練である。
「よし、行軍開始! 前へ進め!」
斯くして、行軍訓練はライラ教官の合図で開始された。重い荷物を持ったまま山を歩くのだ。
アベルの前に王女サタナキアの姿が見える。小さな体に大きな背嚢が不釣り合いだ。
(てっきり王女はサボるもんだと思っていたが……。こんな華奢な少女が、最後まで歩き続けることができるのか?)
アベルはサタナキアの横に並んだ。
「王女殿下、お身体は大丈夫ですか?」
「はあっ、はあっ、お、お茶の男か……。もう、疲れてダメかもしれないのじゃ……」
(大丈夫じゃなかった。これはダメかもしれないな……)
開始早々で脱落しそうなサタナキアに、アベルは肩をすくめるしかなかった。
休憩ポイントに到着すると、皆が一斉に水筒の水を飲み始めた。
この訓練で水は貴重だ。一気にがぶ飲みせず、少しずつ飲まねばならない。
ビリーが水筒を開け飲もうと口に傾けた時だった。
背後から近づいたゲリベンストが、ビリーの背中に体当たりをした。
「おおっと、足が滑ったぜぇ!」
ドンッ! ガシャッ!
突然の衝撃に、ビリーは体勢を崩し、水筒を落としてしまった。
「あっ!」
すぐにビリーは水筒を拾うが、中の水は零れてしまった。
「おっと、脚が滑ったんだ。俺のせいじゃねえよな」
悪びれもしないゲリベンストに、アベルは詰め寄った。
「おい! 今のはわざとだろ!」
「わざとだという証拠は有りますかな? アスモデウス卿」
「チッ!」
ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべたゲリベンストは、ビリーに目もくれず行ってしまった。
(アイツ、最近は大人しいかと思っていたら、こんな子供みたいな嫌がらせをしやがって。水分の不足は命に係わるぞ。とにかく、水を確保しないと)
すぐにアベルはニコラたちのもとに向かう。
「二コラ、悪いが水を少しずつ分けてもらいないか?」
「勿論だよ。仲間は助け合わないとだろ」
「私も分けるっすよ」
「当然、私もね」
アリサとエレナも賛同した。
「皆、ありがとう……」
ビリーは申し訳なささと感謝が入り混じった顔で、そう言った。
ホッと胸を撫でおろしたアベルだが、サタナキアに目を向けて考え込む。
(ビリーは何とかなったが、王女がフラフラになってしまっている。こっちの方がマズいかもしれないな。そもそも行軍訓練は連帯責任だというのに……)
◆ ◇ ◆
次の休憩で食事の時間となった。皆で簡単な携帯食を広げる。
アベルはビリーの隣に座った。またゲリベンストが嫌がらせをしてくるかもしれないからだ。
携帯食を広げているアベルに、ビリーは真剣な顔で口を開く。
「アベル君……さっきはありがとう」
「いや、感謝される程の事ではないさ。訓練は連帯責任だからな」
当たり前だと言わんばかりのアベルに、ビリーは真っ直ぐな視線を向ける。
「それだけじゃないよ。前に将校に絡まれた時も。そのずっと前に、入学時の時も……。特待生として士官学校に入れば、少しはこうなることも予想していたんだ。初日にいきなり罵声を浴びせられ、覚悟はしていたはずなのに少し心が折れそうになって……。でも、アベル君が助けてくれて……」
「ふっ、俺はただ地位を利用して威張るヤツが許せないだけだ」
(これは事実だ。俺は、前世の上司のような地位を利用して威張り散らすヤツや、相手が反抗してこないのを分かってイジメをする奴が大嫌いなんだ。入学時も、将校の時も、俺はまるで前世の自分を見ているかのように思えて体が勝手に動いてしまった)
ビリーはホッと表情を緩めた。
「アベル君は伯爵子息なのに、まるで平民の気持ちが解るような気がする」
「そうだな。もしかしたら、前世は平民だったのかもしれないな」
「前世?」
「まあ、冗談だ」
人間でも魔族でも、人はその立場になってみなければ理解できないのかもしれない。
貴族の息子として何不自由なく育てられた者が、虐げられる者の痛みなど知ろうともしないのだろう。
「アベル君、ボクはこの恩を忘れないよ。もし、将来キミに困ったことがあったなら、ボクは絶対に助けに駆け付けるから」
「ああ、期待してるぜ」
(期待……? 俺は奇妙な感覚になった。前世での俺は他人に期待などしなかった。期待しても裏切られるからだ。恩を返すと言って返さないどころか、仇で返すような奴が多かった。そのうち俺は、何も期待しなくなったんだ……)
アベルは前世のクズ共を思い出していた。
(でも、不思議だ……。ビリーなら、本当に恩を返すような気がする。何の確証も無いが、そんな気がした)
そんなアベルの胸にに、小さな光が灯った気がした。
◆ ◇ ◆
行軍も終盤に差し掛かった頃、サタナキアの体力が限界になったようだ。背嚢が左右にフラフラと揺れ、今にも倒れてしまいそうになっている。
気を使って声を掛ける同級生に、その度ビクビクとしていて、歩き難そうな事この上ない。
最初は威勢の良かったゲリベンストも、バテでフラフラとしている。こちらはペース配分に失敗した彼の自業自得だろう。
(やはり、王女の体力は限界だな。最初から無謀だったんだ。ライラ教官が特別待遇で免除しようとしていたようだが、王女がそれを断ていたみたいだったが……)
アベルは何か助力をせねばと考えていた。
(普段はサボってばかりなのに、何で今日に限ってやろうと思ったんだ。遠足じゃないんだぞ。仕方がない……)
サタナキアの隣に並んだアベルが、静かに口を開く。
「王女殿下、少し私の話に付き合ってくれませぬか?」
そう言って、アベルは王女の背嚢を後ろから持ち上げ、彼女の体に掛かる負担を軽くする。
「な、何じゃ! お茶の男……」
「ですから、私の話を聞いて下さい。私の家に大昔から伝わる御伽噺です」
「あ、ああ……」
サタナキアが頷いたのを見たアベルは、語り始めた。
「昔々、ある国に天智天皇という支配者がいました。強い権力の元、数々の国政改革を行ったのですが、やがて病に倒れ余命幾許かとなってしまいます。そして彼は、弟の大海人皇子に、皇位を継ぐようにと命じるのです。しかし大海人皇子は、『兄は自分の息子の大友皇子に後を継がせたいはず。これは自分が皇位を狙っているのか試しているに違いない。もし継ぐと答えたら、謀反の疑いありとして処分されるだろう』と思い、これを辞退してしまうのです。しかし、天智天皇崩御の後、大友皇子と大海人皇子は皇位を争って戦争になってしまいました。果たして、天智天皇は本当に息子に皇位を継がせたかったのか? それとも、まだ若い息子が皇位に付けば世が乱れると、本当に弟に託したかったのか? 真実は本人しか知らないのです」
これにはサタナキアもポカーンだ。
「ううっ、そなたは何を言っておるのじゃ……」
アベルの御伽噺で王女の気が紛れ、行軍訓練は無事にゴールとなった。
こうして、行軍訓練は全員無事に終了することとなった。
一部、ゲリベンストたちがゴールで倒れ込んでしまい、ライラ教官の説教を受けている。
「貴様ら、もしこれが実戦であったらどうなる! 将校がそのような体たらくだったら、部下に示しが付くと思っておるのか!」
そして実際に実戦は近づいていた。
アベルたちの未来は、少しの友情と期待と不安との、先の見えない混沌の中にあった――――




