第9章「黒桜会」
翌日、午前十一時。
どんよりと曇った空の下、ヤヤ、カイト、レインの三人は都内・要町の裏路地を歩いていた。
通りには人影も少なく、古びた看板と錆びたシャッターばかりが目立つ。
「……ここが例の場所か?」
カイトが煙草をくわえたまま、視線を奥のビルへと向ける。
ビルの外壁はひび割れ、窓には黒いスモーク。どう見ても普通の会社ではない。
ヤヤは手元のメモを見下ろした。
「サトルが言ってた。“ここの地下に部屋があって、子供たちはそこで働かされてた”って」
レインは眉をひそめ、指で傘の柄を軽く叩く。
「子供を使って、何をしてたのかしらね……想像したくもないわ」
風が吹き抜け、近くのポスターが音を立ててはためいた。
その音に混じって、遠くでバイクのエンジンが鳴る。
「……で、どう攻める?」
ヤヤがカイトとレインにそう尋ねる。
「正面突破でも俺はいいが、下手に騒ぐと警察沙汰になる。どうせヤクザども、裏で銃くらい持ってんだろ?」
それに対してカイトは自信に満ちた表情で答える。
「バカ言え、今日は静かにいく。煙のヴェールで忍び込む」
カイトが新しいタバコを咥える。
紫煙がゆらりと立ち上り、三人の身体を包み込んだ瞬間――輪郭が溶け、夜気に紛れるように姿が薄れていく。
「こういう潜入の時、カイトの能力は便利よね♡」
「……透明化?」
レインとヤヤが手を見下ろす。自分の腕が半透明になり、靴音すら霞んでいく感覚。
「安心しろ。息を殺せば、誰にも気づかれねぇ。行くぞ。」
カイトの声だけが低く響いた。
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三人は音もなくビルの正面から侵入する。
一階では多くのヤクザ達が袋詰めされた粉をテーブルに並べ、天秤で量を計っている。
「三十グラムずつに仕分けろ。客は新宿の連中だ」
「へい兄貴」
レインの目が細くなる。
「覚醒剤……かしら?」
「そうみたいだな」
ヤヤがレインにそう答えた後、前に出る。
足音もなく、闇に溶けながら影のように階段を下りていく。階段を下りるたびに、空気が重くなっていく。
鉄とカビの匂いが混じり合い、地下特有の湿気が肌にまとわりつく。
ヤヤは足を止め、耳を澄ませた。
――かすかな金属音。誰かが椅子を引く音だ。
その奥から、くぐもった笑い声と音楽。場違いなほど軽快なジャズが流れていた。
「……下に部屋がある。音がする」
低く呟くヤヤに、カイトが口角を上げた。
「たしかに……あやしいな」
「カイトの煙、時間は?」
「もうそろそろきれる。さっさと片つけようぜ」
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地下の鉄扉の前に立つと、透明化が解除される。レインが静かに傘を開いた。
音もなく、傘の先から細い光が走り、錠前が音もなく切り落とされる。
「入るわよ」
レインの声は冷たく張りつめていた。
三人は薄闇の中へ滑り込む。
中は広い地下倉庫だった。
壁際には古びた冷蔵庫と木箱の山。
中央には金属のテーブルがあり、その上に散乱する札束と白い粉袋。
だが――目を引いたのは、奥の檻だった。
錆びついた鉄格子の向こうに、小さな影がいくつもうずくまっている。
ヤヤの拳がわずかに震えた。
「……子供達を、本当にここで……」
言葉を飲み込む。
その瞬間――部屋の奥から、ゆっくりと拍手の音が響いた。
「おやおやぁ。誰かと思えば、珍しい客人だな。」
照明が一つ、灯る。
机の向こう、革張りの椅子にふんぞり返っていたのは、五十前後の男。
黒いスーツに真紅のネクタイ、脂ぎった顔。
右目の下に、焼け跡のような傷跡が一本。
煙草をくわえながら、笑みを浮かべている。
「俺ぁ“鬼島”だ。この街で子供使ってんのは俺くらいだろ」
声は低く、掠れていた。
「お前ら、どこの差し金だ? 警察には見えねぇな。殺し屋か?」
ヤヤは表情を変えず、一歩前へ出る。
その背後で、レインの傘の先が静かに震え、カイトの煙がじわりと広がっていく。ヤヤは鬼島に尋ねる。
「……あんたに聞きたいことがある。なんで子供にこんな酷いことをする?」
鬼島は笑った。
「酷いことだと?人間は“使い道”があるもんだ」
その瞬間、空気が一気に冷えた。
レインがわずかに顔を伏せ、カイトが煙の中で目を細める。ヤヤは自身の右手に蜉蝣の銃を生み出す。
「……いい度胸だな」
鬼島が椅子から立ち上がる。
背後の暗がりから、黒服の男たちが次々と姿を現す。
手には拳銃。十はくだらない。
カイトが低く息を吐く。
「はぁ……やっぱ静かに済むわけねぇな」
「じゃあ……殺っちゃいますか♡」
「ああ。カイト、レイン。行くぞ」
三人は覚悟が決まったのか、戦闘態勢にはいる。
空気が張り詰め、火薬と血の匂いを予感させる沈黙が落ちた。
鬼島の口元が歪む。
「面白ぇ。じゃあ、遊ぼうか――ガキの代わりに、お前らが働けよ」
ヤヤの指が、闇のリボルバーの引き金に触れた。
世界が、静かに裏返る音がした。




