第66話「花は君だけを愛して咲く、永遠に変わらない愛」
ユウヒは蝶の羽を羽ばたかせ、空中に舞う。
橋に立ち尽くすアヤネを見下ろしながら異能の拳銃、フローラ・モルティスを向ける。
警告灯が、赤から闇へ沈む。ユウヒは狂ったかのような笑みを浮かべ、殺意をアヤネにむき出しにする。
「藤堂アヤネ~?ぐちゃぐちゃにするねぇ~?原型が残らないくらい」
その瞬間――
銃声が鳴った。
「――ヒガンバナ」
乾いた発音と同時に、
ユウヒの拳銃が火を噴く。
撃たれた弾丸は、一直線ではなかった。
夜空から放たれた銃弾は、途中でふっと消える。
「……?」
アヤネが眉を動かした、その刹那。
――背後。
空気が裂け、赤い花弁が“開花”する。
「っ!」
反射的に身体をひねるアヤネ。
弾丸は頬をかすめ、
触れた空気そのものが死んだように凍りついた。
「……空間転移?……わからないですが、このままでは私が不利ですね」
次の瞬間。
アヤネの背中から、
石でできた翼が生成される。
骨格は天使のそれに近い。
だが羽根一枚一枚が、
人の肌のような石で構成されていた。
「これで条件は同じです」
翼が羽ばたく。
重力を無視した上昇。
彼女は一気に高度を取り、
空中でユウヒと同じ高さへ躍り出る。
だが――
「……クローバー」
ユウヒは、動かない。
その場に留まったまま、
二発、三発と連続で撃つ。
弾道はすべて外れる。
完全な明後日の方向。
アヤネは一瞬、理解できなかった。
――狙っていない?
「舐めてるのですか?」
「あはっ……♡ 欲望丸出しのクソビッチがよくヤヤ君にキスしたよねぇ? なにしてくれてんのさぁ!!ねぇ?ねぇ!!!」
次の瞬間。
アヤネの翼の付け根で、
四つ葉の花弁が同時に開花した。
「――なっ」
遅れて、弾丸が“そこに在ったこと”を
世界が思い出したかのように、
同時着弾。
石の翼が、内側から砕け散る。
「くっ……!」
体勢を崩すアヤネ。
だが即座に翼を再構築し、空中で踏みとどまる。
その間にも、ユウヒは撃ち続けている。
「ヒマワリ」
放たれた弾は、
途中で停止し、静止する。
――否。
待っている。
アヤネが移動した瞬間、
その弾は生き物かのように向きを変え、
急角度で追尾を開始した。
「……っ!」
回避。
石化した空間を足場に、
アヤネはジグザグに飛ぶ。
だが弾は減らない。
「……分裂っ?!」
「違うよ~?」
ユウヒがクスリと笑い、逃げるアヤネに目を向ける。
「重なってるだけ~」
次の瞬間。
静止していたヒマワリの弾が、
一斉に解放される。
「なぁっ……?!」
追尾、貫通、角度変更――
すべてが同時に発動。
空中が、弾丸の花畑になる。
アヤネは、石の翼で弾き、
空間を石化し、
自らの身体を部分的に停止させてかわす。
だが――
ユウヒはすでに、次の花名を口にしている。
「……アイリス」
無数のユウヒの幻影が、夜空を埋め尽くす。
銃口が一斉に向けられた。
「くっ……なるほど。視界、存在、弾道。
すべて“疑わせる”銃ですか」
アヤネは両手を、ゆっくりと広げる。
次の瞬間。
空間そのものが、石へと変質した。
「……あなたを少々甘くみてました。こちらも本気でいかせていただきます。――《静岩領域》」
音が、消える。
風が、止まる。
幻影のユウヒたちの足元から、
半透明の石が花のように咲き、空中を固定する。
「っ……!」
引き金を引こうとした幻影の腕が、
途中で石化し、停止した。
「幻影は、実体がない。
でも――“そこに在る”と認識された瞬間、
石は触れられます」
アヤネは、石化した空間を踏み台にして跳ぶ。
一直線ではない。
上下でもない。
折れ曲がるような軌道。
「あ~もう、ウザいなぁ!!」
本体のユウヒが、初めて距離を測り損ねる。
アヤネは翼を畳み、回転しながらバットを振るった。
「――《圧砕》」
振り抜いた瞬間、
バットの先端から圧縮された石の衝撃波が放たれる。
幻影ごと、夜空が砕け散る。
「くっ……!」
ユウヒは後退し、
蝶の羽で衝撃を受け流す。
だが――
「逃がしません」
アヤネは空中で指を鳴らす。
砕けた石片が、再構築される。
槍、鎖、刃。
無数の石の武装が、ユウヒを包囲する。
「へぇ……石を“生き物”みたいに使うんだ」
「あなたの弾丸ほど、可憐ではありませんが――行きなさい。」
無数の石の武装はユウヒを襲う。
ユウヒは銃を構え、正確に撃ち落としていく。
「……それ、当たると思った?」
「やはり通じませんか……ですが負けません」
それからアヤネの視線が――
一瞬だけ、橋の中央へ向けられる。
石化したヤヤ。
アヤネの頬が、わずかに赤く染まった。
「……待ってて下さい……ヤヤ様」
戦闘中とは思えないほど、
優しく、甘い声。
「今宵は結婚初夜……ジャスティスを壊滅させたらいっぱい……ベッドで愛し合いましょ?」
囁くように言い、愛おしそうに微笑む。
――その瞬間。
空気が、爆ぜた。
「……っ」
ユウヒの表情が、完全に壊れる。
「あのさぁ!?だからさぁ!!人の男に手を出すなって言ってるじゃん!!」
怒りの感情を抑えきれないユウヒにアヤネは何を言っているのかわからないといった顔で、はっきり伝える。
「何をおっしゃってるのですか?ヤヤ様は今日から私の旦那様ですよ?先ほど私がプロポーズしてたの見てたでしょうに」
「ホント頭の中、お花畑だよね?!
ヤヤ君は君を受け入れてなんかないし、
私以外の女なんて、ちゃんと見えてすらないよ!」
拳銃を握る手が、震える。
「誰にも、渡さない……ヤヤ君は……ヤヤ君は私のものだから!!」
蝶の羽が、怒りに呼応するように光を放つ。
「……ローズ」
引き金。
火炎の弾丸が、
今までよりも荒々しく、無秩序に放たれる。
だが――
アヤネは、逃げない。
「感情が乱れてますよ。
それじゃ、弾道が読めます」
石の壁を即座に生成。
火炎がぶつかり、爆散。
その爆風すら、石化して止める。
「……!」
ユウヒは空中で体勢を立て直し、冷静さを取り戻す。
再び銃を構える。
アヤネも、翼を広げる。
二人はゆっくりとレインボーブリッジの車道へと降り立つ。
「安心して。ヤヤ君は優しいから、
藤堂さんがいなくなったこと、すぐ忘れるよ~」
「忘れられるのはあなたの方です」
アヤネは一拍、微笑む。
「本当に消えるのは、大切じゃなかったものだけですから」
視線を逸らさず、淡々とユウヒに言う。
ユウヒはアヤネを睨みつけ、銃を持った手に集中する。
ユウヒは、深く息を吸った。
怒りで震えていたはずの呼吸が、そこで不自然なほど静まる。
激情が――沈む。
代わりに、底の抜けた“覚悟”が、瞳の奥に落ちていった。
「はぁ……このビッチには何を言っても無駄だね……」
ぽつり、と。
それは敗北宣言ではない。
選別の終了だった。
ユウヒは、手にしたフローラ・モルティスを見下ろす。
深緑の銃身に絡みついていた蔓と花の意匠が、脈打つように光を放ち始めた。
「……ねぇ、フローラ」
引き金にかけていた指を、ゆっくりと外す。
「もうこの戦いを終わらせよ……?」
その瞬間。
――銃が、悲鳴を上げた。
金属が軋む音。
だがそれは破壊音ではない。
再構築の音だった。
フローラ・モルティスは、内側からほどけるように分解される。
銃身、引き金、薬室――すべてが光の粒子へと崩れ、空中に舞い上がる。
花弁だ。
無数の、淡く光る花弁。
それらが渦を巻き、ユウヒの前で重なり合い、編み上げられていく。
アヤネが、初めて明確な警戒を見せた。
「っ!!銃が……変形していく!」
「……教えてあげる。アウトロー・トリガーシリーズはね。特別な力を持ってるの。」
ユウヒは、ゆっくりと腕を伸ばす。
「これが私の神器……」
光が、形を成した。
それは剣だった。
長剣。
だが鋼ではない。
半透明の花弁が、幾重にも重なり、刃を形成している。
刀身は揺らめき、実体があるのか曖昧ですらある。
触れれば壊れそうなほど儚く――
同時に、触れてはいけないと本能が告げるほど禍々しい。
神器。
ユウヒがそれを握った瞬間。
蝶の羽が、一段階、強く光った。
「……っ」
アヤネの背中を、嫌な予感が走る。
空気が変わった。
“終わらせに来た”存在の圧。
「ねぇ」
ユウヒは、静かにアヤネを呼ぶ。
さっきまでの甲高い狂気は、そこにない。
「さっきヤヤ君と結婚って言ってたけどさぁ~」
一歩、踏み出す。
花弁が、はらりと舞った。
それだけで、アヤネの翼の一部に――細い亀裂が走る。
「……!」
アヤネは、目を細めた。
「……石化が、削れた……?」
ユウヒは剣を肩に担ぐ。
そして頬を赤らめ、狂喜的な笑みを浮かべながら宣言する。
「ヤヤ君はね……高校卒業したら、私と結婚するの。
それで一緒に、お花屋さんやるんだよ。子供は二人
……もう決まってるから。四人で毎日花に囲まれて幸せに暮らすんだ……」
「何を勝手にっ……!!」
「決まってるんだよ」
次の瞬間。
ユウヒの姿が――消えた。
「――っ!?」
アヤネが翼を打ち、反射的に距離を取る。
だが、遅い。
視界の端で、花弁が爆ぜた。
「――なっ!?」
背後。
いつの間にか、ユウヒが“そこに立っていた”。
振り抜かれる剣。
軌跡に、無数の花弁が舞う。
「――《ブルーム・リーパー》」
斬撃。
直撃ではない。
かすっただけ――のはずだった。
「……っ!?」
アヤネの肩に、浅い裂傷。
だが次の瞬間、異変が起きる。
呼吸が、重い。
翼を動かす感覚が、鈍い。
(……体が……)
一方で。
ユウヒの、先ほどの掠り傷が――消えていた。
血が止まり、皮膚が再生している。
「……生命力、吸収……!!」
アヤネは、即座に理解する。
「大正解~」
ユウヒは、にこりともしない。
アヤネは歯を食いしばり、即座に反撃に転じる。
「――《静岩領域・再展開》!」
空間が再び石化し、ユウヒの周囲を拘束しようとする。
だが。
ユウヒは、剣を軽く振った。
花弁が、石化空間に触れる。
その瞬間。
――石が、枯れた。
「……っ!?」
石が、崩れるのではない。
生命を奪われたかのように、粉になって消える。
「石ってさ」
ユウヒは、歩きながら言う。
「生きてない“つもり”でしょ?」
一歩。
「でも、存在してる時点で」
一歩。
「――終わらせられるんだよ」
アヤネの翼に、次々と亀裂が走る。
再構築しようとしても、追いつかない。
花弁が舞うたび、翼が、身体が、“保存”を拒否されていく。
「……そ、んな」
アヤネの額に汗が滲む。すぐさまユウヒから距離をとろうとする。
「わ……私は死にません……!ヤヤ様と」
「隙ありすぎ」
ユウヒはアヤネの一瞬の隙を見逃さなかった。
剣を振るう。
大きな動きではない。
むしろ――ためらいのない、最短の軌道。
花弁が、舞う。
「……っ!」
アヤネは反射的に身を引いた。
致命傷は避けた――はずだった。
肩口。
腹部。
太腿。
どれも浅い。血もほとんど出ていない。
それなのに。
「……な……に……?」
力が、抜ける。
指先が、感覚を失っていく。
ユウヒは剣を下ろし、淡々と告げた。
「《ペタル・カース》」
花弁が、アヤネの身体に――根を張っていた。
傷口から侵入した光の花弁が、血管に、神経に、内臓へと広がっていく。
見た目は、何一つ変わらない。
肌は美しいまま。
顔も、崩れていない。
――だからこそ、異常だった。
肺がうまく動かない。
心臓の鼓動が、遅い。
「こ、今度は体が全く動かない……?!」
仰向けに倒れるアヤネを見て、ユウヒは冷たく言った。
「藤堂さんの敗けみたいだね」
夜空が、見える。
「……あ……」
視界の端で、花弁が舞っている。
それが――
自分の中から溢れ出していることを、アヤネは理解した。
「私は……死ぬのですね……」
ユウヒは、静かにアヤネのもとへ歩いていく。
剣を振るい、花弁を散らすと、《ミストルティア・ブルーム》は光となって霧散した。
次の瞬間。
ユウヒの手には、再び――フローラ・モルティス。
深緑の拳銃。
彼女は一歩ずつ、近づく。
コツ。
コツ。
靴音が、やけに大きく響く。
ユウヒは、倒れたアヤネの額に、無言で銃口を突きつけた。
冷たい金属。アヤネは、かすかに目を動かす。
「……最後に」
ユウヒの声には、もう感情がない。
「何か言い残すこと、ある?」
沈黙。
風が、橋を渡る。
アヤネは、ゆっくりと口を開いた。
「……私は……」
声が、震える。
「……ヤヤ様を……ずっと……愛して……」
そこまでだった。
――パン。
乾いた銃声。
言葉は、続きを失った。
ユウヒの表情は、変わらない。
――パン。
――パン。
――パン。
額に、正確に。
迷いなく。
感情を挟まず。
何発も。
銃声が止んだ時。
ユウヒの視界に入ったのは、もはや誰かもわからないほどぐちゃぐちゃにされた死体。
ユウヒは、しばらく銃口を下ろさなかった。
完全にアヤネが死んだことを確認した後、腕を下ろす。
トリガーモードを解除し、石化したヤヤのほうへゆっくり歩いていく。
「……終わったんだよね」
それは、勝利の言葉じゃなかった。
確認だった。
もう“邪魔なもの”が、何一つ残っていないことを確かめるための。
夜のレインボーブリッジに、音が戻ってくる。
風。
遠くの海鳴り。
そして――
赤い警告灯だけが、規則正しく点滅していた。
さっきまで人が殺されていたことなど、世界は何も覚えていない。
月明かりが辺りを照らす中、ユウヒは石化したヤヤのもとへ歩くのをやめない。
靴音が近づくたび、胸の奥が甘く軋んだ。
「ねぇ……ヤヤ君」
石像の冷たい頬に、そっと顔を寄せる。
唇が触れそうな距離。
息がかかるほど近くで、囁く。
「もう大丈夫だよ……♡
君をいやらしい目で見る女は殺したから」
石の耳元に、声を落とす。
誰にも聞かれないように。
永遠に、逃げられないように。
「……これでさ」
くすっと、小さく笑う。
「ずーっと一緒だね」
正面からヤヤの目を真っ直ぐ見つめ、指先で頬をなぞる。
返事はない。
動かない。
それでもユウヒは、満足そうに目を細めた。
「逃げちゃダメだよ~。私をこんなふうにしたんだから……一生、面倒みてよね」
頬を赤らめ、吐息が触れるほど近くで囁く。
「ヤヤ君…………大好き」
背後で、警告灯が赤く瞬いた。
死体も、血も、悲鳴も、すべて闇に溶けて――
橋の上には、
愛する人を“手に入れた”少女だけが残っていた。




