第58話「6人がそろう時」
スカイツリーと浅草の中間に位置する隅田公園は、午後の陽光に照らされ、川面から吹き上げる風が優しく芝を揺らしていた。
レンファたちとの死闘をくぐり抜けたヤヤとユウヒは、空に上がった煙──XIII──を頼りに公園の奥へと向かう。
目的地が近づくにつれ、人影が二つ見えてきた。
ひとりは黒いスーツに身を包んだ男。
もうひとりは、体のラインを隠さぬ服を着た女。
──カイトとレインだ。
二人は周囲を警戒しながらも、こちらに気づくと表情を緩めた。
距離が縮まる。疲労と煙の匂いをまといながら、四人は同じ場所へと集まった。
カイトは歩み寄ってきたヤヤの姿を正面から捉えた瞬間、眉をつり上げた。
「お、おい!ヤヤ……お前、敵にやられたのか?」
声が途中で途切れる。
近づいて初めてわかる血の量と、呼吸に合わせてわずかに揺れる肩。
戦いの激しさを物語っていた。
レインはさらに反応が早かった。
目を見開き、手を口元に当て、そのまま駆け寄る。
「ちょ、ちょっと待ってヤヤ君……何それ……!? なんでそんなに……!」
伸ばした指先が震えている。
触れたいのに、触れたら壊れてしまいそうで怖い――そんな迷いが滲んでいた。
ヤヤは二人の顔を見て、かすかに苦笑した。
「……敵は倒したが、思った以上に苦戦した。怪我は大丈夫……大したことない。見た目ほどじゃないから」
だがその言葉は、逆に二人の表情をさらに曇らせるだけだった。
レインは堪えきれなかった。
一歩、二歩……そして駆け寄る勢いのまま、ヤヤの胸元に腕を回す。
「ヤヤ君……っ、ほんとに大丈夫なの……!?
こんなの、大したことないわけないわよ!」
声が震え、涙がヤヤの肩にぽつりと落ちる。
ヤヤは痛みに顔を歪めながらも、レインの背にそっと手を添えた。
「レイン……本当に平気だよ。ちょっとあばらが折れただけだから。動けるし、まだまだ戦える」
「“ちょっと”じゃないでしょ……っ!」
レインの訴えにヤヤが困ったように笑ったその時──。
ユウヒが、静かに俯いた。
レインの泣き声、カイトの険しい沈黙。
その全部に押し潰されるように、小さく息を吐く。
「……ごめん」
全員の視線がユウヒに向いた。
彼女は拳を握りしめ、唇を噛んだまま続ける。
「ヤヤ君の怪我……私のせい。
敵を前にして……怖くて動けなかった。
力も、まともに使えなかった。
ヤヤ君は……私のぶんまで戦って……守ってくれた」
声が震え、まつげの先に透明な雫が揺れる。
そしてユウヒの言葉が終わった瞬間、レインの肩がびくりと揺れた。
「……なんで……」
レインはゆっくりと顔を上げる。
涙に濡れた瞳がユウヒを射抜いた。
次の瞬間――。
パンッ!
乾いた音が公園に響き、ユウヒの頬が横に弾かれた。
「……っ!」
ユウヒは目を見開き、涙を浮かべるレインを呆然と見つめる。
「なんでなのよ……! なんであんたがそばにいて、ヤヤ君ひとりに戦わせてんのよ! その銃は何のためにあるの!? 大切な仲間を守るためでしょ!? 違うの!?」
「レイン、よせって!」
カイトが慌てて制止するが、レインは怒りを収めない。
「カイトは黙ってて!
……ヤヤ君が死んじゃったら……私……私っ!」
その胸の奥にある本音がこぼれ落ちる。
そんな中、ヤヤが苦しい息を整えながら口を開いた。
「……レイン、ユウヒを責めないでくれ。敵は黒蓮幇のトップだったんだ。……ユウヒが昔いた、あの中国マフィアの親玉だ。今はエクリプスの仲間みたいだったがな」
「……っ!」
レインは言葉を失い、カイトが代わりに呟く。
「ってことは……ユウヒ、前の記憶が……?」
ヤヤが頷く。
「思い出しちまったんだ。だから集中が切れて……能力が使えなかった」
カイトは納得したように息をついた。
「そりゃ無理もねぇな。覚醒水晶の異能は、心が揺らいじゃ発動しねぇ」
レインはそっぽを向く。
「……だとしても、私は謝らないから」
「うん……いいよ。私も、言い訳するつもりはない。……未熟だったのは事実だから。」
気まずい沈黙が流れる──そのとき、公園の外からバイクのエンジン音が近づいてきた。
砂利を蹴り上げ、公園内にまで乗り入れてくる。
二人乗りのバイクが砂利を巻き上げて停止すると、最初に降り立った男がヘルメットを外した。
陽光を受けて黒髪が揺れ、長身のシルエットが影を落とす。
その鋭い目が、血まみれのヤヤとユウヒ、そして緊張の色を帯びたカイトとレインを一瞥した。
「……やっぱり、あの煙はコードXIIIだったか」
低く通る声。
茜坂ケイ。
ジャスティスの戦闘部門、コードI――最高戦力の一角にして、ヤヤたちの先輩。
続いて、後ろから降りてきた女が静かにヘルメットを外す。
金髪のポニーテールがさらりと流れ、淡い青の瞳が四人を品よく見渡した。
「お久しぶりです、皆さん。」
柔らかい声だが、どこか冷静で凛とした空気を纏っている。
茜坂シルファ。
ケイの妻にして、同じくコードIのジャスティス最強格。
ケイがバイクを立てながら言った。
「ここで会えて助かった。お前らに話があって来た」
ヤヤが息を整えながら問い返す。
「……何かあったのか」
ケイは頷き、表情を引き締める。
「ここに来る途中で、何人か“エクリプス”の奴らを潰した。そいつらから情報を引き出したんだが……どうやら都内のインフラ施設に、かなりの数が潜伏してるらしい」
「インフラ……!くそっ……俺達を東京から逃がさないってか」
カイトが眉をひそめる。
シルファが補足するように続けた。
「それと……ここにくる途中で会った他のジャスティス隊員からの報告ですが、お台場で先日、不審な動きがあったようです。敵の活動拠点の可能性もあると」
その瞬間、ヤヤとユウヒがわずかに目を見交わした。
ケイは気づいて問いかける。
「……何か知ってるな?」
ヤヤが一歩前へ出て、仲間全員に向けて告げた。
「さっき俺達が戦った奴らから聞いたんだが、エクリプスは今日の16時――国会議事堂、首相官邸、そして警視庁を同時襲撃するつもりだ」
「……!」
レインが息を呑む。
ユウヒも続けるように、硬い声で言う。
「お台場といえばなんだけど、東京湾の海底に爆薬を仕掛けているみたいだよ。大規模な津波を起こして、首都を壊滅させるって……」
シルファの表情が一瞬だけ険しくなった。
「……そこまでの規模を……」
ケイは短く息を吐き、状況をまとめるように言った。
「最悪のシナリオだ……だが、これで敵の狙いははっきりした。」
四人全員の視線がケイへ向く。
「都内のインフラ施設は、実はボスがもうジャスティスの連中を向かわせてる。だからそっちは任せていい。だが――」
ケイの声に力がこもる。
「俺たちが止めるべきは “16時に襲撃される三箇所” と “東京湾の爆弾” だ。
国会議事堂、首相官邸、警視庁……それと海の爆薬。ここが決戦になる。」
シルファが静かに頷く。
「敵の主力が動くのは間違いありません。こちらも急ぐべきです。」
ケイは周囲の状況を一望し、最後にヤヤの表情を確認すると、決断したように口を開いた。
「……よし。方針を決める。」
四人の背筋が自然と伸びる。
「国会議事堂と首相官邸は、俺とシルファが行く。敵の主力が来るなら、そこが本命だろう。
お前らは――警視庁とお台場だ。」
カイトが息を飲む間もなく、ケイはさらに続ける。
「警視庁の最寄りは桜田門だ。あそこにはコードⅨが配置されてるはずだ。合流したら状況を説明してくれ。」
レインが目を瞬かせた。
「コードⅨ……って、マリサ達のところよね?」
ケイは短く頷く。
「ああ。あいつらだけでも警視庁を落とさせやしないだろうが、数は少しでも多いにこしたことはない。そうだな……1人頼めるか?」
カイトが一歩前に出た。
「なら、警視庁には俺が行きます。それからヤヤの方は休ませていいですか?……この怪我なんでレインとユウヒだけでお台場に行かせたいです。」
「お、おいっ……カイト。俺は大丈夫だって!」
カイトの言葉にヤヤは反発する。
それに対してケイはふと笑みを浮かべてシルファの方を向く。
「……シルファ。いつもの頼む。」
「ふふっ……任せて下さい。」
シルファが静かに声を上げた。
「あなた、本当にひどい怪我ですね……」
全員が振り向く。彼女はまっすぐヤヤを見つめていた。
ヤヤは肩をすくめながら目を反らし言葉を返す。
「まあ……でも動けるから大丈夫だ」
「いいえ。大丈夫ではありません。」
シルファは一歩進み、そっと目を閉じた。
次の瞬間――。
キィィン……!
空気そのものが震え、金属が鋭く鳴る。
彼女の両手に青い光が灯り、そこから小ぶりの包丁が二本、音を立てて形成された。
刃は透き通るような蒼。
縁が淡く輝き、空気を切り裂くたびに光の尾が揺れる。
シルファは静かに宣言した。
「――《蒼刃アズールナイフ》」
レインが思わず息を呑む。
「ちょ、ちょっと待っ――シルファ、それヤヤ君に……!?」
しかしシルファは迷いなくヤヤの傷口へ刃を突き立てた。
「……っ!」
ヤヤはわずかに顔をしかめる。
ユウヒが叫び、カイトまで動揺する。
「シ、シルファ!?」
「おい待て!刺してんじゃ――!」
だがケイだけが腕を組んだまま、落ち着いた声で言った。
「心配すんな。これは治療だ」
直後、ヤヤの傷から青い粒子が噴き上がる。
アズールナイフの刃が溶けるように散り、その青光がヤヤの身体へ吸い込まれていった。
シルファが説明する。
「この刃は二つの力を持っています。
ひとつは“破壊”。そしてもうひとつは、“再生”。」
ヤヤの皮膚がみるみる塞がり、骨の軋む痛みが消えていく。
レインが目を丸くする。
「えっ……? 傷が……跡形もなく……!」
ユウヒも信じられないというように両手を口元に当てた。
「こんな能力初めてみた。さすがトップは違うね~」
シルファは淡く微笑んだ。
ケイはバイクにまたがりながら言った。
「これで全員準備は整ったな。カイトは警視庁、ヤヤ、レイン、ユウヒはお台場の方を頼む。」
ヤヤ、ユウヒ、レイン、カイトの四人はそれぞれ頷き合う。
ケイが最後に言い放つ。
「――行くぞ。16時の襲撃、必ず止める」
シルファもバイクの後部に軽やかに乗りながら微笑む。
「どうか、お気をつけて。皆さん」
そして――。
五人は一斉に動き出した。
首都壊滅計画を阻止するための、最後の戦いへ。




