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第9話 黒騎士団の仕事

 その日からフォクセルの仕事は倍に増えた。

 人形劇を披露したり、劇や楽器を覚えたりする他、剣の練習までしなくてはならなくなったのだ。

 彼らの秘密の隠れ部屋は一つではなかった。

 最初に見た隠れ部屋は、網の目のように張り巡らされた通路の入り口に過ぎない。

 隠れ部屋にある数枚の扉から、迷路をたどるようにして剣術の修行場へと移れるようになっている。

 もちろん、彼ら専用の修行場だ。

 城の誰もたどり着けない地下室で、フォクセルは毎朝兜を被り、ニコと木刀を交えたが、かなりの確率でフォクセルが頭を叩かれて終わった。次に多いのは、腹を叩かれて倒れる確率だ。


 夜は主にベッキオが小さなナイフの扱い方を教えてくれる。

 これは痛くはなかったが、フォクセルにはなかなか酷な仕事だった。

 ナイフを使う相手が、生きた子牛だったからだ。

 どうせ明日には肉になるのだとわかっていても、暴れる子牛の息の根を止めるには勇気がいった。


 毎日できる新たな傷に薬油を塗りながら、フォクセルはよくラスカに愚痴をこぼした。


「ニコは木刀でボコボコ殴るんだよ! 兜ごしでも痛いんだよ!」

「それが騎士ってものでしょ?」


 ラスカの返事はいつもよりそっけなかった。


「黒か白かは別として、剣術は覚えておいた方がいいわ。

 後々役に立つから」


 薬油を両手によく擦り込み、彼はいつもの癖で両手をじっと眺めた。

 かさぶたは剣の稽古のせいで剥がれ落ち、傷は治ったかに思える。

 が、両手一面が真っ赤なあざになっているのは子供のフォクセルが見ても明らかだった。

 この赤いあざは一生治らないかもしれない、と彼は暗澹たる気持ちで考えながら、疲れた体をベッドに投げ出して聞いた。


「ラスカは僕が剣術の練習をしているとき、何をしているの?」

「思い出してるの」


 真面目な顔をしてラスカは言った。

 ラスカの居場所は、もはやベッドサイドのテーブルではなく、豪華なドールハウスへと変わっている。

 人形好きの皇女がわざわざ作らせた、彼女にぴったり合わせたサイズのものだ。

 豆のようなランプすらついている、精巧にできた品だった。

 お昼はこのドールハウスを姫さまの部屋へ運び、ラスカをそこで操るふりをして喜ばせる。

 どうやって糸を家の中へ通しているのかと、いつも不思議そうに尋ねられたが、彼は企業秘密とごまかして教えようとしなかった。


 今、その小さな家の中で、ラスカはこれも小さな大理石の机に向かい、小鳥の羽で作ったペンを動かして、紙に何事かを書き記している。


「何を思い出すの?」

「前回何が起こったか、よ。

 近いうちに仕掛けてくるから、こちらも準備をしないと」


 フォクセルは思わず起き上がって尋ねた。


「……何があるって?」

「生誕祭よ」

「誰の?」


 ラスカがペンを置き、振り返って真剣な表情で言った。


「もうすぐエリューシア皇女に、妹ができるわ」

「すごいね、おめでたいことじゃないか! 何が問題なの?」

「……生誕祭に、魔王の父が来る。私が今言えるのはそれだけ」


 ラスカは、それだけ言うと唇を固く結び、また机に向かった。

 それ以上は、どうしても教えてくれないらしいと察したフォクセルは、大人しくランプを吹き消して、ベッドに入った。

 魔王の父、がどういう人なのかはわからない。

 が、得体の知れないバケモノばかりが脳裏に浮かび、彼は結局そのまましばらく眠れなかった。






 ニコに剣術を習い、ベッキオにナイフやピンで急所を刺す方法を学ぶうち、フォクセルの毎日は巡るましく過ぎていった。


 短い春がカサンを西から東に通り抜けたころ、城にはピリピリとした空気が流れ出した。

 エリューシア皇女の母親、メリザ皇妃が懐妊したのだ。

 その子供が男なら、皇帝の世継ぎとなる。

 嫌が応にも皆が興味を持ち、様々な憶測が飛び交った。


 使用人たちの間では、赤ん坊が男か女かという賭けが秘密裏で行われていた。

 しかし、やがてそれも立ち消えた。

 誰もが自身の希望を兼ねて、男へと賭けたからだ。


 同時に皇帝の宮殿の暗闇でも、ことは動き始めていた。






「お達しだ」


 皇帝陛下と家族たちが礼拝堂に向かう途中のことだった。

 付き随うフォクセルに、ムーシュが耳元で囁いたので、彼はこくりと頷いた。


 お達し、とムーシュが声を潜めて囁くときは、フォクセルたちが劇以外の仕事をする合図だ。

 合図が出た場合、真夜中過ぎに螺旋階段を下りて秘密の地下室に行かねばならない。

 フォクセルが地下室へ到着したときには、すでに彼ら三人は地下室で顔を付き合わせていた。

 ムーシュが手招きをしてフォクセルを招き入れ、話はすぐに始まった。


「皇帝陛下は三人兄弟の長男。

 二人の弟はすでに結婚し、子供もいる。

 彼らとて男が生まれれば皇位継承権が低くなる。

 次男のリディオ・カルミナ公爵様に皇家叛逆の疑いあり、とのことだ」


 カルミナ公爵の名前に、フォクセルは聞き覚えがあった。

 何度かエリューシア皇女が、リディオ叔父様が来る、と楽しそうに話していたことがある。

 そもそも、どうして身内が謀反を企てるのか、フォクセルには理解できなかった。

 皇帝陛下に息子が生まれようが生まれまいが、彼らは贅沢な屋敷に住み、たくさんお金をもらっているのだから。

 ムーシュは、一人考え込んでいるフォクセルに気づいていないらしく、キビキビと指示を続ける。


「我々は明日皇帝陛下から派遣された道化師として、カルミナ公の催す宴会に入り込む。

 宴会の間に、なんとか謀反の証を見つけて、できることならカルミナ公も始末する。

 これが今回のお達しだ。

 ニコ、油縄を用意しておけ」


 大男は神妙に頷いた。フォクセルは聞きなれない名前にまた首を傾げて尋ねた。


「油縄って何?」

「……油のついた縄だ」


 ニコが渋い顔をして、当然のことのように言う。

 ムーシュがため息をついた。


「フォクセル、お前は新入りだ。何もするな。

 ただ、トリで大人しく人形劇をやってりゃあいい。

 なるべく面白そうな演目で、お偉方の注意をひきつけておくんだ」


 わかったな、と念を押され、フォクセルはこくりと頷いた。




 次の夜。巨大な庭園を持つカルミナ公の館では、華やかな宴会が催され、皇帝から派遣された芸人の一団は、出し物の目玉として迎え入れられた。

 フォクセルが見たこともないご馳走が並び、賑やかに踊り騒ぐ人々。

 なんの宴会かは知らされていなかったが、楽師の奏でる笛や太鼓の音色に、フォクセルの心まで浮き立った。

 が、広間の隣にあつらえられた楽屋まで案内されると、途端に緊張が襲った。

 今日は、いつもとは違う。フォクセルは取り立てて何もしないとはいえ、黒騎士団の使命を成功させるという重責を背負っているのだ。

 彼が舞台袖で深呼吸しているうちに、赤い幕が開いた。

 団長のムーシュが舞台に上がり、軽妙な話術で観客を気持ちよく笑わせると、不器用なダンスや側転で盛り上げる。

 次はニコの番だ。

 ニコは油を含ませた松明に火を付け、てぎわよく放り投げるとジャグリングを始めた。

 その後、口に松明を入れるようにして火を消すと、周りから拍手が起こった。

 ムーシュの軽い口上のあと、ベッキオがまるで南国から来た姫のような派手な衣装姿で現れる。

 リュートを掻き鳴らして高い声で一曲歌った後、突然低い地声で地元の歌を歌いはじめると観客から笑いがまきおこった。

 女のような格好にまんまと騙されたことに気付いたからだ。


 いよいよフォクセルの番になり、彼は緊張しつつも舞台に上がり、口上を述べはじめた。


「これから私が皆様にお見せしますのは……」


 視界の端にムーシュや他の皆が、例の油縄の入った袋を下げて、こっそりと舞台袖から出ていくのが見えた。

 覚られてはならない。

 冷や汗をかきながら、彼はラスカゆっくりと舞台の上にある小さな劇場に置き、手で操るふりをした。

 ラスカが立ち上がり、しとやかに一礼すると、周りの人々はざわついた。

 彼女がくるくると回れば、皆は糸がどう動いているのか知ろうとして前かがみになる。

 一方、フォクセルは皆が帰ってくるまで、この舞台を一人で回さねばならない。

 一体皆はどうやって反逆の証拠を見つけるのだろう。


 ラスカが三つ目の踊りを終え、もうそろそろ引き延ばすのも限界だと思われていた頃、静かに舞台袖の扉が開き、彼等が戻ってきた。

 油縄の袋は消えていた。

 フォクセルは皆が戻ってきたことに安心し、ラスカの頭をつついて終わりの合図を出した。

 ラスカがドレスの裾を摘んで頭を下げると、皆は歓声と拍手でもって迎えてくれた。


「さあ皆さま、糸の見えない人形劇、お楽しみいただけましたでしょうか!」


 ムーシュがさも今までそこにいたかのような顔をして舞台に上がり、早口で閉めの言葉を述べはじめる。

 いつも聞いているフォクセルには、団長が口上をところどころ省略していることに気付いた。

 彼はラスカをポケットに入れ、不安に思いながら隣に並んでいるニコやベッキオの顔を見た。

 彼らは微笑みを讃えていて、なんの不安もなさそうだ。

 今のところ、何も起こっていない。これから何が起こるのだろう。


 フォクセルのもやもやとした気持ちが消えないうちに、舞台に赤い垂れ幕が下りた。

 その瞬間から皆の笑顔がなくなった。

 張り詰めたような空気の中で、全員がさっさと道具を片付け始める。

 フォクセクは慌てて自分も小さな舞台を分解し、折りたたんで袋に詰め込んだ。

 そして、早足で通路を歩く彼等の後に続いた。


 使用人の勝手口から、フォクセルたちと荷物を乗せた馬車が走り出して館が見えなくなった頃。

 鈍い爆音が聞こえ、フォクセルははっとして振り返った。

 暗いはずの夜空の下が、妙に明るい。


「何が起こったの?」

「隠し持っていた火薬が爆発したんだ。やはり謀反の噂は本当だった」


 ムーシュが低い声でそう言った。


「今日は風が強い。火が早く回りそうね」


 フォクセルの隣に座っているベッキオが物憂げに窓の外を見やった。


「なに、あれだけ広い庭園があるんだ。あの一軒が燃え尽きるだけさ」


 ニコが明後日のほうを向いて静かに言い、フォクセルはぴんときた。

 彼が人形劇をしている間中、彼らは火薬庫に油縄を持って行ったのだ。

 それに火を付けて導火線にし、火薬樽に着火するまでに脱出したに違いない。


 フォクセルの足が自然に震えた。

 今まで、何も知らずにいつ爆発するともしれない場所で人形劇を披露していたのだから。

 それに、もう一つ理由がある。彼は小さな声で口にした。


「その……他のお客さんは大丈夫だよね?」

「あいつらは皆グルなのよ。今日は、宴会に見せかけた決起集会。

 さすがに皇帝から芸人を貸してあげようと言われたら断れないでしょ?

 でも、私たちがいなくなった瞬間から謀反の会議が始まるはずよ」


 ベッキオが強い口調で言う。


「でも、使用人たちは? ぼくらみたいなお抱えの道化は?

 皆が皆、謀反を企てているとは限らないでしょ?」

「それ以上考えるな。我々は任務を果たした」


 ムーシュが硬い表情でそう言ったとき、フォクセルは頭を殴られたような衝撃を受けた。

 つまり––無関係の人々が火事で死んでしまっても、なんの良心の呵責もないということを言いたいのだろうか。

 フォクセルは思わずムーシュに詰め寄った。


「僕らは騎士じゃなかったの?

 黒騎士って、無関係な他人を平気で殺すような人たちだったの?」


 睨みつけるような目でムーシュが言う。


「黙れ」

「こんなの騎士がやることじゃ……」

「黙れ!」


 ムーシュが怒鳴ったので、馬車の中は静まり返った。


「我々は汚れ役だ。我々だけじゃない。えてして、仕事は大抵そういうものだ」


 ガタガタと揺れる馬車のはるか後ろで、真っ赤な炎と黒い煙が風で渦巻いていた。

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