第13話 魔王の父がやってくる
第二皇女の生誕祭が、いよいよ明日に迫った夜。
フォクセルは、自分の部屋に置かれた豪華なドールハウスの前で、頭を下げて必死に頼みこんでいた。
ラスカなら、今からどんな事件が起こるのか知っているはずだ。
だが、彼女はこの一月、はぐらかすばかりで肝心なことについて何も教えてくれない。
フォクセルが聞こうとすればするほど、自分の城であるドールハウスにこもって出てこなくなる。
「ラスカ、お願いだよ! どうしても教えてほしいんだ。
前の世界では、ティルキア王はどうやって殺されたの?
そうでないと、僕はどうやって王様を守ればいいかわからないよ」
ドールハウスからはなんの音も聞こえない。
元々舞台用に作られているので真ん中から半分に開けることはできるのだが、ラスカの許可なしにそうしてしまうともっと機嫌が悪くなる。
なおも大きな声で叫び、屋根をつついていると、人形用の窓が乱暴に開けられ、小さな金髪の美少女が顔をのぞかせた。
ラスカの顔には、見るからに不機嫌そうな色が漂っている。
「屋根を叩かないで。上から木屑が落ちてくるの!
羽根についたら落とすのが大変なのよ」
「ティルキア王がどこで誰に命を狙われるのか、教えてくれたら止めるよ」
フォクセルは手を組んで、上目遣いでラスカを見た。
ラスカが窓枠に肘をつき、ため息をつく。
「あのね、フォクセル。私だって教えたいわよ。でも……」
「でも?」
「あなたは、未来を知って隠しておけるような子じゃないの。
言わなければいいと思っているかもしれないけれど、顔に出るのよ」
辛そうな顔をして語るラスカに、彼は悪いと思いながらも頼みこんだ。
「絶対に見破られないように気をつけるから!
……それに、もう予言の手紙で大体のことはわかってるんだし」
ラスカは口をへの字に曲げ、腕組みをしてしばらく黙ったあと、ぽつりと呟いた。
「……イノシシに殺されたの」
「イノシシ?」
彼はおうむ返しに繰り返した。
ティルキア王が敵に命を狙われている。
それを阻止するために、フォクセルは側役へ抜擢されたのだ。
よりによって敵がイノシシとは、想像だにしていなかった。
よほどきょとんとした顔だったらしい。
ラスカが苛立ったように机に置いていたフォクセルの手を叩いた。
「何よ。どうしてもって言うから教えたんじゃないの」
「だって……僕はてっきり、刺客か何かに狙われたんじゃないかと……」
「事故だったの。
ティルキア王は生誕祭の行事の一環で狩りに出て、手負いのイノシシに襲われて亡くなった」
フォクセルは、ふと不思議に思った。
英雄白騎士だったという前回のフォクセルならば、イノシシが向かってくるとラスカに聞いたら、絶対にティルキア王を助けに向かったはずだ。
彼は念を押すようにラスカに聞いた。
「前の僕は、そのとき一緒に狩りに出ていたんだよね? ……英雄だったのに、救えなかったの?」
ラスカは淡々と続けた。
「確かに狩りにはいたわ。ただ、あなたは、別の場所にいたのよ。
ティルキア王は皆からはぐれて事故にあったの」
「でも、ティルキア王がイノシシに刺されることを知ってたんでしょ?
どうして前の僕は王についていなかったの?」
「……私があなたに教えなかった。魔王からの手紙も来なかったし」
フォクセルは息を呑んだ。
「ラスカ、まさか見殺しにしたの?」
落ち着きなさい、とラスカが咎めるように手を伸ばした。
「もう一度言うけど、ティルキア王は魔王の父よ?
どうして助けなきゃいけないの?
それに未来を予測するためには、ティルキア王の運命が変わらない方がいいのよ。
ただ……今回はあなたもカサン帝に信用されていないし、魔王の手紙も来ている。
救えなかったら逆に都合が悪いわ」
この小さな天使は、魔王のことになると、それこそ悪魔のように非情だ。
黒騎士の活動でも、正義には犠牲もつきものだと事あるごとに言われていたが、こうも割り切られるとフォクセルとしては苦痛だった。
ただ、今回はティルキア王を救うことに反対ではないようだ。
フォクセルは気を落ち着けるために深呼吸をして、改めて尋ねた。
「じゃあ、狩りに出かける王様を止めればいいんだね?」
ラスカが急に目を細め、疑い深そうにこちらを見た。
「まさか『あなたはイノシシに刺されて死ぬ運命なので、狩りに行くのはやめましょう』って言うんじゃないでしょうね?」
「ダメなの?」
「ダメに決まってるでしょ!
貴族の狩りは、どれだけ勇気を示せるかで序列が決まってくるんだから!
イノシシに殺されるかもしれないから、狩りに行かないなんて王族失格よ!
大体どうしてそれを知っているかって問い詰められたらどうするの?」
フォクセルは首を傾けて考え考え言った。
「えーと、天使が予言しましたって正直に話せばいいんじゃないかな?」
と、みるみるうちにラスカの表情が曇った。
「天使が予言してくれた? そんなの、誰が信じるのよ!
私を紹介してみる?
こんなちっぽけでろくに神力も使えないのに、誰が天使だって信じてくれると思うの?」
自嘲気味に締めくくると、彼女はバタンと窓を閉めた。
まだ話の途中なのに、とフォクセルは屋根を叩こうとしたが、思わず手を止めた。
ドールハウスの中から微かな嗚咽が聞こえる。
そのとき、頭に冷や水を浴びせかけられたように彼は理解した。
フォクセルは英雄らしいことをまだ何一つしていない。
けれど天使に選ばれたのに、白騎士だと何度も声をあげたのに、誰も英雄だと信じてくれないことを密かに不満に思っていた。
ただラスカだけが、フォクセルのことを未来の英雄だと認めてくれていた。
なのに、こんな簡単なことにも気づかなかったのだ。
ラスカも、彼女が天使らしくないことに傷ついているという事実に。
フォクセルは閉まった窓に優しく語りかけた。
「僕は信じるよ? ラスカが天使だってこと」
泣き声が止まった。
やがて窓が開き、ラスカが目をこすりながら現れ、フォクセルに向かってにっこりと微笑んだ。
「……それは知ってるわ。
二人で考えましょう。きっと、ティルキア王を救う道があるはず」
次の日の朝、カサンの空には身を切るような寒風が吹いていた。
フォクセルは召使いの大部屋で待つように言われていたが、その部屋の窓から身を乗り出して、都南の港のマストの群れが音もなく動いていくのを眺めていた。
カサンの都の南には、大運河が流れている。
この大河は海まで続き、遠く西大陸からの客を乗せた帆船が遡ってくるのだ。
あのマストの中のどれか一つに、ティルキア王が乗っているはずだ。
マストの上には様々な旗が掲げられていたが、残念ながら紋章の形までは判別できない。
召使い用の大部屋では、メイドや従者、伝令の兵士たちが慌ただしく行き交っていた。
到着した王族の名前を伝令が大声で叫ぶと、その王族の係の者たちは急いで下に降りていく。
窓に張り付いているフォクセルのことを不審に思う余裕がある者など、誰一人いないようだ。
やがて、待っていた名前が無愛想な伝令の口から飛び出した。
「ティルキア王のご到着だ! 係の者はついてこい!」
フォクセルは飛びすさるようにして窓枠から離れ、伝令のそばに走った。
伝令の兵士が、彼の格好を見て訝しげに尋ねる。
「お前、確か姫さまの道化じゃなかったか? どうして召使いの格好をしている?」
「お付きの人が足りないんだってさ。だから僕が駆り出されたんだ」
「そうか、ご苦労なこった」
フォクセルは内心どきりとしたが、兵士はなんの興味もなさそうに言い、部屋を出るよう促した。
カサン帝に挨拶をすませた各地の王族たちは、大広間へと通されていた。
いつもより数段豪華に飾り付けられた広間にはたくさんのテーブルが出され、その上にはあらゆる国から取り寄せられた果物や、料理人が腕をふるったお菓子がのっている。
生誕祭に呼ばれた王族達は、そのテーブルから欲しいものを取りつつ、三々五々に別れて話をしていた。
フォクセルが大広間へ足を踏み入れた途端、部屋の隅でジャグリングをしていたムーシュがこちらに目配せをしてきた。
それに答えるように頷くと、フォクセルは人混みに紛れこんだ伝令のあとを目で追った。
人混みを抜けた伝令兵は、黒い礼服を来た人物の前で槍をカチリと鳴らし、敬礼した。
あの人がティルキア王なのか。
じろじろ見るのは失礼だとは思いつつ、フォクセルは必死で観察した。
歳のころは壮年。短い黒髪を後ろに流した、青い瞳の男だ。
魔王の親というわりには柔和な微笑を口元にたたえ、伝令兵を労っている。
フォクセルは急いで伝令兵の隣に立つと、跪いて最敬礼をした。
「ティルキア国王陛下。このたびはカサン帝国へようこそいらっしゃいました。
……陛下の滞在中、側役として身の回りのお世話をいたします。
何なりとお申し付けください」
ふむ、と首を傾げ、ティルキア王は隣にいる背の高い騎士を困ったように見つめた。
王より少し若いその騎士は、頭に赤い羽根をつけた兜を被っていて、余計に高く見える。
彼も困惑気味の顔をしているところをみると、フォクセルはあまり歓迎されていないらしい。
「側役か。実は、ティルキアから側役も連れてきている。このジュドがそうだ。
だから、特に必要ないのだが……皇帝のご好意ならば、喜んで受けよう。名前は?」
「フォクセルです」
そのとき、ティルキア王の青い眼光が急に鋭くなった。
何かまずいことを言ったのだろうか。フォクセルは冷や汗をかきながら、思わず後ずさる。
その腕をティルキア王が、がしりと掴み、ひねって手のひらを上に向けようとする。
傷だらけで赤黒い手のひらが現れて、フォクセルはきまりの悪い思いをした。
ティルキア王は、何か変わったものでも見るかのように、彼の手をしげしげと眺めた。
「……この傷はどうした?」
「ええと、馬車の事故で怪我をしたときの傷です」
「ひどい擦り傷だったようだな」
「そうです。皮が全部剥けてしまって。これでも治ったほうなんです」
王は、途端に興味を失ったように彼の手を離した。
鋭かった眼光は、先ほどよりも柔和な笑みに変わっている。
腕の代わりに、しっかりと傷だらけの手を握しりめられた。
「それではフォクセル。世話をかけるが、滞在中はよろしく頼む」
フォクセルは、もう一度丁寧なお辞儀をした。
背中には、まだ冷や汗をかいたままだった。




