第60話「泡沫の王と灰色の嵐」
割れたアスファルト。
墜落したパトカー。
上空で弾けたシャボンから落下した職員たちの死体。
その中心で──
水島イツキ が無造作にステッキを回していた。
風ではない。
光でもない。
それは“泡”のきらめきだった。
「じゃ、始めよっか。
お仕事なんだ。悪く思わないでね?」
飄々とした声。
だがその笑みに狂気は薄く滲む。
マリサが周囲の死体を一瞬見た後、怒鳴る。
「アンタ……よくそんなに躊躇なく人を殺せるわね!」
イツキは肩をすくめた。
「うん。職務だからね。
僕、エクリプスの“清掃係”なんだ。」
その言葉と同時に、杖がひと撫でされる。
次の瞬間──
視界が、泡で満たされた。
大小さまざまなシャボンが無数に生まれ、
地面・空中・物陰、あらゆる方角から押し寄せる。
マリサが思わず叫ぶ。
「ちょ、なにこれ!? 数ヤバッ!」
ミナが反射的に風を纏い、跳び退く。
「来る! みんな!分散して!」
カイトはタバコを咥え直し、煙を揺らした。
「……厄介だな。」
ミナの足元のシャボンが弾ける。
「ッ!?」
体がふわりと宙に浮いた。
「ミナ!!」
カイトが煙を噴いて駆け寄るより早く──
イツキが軽く指パッチン。
シャボンが破裂し、ミナは上空へ射出される。
「きゃ──ッ!!」
まるで風船を放したように軽々と空へ。
リュウジが地面を蹴る。
「取るッ!!」
ネックレスが金属音を鳴らし、彼の体が黒鉄色に変化。
重金属の跳躍でミナに追いつくが──
イツキがくすりと笑った。
「浮いてる人を助けるのって……危ないよ?」
リュウジの背後に“風穴のようなシャボン”が出現。
──重力倍増シャボン。
「ッ……!?」
触れた瞬間、二人の身体が急速に落下する。
地面に激突する直前、
ミナが必死に風を噴き上げ、衝撃を軽減させた。
だが二人は転がって着地。
マリサが叫ぶ。
「ちょっと!? 開始数秒でボロボロなんだけど!!」
イツキは杖を回し、無邪気な笑み。
「数秒持っただけ凄いと思うけど?僕はエクリプスの中でも5本の指に入るほど強いからね」
泡がきらめきながら増殖する。
マリサがマイクを構えた。
「アンタの泡なんて、
音パワーで全部ぶっ壊すし!!」
息を吸い込み──
「ぶっ飛びなァアア!!」
轟音が直線に走り、シャボンを砕きながらイツキへ迫る。
だがイツキは、静かに一振り。
「音は、閉じ込めるのが一番楽。」
マリサの叫びが、突然“無音”になった。
音圧がシャボンの内部に吸い取られ、爆発力を奪われて消える。
「……は? 音、消えたんだけど!?」
イツキは笑う。
「音の攻撃はね、
“軽く閉じる”のが最適解なんだ。」
リュウジが怒号を上げて突っ込む。
「貴様ァッ!!」
鋼の拳がイツキの首を狙う。
だがその寸前、イツキの前に大きなシャボンが生まれる。
リュウジの拳が触れた瞬間──
金属音とともに拳が弾き返された。
「ッ……!!」
拳の衝撃がそのまま逆方向に跳ね返る。
リュウジは地面を滑り、アスファルトを割って停止。
「反射もできんのか……!」
イツキは淡々と言う。
「できるよ。
だって“全部、僕が決めてる泡”だから。」
ミナが風で距離を詰める。
「風刃、突破するよ!」
だが彼女の周囲に、
青と赤の小さな泡がふわりと生まれた。
パチン。
青の泡は一瞬で凍る。
赤の泡は一瞬で焼ける。
ミナの腕にかすっただけで皮膚が赤くなり、
次の瞬間また別のシャボンが凍気を吹きつける。
「っ……く……!」
イツキは微笑む。
「泡はね。
“可能性”の塊なんだよ。」
全員が既に傷だらけ。
マリサの音は封じられ、
ミナは重力と熱冷却で翻弄され、
リュウジは反射で弾かれ、
誰も決定打が入れられない。
カイトはタバコを噛んだまま、
ただ一人、視線を鋭くした。
「……クソ厄介な相手だな。
泡ひとつひとつが“罠”ってわけか。」
イツキは肩を揺らして笑った。
「能力は使いようさ。君たちはどうやら自分の能力を使いこなしてないようだね。」
そして杖の先を、4人へ向ける。
「さて──
次は、誰を空に飛ばそっか?」
泡が一気に膨れ上がり、
戦場が完全に“イツキ仕様”へと染められていく。
九条マリサの音圧がぶつかるたび、
イツキのシャボン玉は弾むように受け流し、逆に衝撃を返す。
ミナの旋風の蹴りが空を裂いても、
シャボン玉は軽やかに浮いて軌道をそらし、ミナの体勢を崩す。
リュウジの鋼皮も、重力泡の重圧で足取りを奪われる。
「くっ……! タングステンでも押し負けるのかよ……!」
「んー、重いねキミ。でもさ、重いなら重いで、ほら──」
イツキが指をはじく。
「落ちてよ?」
足元にぬるりと泡がまとわりつく。
次の瞬間、リュウジの足は地面に“沈み込んだ”。
ミナが焦って駆け寄ろうとする。
「リ、リュウジ!!」
マリサは三半規管を揺らす高音攻撃を放つが、
シャボン膜が鏡のように湾曲して音を跳ね返し、ミナが逆にふらつく。
マリサが舌打ちしながら叫ぶ。
「なんなのよっ!!アイツマジで!攻撃通んないんだけど!」
イツキが楽しそうに肩をすくめる。
「通らないんじゃなくて、当てられてないんだよ?
ほら、音も風も、ぜーんぶ軽くすれば怖くないし?」
バシンッ。
ミナの蹴りが触れた瞬間、まるで力を吸われるように威力が消える。
トリッキー、そして理不尽。
――このままじゃ押し負ける。
リュウジの足が完全に地面へ沈む直前。
そのときだった。
ふわり、と。
風ではない。
煙だった。
視界の端から、灰色のもやが這うように広がり始める。
イツキが眉をひそめる。
「……煙……だと?」
次の瞬間、戦場全体が“曇った”。
視界が消える。
音が鈍る。
空気が重く、粘つく何かで満たされる。
マリサが声を上げる。
「ちょ、なに!? これカイトの煙!?」
ミナが息をのむ。
「……うん。でもこれ、いつもの煙より……密度が……重い……?」
そう、いつもよりずっと“濃い”。
その中央に、くっきりとした影が現れた。
カイトだ。
煙の中心に立つ、そのシルエットだけがくっきり浮かび上がる。
「悪いな。お前がトリッキーなら──
俺は戦場ごと“めちゃくちゃ”にするタイプでね」
煙が彼の足元から渦巻き、四方に広がっていく。
今のイツキの能力、
「視線」「距離」「狙い」
この三つが要だった。
それを全て奪う戦場ブレイク能力。
カイトが指でタバコを弾き、煙が一気に噴き上がる。
「――《煙化陣スモークフィールド》」
世界が、一瞬で“カイトの支配領域”になる。
煙が満ちた瞬間、イツキは明らかに動揺をみせた。
シャボン玉は光を反射してこそ真価を発揮する。
視界を奪われれば、軌道の制御と対象指定が一気に難しくなる。
「……くっ!!これは……」
煙の中からカイトの声が響く。
「残念だったな。お前は俺とは相性最悪だ。
お前みたいな視線依存型は、一度“盤面”を壊されると弱いんだよ。」
タバコの火が一瞬だけ明滅し、煙が螺旋を描いた。
次の瞬間――イツキの背後に“重い蹴り”。
「――っ!」
ミナの《旋風の靴ウィンド・サーベル》が炸裂。
風圧がシャボン膜を揺らし、イツキがわずかによろけた。
すかさず、背面からマリサの声。
「――『爆ぜろっての!』」
叫び声そのままの衝撃波《音圧オンプッシュ》が、
煙を切り裂きながら一直線にイツキへ。
直撃。
シャボン膜が大きく歪む。
「くそ……!それになんだこの……乱戦……。
泡が……安定しない……!」
イツキが体勢を整えようとした瞬間。
地面を硬質な音が踏みしめた。
リュウジだ。
「――《鋼皮アイアンハイド:黒鋼モード》」
黒鉄化した拳が煙の中から突き出され、
イツキの腹へクリーンヒット。
鈍い衝撃音。
イツキの身体が数メートル吹き飛ぶ。
煙は視界を奪い、
ミナの風はバランスを奪い、
マリサの音は集中を砕き、
リュウジの鋼が決定打を刻む。
完璧な“戦術崩壊”。
イツキは初めて、露骨な苛立ちを浮かべた。
「……ふざけないでよ。
僕を、こんな……寄ってたかって……!」
シャボンの杖が、
不気味な虹色の輝きを帯びる。
周囲に“無数の微細なシャボン玉”が生まれた。
大・小、軽い・重い、浮かす・沈める、爆ぜる・吸う……
ありとあらゆる効果が混ざった、混沌の泡。
その全てが――敵味方関係なく、制御不能。
イツキが叫ぶ。
「壊してやるよ……! 僕を侮辱したこの戦場ごと!」
シャボン玉が熱狂的に渦を巻き、辺りの空気が一瞬で“虹の嵐”と化す。
カイトはその光景を見て、
タバコを咥え直し、深く吸い込んだ。
「……本気の癇癪ってわけか。
ならこっちも“本気の煙”で対応してやるよ」
タバコの煙が、黒く、重く変質する。
「――《煙纏スモークレイド・零式》」
煙が雷のように弾ける。
次の瞬間、
カイトの身体は“煙の奔流”となってイツキに迫った。
布石は揃っている。
カイトの煙が動いた瞬間、仲間3人も同時に動く。
イツキが杖を構えた瞬間。
ミナが足の風圧でイツキの動きを一瞬止める。
「止まってもらうわよッ!!」
マリサがその一瞬の隙へ全力の叫びを叩きつける。
「ぶっ飛べコラァ!!」
リュウジがタングステンモードに切り替え、
最大重量の拳でイツキのシャボン膜を叩き込む。
「――割れろッ!!」
シャボン膜が砕け、
イツキの身体が露出する。
そこへ――
カイトの煙の槍が一直線に走り抜けた。
「トドメだ!――《煙穿スモークランス》!!」
煙の刃がイツキの胸を貫き、
虹色の光が一気に消散する。
刹那、静寂。
イツキは、貫かれた胸を見下ろしながら、
ふっと優しく笑った。
「……まさか……君たち程度に……
この僕が……負けるなんて……ね……」
声も、表情も穏やかだった。
「……でも、まぁ……いいか……
綺麗に……割れた……気がする……」
シャボン玉が陽光に溶けるみたいに、
彼の瞳の光がゆっくりと消えていく。
最後の瞬間。
「……ほんと……
泡みたいな……人生だったなぁ……」
そのまま、静かに崩れ落ちた。
虹色の残滓だけを残して……




