第11話 予言の手紙に触れるとき
『カサン帝国、英雄白騎士殿に告ぐ。
私の名は詮索するな。
ただひとつ忠告しておこう。
吹雪の月第二竜の日に、第二王女の生誕祭が行われる。
ティルキア国王は、その席で刺客に命を狙われることになるだろう。
せいぜい警戒せよ、フォセクル君。
英雄ならば、彼の命を救ってみせろ』
道化のムーシュがあちこちボンボンをつけたカラフルな衣装のまま、難しい顔をして怪文書を読み上げる。
フォクセルは口を開けたまま、ムーシュの白黒に塗り分けられた顔を見ていた。
こんな手紙のことなど何も知らない。
大体、彼が英雄白騎士だと言っても、ラスカ以外は誰も信じなかった。
しかし、この手紙は、わざわざ彼の名前を出してきている上で、白騎士殿と呼んでいる。
ムーシュが読み終わってしばらく、誰も口を聞かなかった。
豪華な部屋に満ちる沈黙に耐えかねて、フォクセルは分かりきっていることを聞いた。
「差出人は誰ですか?」
「……署名はないが、公的文書に紛れていたとなれば、政府中枢の人間が書いたに違いない」
ムーシュが強く言い切った。
皇帝が柔らかな口調でフォクセルに尋ねる。
「さて、フォクセル……心当たりはあるか?」
フォクセルは、心臓を刺されたようにどきりとした。
実際、心当たりはあった。
こんな予言書のようなことを書く人物は、未来を知っているラスカしかいない。
フォクセルに隠れてこの手紙を出していたのはショックだったが、彼女が自分のドールハウスの中で、何かを一生懸命書いていたのが思い出された。
多分ラスカが、この予言書のような手紙を書き、高官たちが気づかないうちに文書の束の中に紛れ込ませたのだろう。
もしかして、彼が本当の白騎士だと言うことを信じさせようと、この手紙を書いてくれたのだろうか。
彼は皇帝が座っているであろう薄絹の前で深くかがんでこう言った。
「僕は……手に伝説の印も出ないし、剣の腕もあまり得意ではありません。
でも、確かに英雄白騎士なんです!」
「では、この手紙の差出人を知っているのか?」
そう聞かれて、フォクセルは答えに詰まった。
どうしてラスカが自分の名前を伏せたのかはわからなかったからだ。
が、彼女なりの考えがあったからに違いない。
それを無下にしてはいけないと、フォクセルはラスカのことは言わないことに決めた。
「それは……わかりません。
でも、ここに書かれていることは、全て未来に起きる真実です。
ティルキア国王がこの国で刺客に狙われないよう尽くさねばなりません」
ムーシュが目を向いて叱りつけるように言った。
「またまた、皇帝に眉唾な話をしおって!
大体、まだお子が生まれてもいないのに、次も皇女様と言い切っているではないか。
皇子様だったなら、この予言は嘘ということになるぞ」
「まあ落ち着け、ムーシュよ」
皇帝にやんわりと諭され、ムーシュは一層頭を低く下げて不満そうにフォクセルを睨んだ。
薄絹の中から、皇帝の影が続けた。
「これは我が国の便箋ではない。
西大陸のティルキア国の紋章が入ったものだ。
誰かが偽造するには手が混みすぎている。
とにかく……危険を知らせてくれたのはありがたいと思うべきだろうな」
薄絹が揺れ、皇帝陛下が椅子から立ち上がった音がした。
フォクセルは目を上げ、皇帝の笏が布越しに彼を刺しているのを見––ムーシュの忠告を思い出し、慌てて目線を下げた。
皇帝は、はっきりとした口調で命令した。
「……よろしい。
ティルキアは、小国とはいえ重要な海運国。
我が子の生誕祭に、ティルキア国王を呼ばぬわけには行かぬ。
もちろん警備兵の数も増やすが……フォクセルよ、そなたがティルキア王に側役として付け。
惨劇を防ぎきることができたなら、そのときはそなたを白騎士と認めようではないか」
フォクセルは驚きで息をのみ、もっと低く頭を下げて礼を言った。
「ありがとうございます!」
「全く、皇帝陛下にも困ったものだ。
あんなもの、よくできた偽物に決まっとるのに」
ぶつくさ言うムーシュとともに大部屋に戻ってきたフォクセルは、生返事で別れの挨拶をした後、すぐに自分の部屋へ引っ込んだ。
そして厳重に鍵をかけてから、ドールハウスへ話しかけた。
「ラスカ、どうして話してくれなかったんだよ!」
「うーん……なに、フォクセル? なんのこと?」
不機嫌そうなラスカが、その小さな体にぴったりの窓からひょいと顔を出した。
リネンの白いワンピースを着て、長い金髪に寝癖が付いているところを見ると、どうも疲れて眠っていたところらしい。
「手紙のことだよ。皇女様の生誕祭で、ティルキア王が襲われるとかいう」
寝ぼけているせいか、まだピンときていないようだったので、彼は今起きた出来事を全て話した。
「ラスカ、いくら皆には秘密でも、僕にまで秘密にしていることはないだろ?」
どうせ平然とした顔で、秘密にしておいた方がいいこともあるのよ、という返事が返ってくるだろう。
そう思っていたフォクセルは、ラスカが黙っていたので顔を近づけ––その表情に驚いた。
彼女の顔はいつもよりなお真っ白になっていて、唇がぶるぶる震えている。
「私はそんな手紙知らない……まだ第二皇女は生まれてもいないのよ。
数ヶ月後の吹雪の月にある生誕祭のことを知っているのは、この世で二人しかいないわ」
ラスカが蒼白な顔をしながら、一言一言噛みしめるように言った。
「私と魔王よ」
フォクセルは混乱しながら、ラスカに反論した。
「魔王が白騎士に頼みごとをするなんて、僕にはさっぱりわからないよ!」
「そうね。私もこれは初めて。
それに、今はまだ収穫月でしょ?
魔王が生まれて一月も経ってないのに……」
ラスカが完全に眠気の冷めた真面目な顔でフォクセルを見た。
「多分、何かの罠だわ。注意して」
「おい、フォクセル! 開けろ!」
突然扉をどんどんと叩かれ、鍵を開けるとムーシュが血相を変えて入り込んできた。
もっとも、顔の化粧のせいで顔色自体はよくわからなかったが。
フォクセルは、自分の背中でドールハウスの窓から身を乗り出しているラスカを隠したが、ムーシュは何も目に入らなかったように叫んだ。
「早く、手を洗うんだ!
あの手紙を開けた文官が、指が焼けるように痛いと言っている!
わしは化粧が邪魔をしてそこまで痛くはないが、お前もあの手紙を触っているからな!」
驚いて手を見ると、傷だらけのせいでわかりにくいものの、確かに赤い発疹のようなものが出ていた。
今は痛くはないが、そういわれれば、ちりちりとした痒みが出てきている。
フォクセルは急いで廊下に出て、用意されていた大きなタライに手をつけた。
芸人仲間の皆が心配そうに集まる中、フォクセルはこれも隣で手をじゃぶじゃぶと洗っているムーシュに尋ねた。
「皇帝陛下は?」
「皇帝も今、医者に診てもらっている。だが毒の量が少なかったらしく、大事ない。
文官の話では封蝋に毒がついていたらしい。
その文書だけ、封蝋から妙な臭いがしたそうだ。
開けたときに便箋にも少量ついたらしいからな……差出人が誰にせよ、あとで『お達し』が下るだろう」
ムーシュが手を洗いながら、しかしわからん、と呟いた。
「自分で予言や警告をしておきながら、封蝋に毒をつけるとはどういうことだ?」
タライの水で指がふやけるまで洗った後、フォクセルは今までになくくたびれて、もう一度自室へと戻ってきた。
ラスカが、ピンク色のワンピースに着替え、机に座って首を横に振っていた。
「早いわ。もう仕掛けてきたのね」
「僕にティルキア王を救えと言ったり、封筒に毒をつけてみたり。
魔王はどうしたいんだろう?」
フォクセルは、いくら考えてもわからなかった。
だが、ラスカはピシャリと断言した。
「魔王の目的は、ティルキア王の警護を増やしたいだけじゃない。
邪魔になる前にあなたを殺すことこそ、一番の目的よ。
多分、英雄白騎士と認められていたなら、その手紙の封はあなたが開けることになったはずだから」
そう言われて初めて、フォクセルは初めて背筋が凍るような寒気を覚えた。
生まれて一月になる赤ん坊が、海を超えて彼宛に毒入りの封筒を送ってよこしたのだ。
これが魔王でなくてなんなのだろう。
「ねえ、ラスカ。そろそろ教えてよ。魔王って、一体誰なの?」
ラスカはふうっと息をはいた後、まるで見えない誰かに聞かれるのを嫌がりでもするかのように、囁くような声で言った。
「ティルキア王国の王子、シド・ティルキアよ」




