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18.俺が消えるまでの話(1)

 とうもろこし色の髪をした女が、扉にへばりつき、どんどんと叩いていた。訳のわからない言語で呻いている。

 俺は玄関でうずくまって、必死に耳を塞いでいた。

 他の住人にはその音が聞こえないのか、誰からも何も言われない。






 俺が消えるまでの話をしよう。


 子どものころから、霊を見ることがあった。それが霊だと気がつくのには時間がかかった。なにせ、半透明でもなければ、足もある。普通の人間がそこにはいて、でも様子がおかしかったり、どこか風景から浮いて見えたりするだけなのだ。

 見たものをそのまま伝えていたら、大人たちには気味悪がられ、子どもたちには嘘つきだと詰られた。

 俺を理解してくれたのは、幼なじみの美紗希だけだった。



「霊が見えるなんてかっこいいじゃん!人と違う力があるなんて最高」


 美紗希はそう言って笑った。中学一年の冬の事だった。

 たまたま帰りが一緒になり、彼女が好きだというオカルト話が話題に出たのだ。そのときの受け答えから、もしかして霊感があるのかと詰め寄られ、打ち明けることになってしまった。

 その日から、美紗希は俺の全てになった。すぐに彼女に告白し、付き合うことになった。


「ねぇ、あっちゃん。霊感があることは、あたしとあっちゃんだけの秘密だよ」


 美紗希は念を押すように言った。


「自分には見えないものを信じないって人も多いし、人と違うことを拒絶する人もいるでしょ? あっちゃんが心穏やかに過ごすには、やっぱり誰にも知られないほうがいいと思うの」


 小学生のときに散々やらかしていたから、もちろん誰にも言うつもりはなかったが、俺は改めて美紗希に誓った。

 彼女はほっとしたように微笑んだ。俺は、胸がぽかぽかと温かくなるのを感じた。




 大学に入学した。

 はじめのうちは様子見で、髪を染めたりすることもなく過ごしていた。


 キャンパスの中を歩いていると、前から女子生徒が歩いてくるのが見えた。俺は、目を疑った。彼女からは禍々しい気配がしたのだ。


 彼女を後ろから抱きとめるように黒い靄が覆っており、その中心には一人の男が立っている。信じられないくらい美しい顔をした、日本人にはありえない色彩を持つ若い男だ。銀色の髪に翡翠色の目。腕には鱗があり、こちらを威嚇するように刃物を握っている。


 ひと目で分かった。これは悪霊なんてもんじゃない。--神だ。

 人間にとって善き神なのか、それとも禍津神と呼ばれるような悪しき神なのかまではわからない。だが、その場に縫い止められたように足が動かなくなり、だらだらと汗が吹き出してきた。

 そして、その男の周りには神使とでもいうのだろうか、動物たちが侍っている。真っ白な猫に蛇、蝶、そして地味な色の鳥だ。


 無駄なことだとわかっていたが、俺は気づかれないようにゆっくりと後ずさりをして、十分に離れてから駆け出した。吐き気が込み上げてきた。


 そのすぐ後のことだった。幼なじみの鴫野紘平が、一目惚れした相手を見つけたと騒いだのは。


「よりにもよって……」


 思わず口に出すと、紘平は不審そうに眉を歪めた。


「もしかしてあっちゃんもあの子が好きなの?」


 俺は首をぶんぶんと振る。


「まさか」


「……よかった。あっちゃんが心変わりしたら美紗希がどうなることやら」


 紘平と美紗希は、あの子をグループに入れるべく動いた。まずは同性である美紗希が彼女と仲良くなり、美紗希の彼氏であるからと俺や紘平も同席するようにする。

 そうして一ヶ月足らずで四人グループが完成していた。


 俺はいつも璃珠に憑いたものに怯えていたが、奴が見ているのは紘平で、俺のことは眼中にも入っていないらしい。だんだん安心してきて、人並みに付き合えるようになった。

 話してみると璃珠自身は、やや食への執着が強いだけの、至って普通の子だった。



 また、四人グループになって良かったこともあった。美紗希の趣味である心霊スポット巡りが安全になったのだ。

 大学に受かったころから、俺たち三人はよく廃墟を巡っていた。俺としては正直恐怖でしかなくて辛かったのだが、大事な人のためだ。

 なるべく効果のある、本物の魔除けの類を集めて臨んでいたが、ときには危ない目に遭うこともあった。

 なにも感じない二人をうまく誘導して乗り切らなければいけないので、俺は毎回疲弊していた。






 だが、最強の魔除けは目の前にあったのだ。


 それは、四人になってはじめて心霊スポットへ行ったときのことだった。


 その日出かけたのは、森の中にある空き家だ。そこはブラックハウスと呼ばれる、黒い外壁に覆われている。名前の由来になったのはその壁ではなく、窓だ。

 すべての窓が、内側から真っ黒な布で目張りされているのだ。

 ここには一家心中した人々の怨念が眠っているとも、強盗に遭った家族が今もいるとも言われている。


「うわあ、雰囲気あるねえ」


 美紗希は嬉々として言い、紘平は青白い顔をして口元を押さえている。紘平は恐らくだが霊感があり、目には視えなくとも、気配を感じると吐き気に襲われる体質のようだ。

 璃珠はどうだろう。


 ふとそのとき、俺は背筋にぞくりとしたものを感じた。

 ブラックハウスの中から、カリカリと爪を立てるような音が聞こえたのだ。そして、目張りされた布がそろそろとめくれていく。

 まずい、あれは見たらヤバいものだーー。


 そう思ったが、ぴしりと身体が固まって動かない。持ってきた魔除けもなんの意味もなさず、俺は焦った。


「あれ、璃珠?」


 そのとき、紘平の焦ったような声が聞こえた。璃珠がぐったりと倒れてしまったのだ。


「え? 璃珠、どうしたの」


 美紗希も慌てて駆け寄る。

 そのときだった。璃珠の身体が青白い光に包まれた。そして彼女の胸のあたりから、ずるずると巨大な蛇が這い出してきたのだ。いや、あれはーー龍?

 俺は恐怖で叫びそうだったが、金縛りのお陰で幸い声を出さずに済んだ。


 龍は、目張りされた窓をすうっと通り抜けるように入っていった。それに猫と鳥、蝶、小さな蛇も続いた。

 空き家の中からは、バリバリとかメキメキとか恐ろしげな音が聞こえてくる。美紗希も紘平も気づかず、璃珠を心配して寄り添っていた。


「あれ、璃珠、寝てるだけじゃないの?」

「ええ、人騒がせすぎ」

「まあまあ。きっと疲れてたんだよ。いつも勉強してるしな」


 数分も経たないうちに、龍とその一行はぞろぞろと空き家から這い出てきて、そうして璃珠の胸元へと吸い込まれていった。

 璃珠がまつ毛を震わせた。


「ーーあれ、私……?」


 あたりをきょろきょろと見回した璃珠は、そのあと、どうしてだかとても悲しそうな、傷ついたような表情をした。

 身体を起こそうとする璃珠を、紘平が鼻の下を伸ばしながら支える。美紗希は眉を吊り上げて「こんなところで寝るとか迷惑すぎるんだけど」と怒った。

 璃珠は真っ赤になって謝っていた。





 

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