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後日談 璃珠のお使い

「これは?」


 翡翠は不機嫌そうに眉根を寄せた。


 今は彼らの住処となり、まったく様相を変えた地下の秘密の穴蔵。

 そこに人間が二人やってきたのだ。ぶ厚い紙束を持参して。




 一人は金色の髪に白い肌をした年若い青年。

 サーブルザント、いや、シュバルツメラン王国の新王だ。



 そしてもう一人は、興味深そうにあちこち眺めながら、放浪の歴史学者だと名乗った。


「ピエール・サリム・モンデューと申します。お見知りおきを」


 ひょろりとした痩身の男は、三十代前半くらいだろうか。


 肩口で切りそろえられた胡桃色の髪に、モノクルをかけた、神経質そうな雰囲気の男である。


 頬にはそばかすが散っており、やや野暮ったい衣装と相まって地味な印象を与える。


 しかし、モノクルの奥で、一見柔らかく細められているように見える夕焼け色の目には、どこか一筋縄ではいかない感じが見え隠れしていた。






「それで? 一体何の用だ」


 翡翠がけだるげに言うと、シュバルツメラン現王であるウルリッヒが、やや緊張した面持ちで持参した書物を差し出した。


「これは、アトゥール王がリズ様より依頼されていた書物でございます」


 リズ、という言葉に翡翠は片眉を上げる。


「――長い年月がかかりましたが、ようやく完成したため、持参いたしました」






 それは、異世界から招かれた者たちのその後が書かれたものだった。


「なかなか進まずにいたのですが、――この者が自らを売り込んできまして。

 その調査結果をまとめ、アトゥール王が自ら書き上げました」


「ふうん。で、彼奴は?」


 ウルリッヒの顔が強ばった。言葉を選ぶように逡巡し、やがてなにかを決意したように「……息を引き取りました」と答えた。




「なんだと?」


 翡翠がじろりと新王を睨む。


 普通の人間より遥かに寿命の長かったアトゥール王は、翡翠にとって初めてできた茶飲み友達だった。




 日本にいたときに仕入れた将棋の知識を使い、似たようなものを再現させ、たまにここで対局するのが彼らの楽しみだったのである。


「ご報告が遅れてまことに申し訳ございません。――ただ、アトゥール王からの願いでございました。ヒスイ様には看取らせたくないと」


「――もう良い。要件がそれだけならば帰れ」


 翡翠はくるりときびすを返す。





「翡翠さま、それはだめよ。わざわざ足を運んでいただいたのに」


 しゃらりと鈴を転がしたような声が響く。


 螺旋階段を降りてきたのは、この国の女神と崇められる異界の聖女リズその人であった。


「――璃珠!」


 翡翠は勢いよく立ち上がり、璃珠の元へと駆け上がると、硝子でできた花びらにふれるようにそっと彼女を支えた。






「まずは、お悔やみ申し上げます」


「――恐れ入ります」


 ウルリッヒは頭を下げ、ピエールはその様子をきょとんとした様子で眺めている。


「翡翠さま。

 私がお願いしたことを、長い時間を費やしてしてくれたんですよ。そのまま追い返すなんてひどい……」


 璃珠が瞳を伏せると、翡翠は途端におろおろし始めて「すまない」と言った。それからきりりとした表情で二人に向き直る。




「では、おまえたち二人の願いを聞き届けよう」


「え、何でもいいんですか? 」


 ピエールが顔を上げる。


「──実は僕、すべての大陸に渡って歴史を研究してきたんです。妙なことがありましてね。どの大陸のどの国でも、ここ数千年の間に王族による婚約破棄騒動が起きている。

 しかも、これだけ長い月日が経つと言うのに、文明レベルにほとんど変化が見られないんです。

 これって異常だと思いませんか」


「くだらん。前書きはいい。要件は」


 翡翠が一刀両断し、ピエールは困ったように笑った。


「僕を異世界に送ることはできたりしますかね? 向こうでも調査をし」


 翡翠が指をひとふりすると、その場からピエールの姿が消えた。





「翡翠さま!」


 璃珠が窘める。


「──日本へ行くならお使いをお願いしたいものがあったのに……」


 ふたたびしゅんとする璃珠に、翡翠は慌てて何かをたぐり寄せるように手を動かす。


 すると、ずぶ濡れになったピエールが落ちてきた。


「て、鉄の馬が襲ってきた……!!!」


 ピエールはがたがたと震えながら言い、ウルリッヒは可哀想なものを見るような目を彼に向けた。




「翡翠さま、この方にお使いをお願いしてもいいですか?」


「ああ」


「でも、色々と準備があるのですぐに送らないでくださいね。それから、誰かお供につけてあげてください」


「──朱貴」


「かしこまりました。万事滞りなく」


 どこからともなく鱗のある男が出てきて、ピエールはひっと後ずさりした。




「時に、日本へお使いとはどういうことなのだ?」


「実はアトゥールさんにお願いしていたこの書物を、鴫野くんに届けてもらおうと思うんです」


「しぎの?」


 朱貴が何事かを耳打ちすると、翡翠の顔色がさっと変わった。


「璃珠、そなたはあの眼鏡の男が好きなのか?」


「鴫野くんですか?」


 璃珠がこてりと首を傾げる。


「──まさか! 友人としてしか見たことがありませんよ。いつも一緒にいた私たち三人がみんな消えてしまったでしょう? 彼だけはこちらに来ていないから、気に病んでいるといけないと思って」


「璃珠……」


「それに、私は今が一番幸せなんです! 翡翠さまや皆さんと暮らせるのが夢みたいで。だから、心配しないでって伝えようと思ってます」


「璃珠……!!!」


 目に見えて機嫌のよくなった翡翠の変化には気づかずに、璃珠はぺこりと一礼して立ち去った。






 こうしてピエール・サリム・モンデューは、最強のブレーン兼護衛と、神の力で捏造した身分を手に入れて異界へと渡ったのであった。

お久しぶりです!


他作品と合わせた謎の解明をそのうちここでできたらいいなーと思ってます。


新作を色々書いています。上の「異世界恋愛」から飛べます。


不定期ですが後日談を、色々まとまったら第二部を更新していきます。


更新情報はTwitter(@Rinca_366)にて。

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