(25)
さすがにそろそろこの流れにも予想がつく。きっとまた時間軸が変わり、場面が変わったのだろうと輝十は思っていた。しかしその予想は微妙に外れていて……。
「ねえ、なにして遊ぶー?」
その声にはっとして意識を取り戻した時には、驚くほど視界は低くなっていた。
目の前には自分に笑顔で問いかけてくる幼い男の子。輝十はすぐにそれが幼い頃の杏那だとわかった。
この低い視界に低い目線、箱の中に体を無理矢理押し込められたような感覚が薄く残っており、思うように体が動きそうにない。
輝十は確認するように自分の手の平を見て、開いたり閉じたりする。そうすることによって、今予想しているであろうこの展開をより確実なものにした。
今度は傍観者ではなく、自分が幼い姿になっている。正確に言えば、自分が幼い自分になっている。
「……今度はどういうことだ?」
呟いて、周囲を見渡すが杏那の姿はなく、
「なにきょろきょろしてるのさー?」
目の前の幼い杏那が杏那になった様子もない。
困惑している輝十に悩む暇も与えず、
「じゃーさ、いいもの見せてあげるよ!」
「わわわっ!」
幼い杏那が輝十を引っ張り、境内の裏の方へ連れていこうとする。
「ど、どこいくんだよ!」
そこは木陰になっており、光りが遮断されていて薄暗かった。人気がなくなったそこで立ち止まり、杏那は輝十から手を離す。
「親にはやっちゃだめだって言われてるんだけど、輝十には特別見せてあげるねー!」
言って、輝十から少し距離をとり、
「んんっ……!」
瞳を閉じて、突然力みだした。なにがなんだかわからない輝十はただただ見守るばかり。
すると次第に下からまるで風が吹いているかのように、杏那の髪の毛がふんわりと浮かび、瞳が茜色に染まっていく。赤い髪が揺らぎ、まるで炎を灯しているかのようで――輝十はこの光景に見覚えがあった。
「これはあの時の!」
思わず、声に出してしまう。
初めて悪魔を見た時のソレだ。ずっと忘れていた、記憶の鍵がかけられていた、あの時の出来事。その“あの時”の瞬間に今自分は戻ってきているのだ。
「綺麗でしょ? 俺、炎を司ってるんだってさ」
体は小さくても、もうその顔立ちに幼さはない。
「輝十は人間でしょ? 俺は悪魔なんだ」
初めて絵本の生き物をみた、この時のことを輝十は鮮明に思い出す。決して怖いとか恐ろしいなんて感情はなかった。ただ神秘的で綺麗だと思ったのだ。
「親が言ってた。人間を嫌う悪魔もいっぱいいるけど、そんなのもったいないって。人間は面白いんだって。仲良くなった方が楽しいんだよってさー」
にこにこ言う、杏那が次第に元の姿に戻っていく。
「人間はもろくて壊れやすいけど、賢くて打たれ強いんだって。なにかあったら人間と協力しなさいだーって!」
なにかあったら……?
輝十はその言葉に違和感を抱く。子供の頃は何も感じなかった違和感を高校生の今だからこそ感じるのだ。
きっと“なにかある”ことを見越して、杏那に言っていたに違いない。
そんなことを考えながら渋い顔をしていると、
「俺、輝十すきだよ! だからなにかあったら守ってあげるねー!」
言って、杏那は無邪気に手の甲を差し出す。
「これって……」
さっきの出来事を思い出し、思わず噴き出した。そして手の甲をつけ、手の平を見せる。
「さんきゅー。俺もおまえになにかったら助けるよ」
言って、タッチすると杏那は不思議そうに首を傾げてみせた。
「悪魔と人間の挨拶知ってるの?」
疑問に満ちた顔をしている杏那を余所に、輝十は懐かしくて仕様がなかった。
そうだ、このとき……このとき俺は杏那と出会って、子供ながらにその言葉が嬉しかったんだ。不思議と温かい気持ちになって、友達というものを初めて認識した時でもある。
そしてこの後だ、母親が病気で亡くなったと聞かされたのは。
しかし現に生きて今学園の理事長を務めているとしたら……家に帰る暇さえないってことか?
それは恐らく学園の運営に関わっているからで、学園絡みが理由だろう。そこから繋げて考え、輝十はさっきの「なにかあったら」を思い返す。
「まるで死亡フラグじゃねえか」
このとき既に杏那の父親にはなにか異変が起きていたんだ。そして結果死ぬ。
「………………」
そんな思案を巡らせていたら、突如足下に人間一人がすっぽり落ちるぐらいの穴が開き、まるで神隠しのように輝十を一瞬でその闇に誘った。
「またかよおおおおお!」
しかし今度は頭痛がすることはなく、暗闇をただ落下していくばかり。叫んだところで、本当の穴ではないのでその声が響いて戻ってくることはなかった。底なしの、本当にただの闇だったのだ。
暗闇を落下し続けていくと、足下に小さな光りが見え始める。
「いってえな、ちくしょう……」
暗闇を無事抜けだし、荒々しく落下して尻餅ついた輝十は顔を歪め、尻を撫でる。そして自分の尻を撫でたことで、自分が元の姿に戻っていることに気がついた。
撫でながら傍らを見ると、そこには杏那が立っており、
「んだよ、おまえどこ行って……」
と、言いかけたところで杏那の様子がおかしいことに気付く。
杏那が瞬きも忘れて一点を呆然と見つめているのだ。見たこともない驚きと恐怖に塗れた表情で。
いつもへらへらしている杏那からは想像も出来ない顔つきだ。事態がそれだけ深刻だということを物語っている。
輝十は不審に思い、その視線の先をすぐさま追う。
「なっ……!」
再び変わった場面は見覚えのある場所だった。いや戻ってきたと言ってもおかしくはない。そこはさっきまで“自分たちがいた場所”だったのだ。
「おい! これ、どうなってんだよ!」
杏那の返事はない。
目の前に広がるのは変わり果てた、最初に飛ばされた場所だった。自分の父親と杏那の父親が友人同士で、そこに母親も加わり、和気藹々としていた場所だった。
それがその思い出すべてをまるで燃やし尽くすかのように、一面真っ赤な炎に包まれており、校舎の一部も崩壊している。
その炎の渦に包まれるかのように倒れてぐったりしている杏那の父を解十が起こし、何か語りかけていた。その二人から離れたところに沢山の生徒や教員が倒れており、その中には久莉夢とリコもいた。
二人は意識こそあるものの、重傷で苦しそうに肩で息をしている。
「…………父さん」
杏那がそう呟いたのを輝十は聞き逃さなかった。かける言葉が見つからず、その光景にただ視線を向け続ける。
輝十はこれが「なにかあったら」の答えなのだと瞬時に理解する。同時に「なにがあったのか」がここには記されていないことに疑問を抱いた。
「父さん! 父さん!」
「おい! ちょ、杏那!?」
息絶えようとしている父親を目にして、我を忘れて突き進もうとする杏那。それを輝十が止めようとするが、する必要もなく、見えないフィールドによって中には入れないようになっていた。
「なんだよ、これ! なんで! なんで!?」
透明の見えない壁を何度も何度も叩き付ける杏那。
「おい、杏那! 落ち付けって!」
「はぁ!? バカ? こんなの見せられて……どうやったら落ち着いていられるっていうの!?」
こんな取り乱す杏那なんて見たことがなかった。言っていることも正しい。彼にとっては父親なのだ。父親が目の前で死にかけている。居ても立ってもいられないのは当然で、その行動もごく自然なことだろう。
それは悪魔でも同じことなんだ、と輝十は不謹慎にも安心し、自分達と“同じ”なんだと実感する。
だからこそどうにかしてやりたいという気持ちが高まり、衝動に駆られた。
目の前で何度も何度も、無駄だとわかっていながらも狂ったように見えない壁を叩き、叫び荒れる友人。そんな取り乱した彼の姿を輝十は直視出来なかった。
もう止めることも、慰めることも、なにも出来なかった。
無力で情けない自分に嫌気が差しながらも、それでもどうにかしてやりたい気持ちだけは消えることがない。




