第56話「君を守る理由」
緊張感のある空気を先に破ったのはヤヤだった。
「お前らの好きにはさせない!」
ヤヤがゆっくりと右腕を前へ伸ばした。
その掌の上に、闇の粒子がふわりと集まり始める。
黒い水面が揺れるように、闇は波紋を作りながら形を変え、次第に銃の輪郭を描き出した。
「――《蜻蛉の銃》」
名を告げた瞬間、闇は一気に凝縮し、形が定まる。
漆黒の銃身に、淡い紫の稲光がすっと走った。
それは影そのものが姿を取ったような武器――
冷たく、そして静かに殺意を宿した黒い銃だった。
銃が完全な形を取り終えた瞬間だった。
レンファの表情が、明らかに揺れた。
細められていた紫の瞳が、驚愕に大きく開く。
「……は?」
その声は、まるで理解が追いつかないといった色を帯びていた。
隣のレンシアも、瞳孔を震わせながら一歩前に出る。
その紫の瞳が、ヤヤの手にある“闇の銃”を凝視していた。
「アウトロートリガー……」
兄妹の視線が、同時に鋭く細くなる。
レンファが息を呑むように呟いた。
「まさか……日本に、ユウヒ以外の神銃使いが……?」
その言葉に、ユウヒの肩がびくりと跳ねる。
だがヤヤは一切振り向かず、無言でレンファたちを見据えた。
レンシアは震える笑いを漏らした。
「嘘……でしょ?……神銃って……!
しかも闇属性は、あの最強とも名高い……!」
レンファが静かに妹へ手を上げて制した。
それから目の色を変え、警戒する。
「危険だな……ここで始末しなければエクリプスにとっていずれ脅威になる」
レンシアも瞳の色を変えていく。
紫から、深い紅紫へ――まるで戦闘時の“本性”をあらわすかのように。
「そうだね……お兄ちゃん……
この人、ただのジャスティスの隊員じゃない。」
レンファもゆっくりと瞳を細めた。
その目は、先ほどまでの余裕を完全に消している。
一方ヤヤは双子の殺気の高まりを感じ、ユウヒの名を呼ぶ。
「ユウヒ!!何してる?!来るぞ?!」
それに対してユウヒは目を見開き、手が震えていた。
「あ、あれ?能力が発動……できない…………?」
「なぁっ?!こんな時冗談言ってる場合じゃ……」
「冗談じゃないよ!どうして?!どうして?!」
ユウヒの目に涙が滲む。
呼び出すべき《フローラ・モルティス》の光は、気配すら現れなかった。
「……お兄ちゃん。ユウヒ、能力を使えないみたいだよ?さっきの私の言葉でかなり精神的に堪えたみたい」
レンシアはこの光景を見てゆっくりと笑う。
その笑みは、毒を含んだ花のように甘く、そして残酷だった。
レンファもまるで獲物を見つけた捕食者のように微笑み、冷たく言い放つ。
「神銃が顕現できないのか。心がブレてる証拠だな。集中力を欠いた状態では覚醒水晶の力は顕現しない。」
「そんな!!」
ヤヤは震えるユウヒの肩を片手で掴み、その細い体をそっと背後へ押しやった。
「ユウヒ……下がってろ。お前は――俺が守る。」
「な、何言ってるのヤヤ君?!1人でなんて無茶だよ!」
「……あの河川敷での言葉、覚えてるか?」
「……えっ?」
"もし……これから先、黒蓮幇の連中がユウヒにちょっかい出してきたら俺を頼れ……俺が命に代えてもお前を守るから"
その言葉を思い出し、ユウヒの呼吸が一瞬止まる。
揺れる瞳の奥で、かすかに光が戻りかける――だがそれでも能力は発動しない。
ヤヤは一度だけ短く息を吸い、目の前の双子へ視線を戻す。
レンファとレンシアはすでに戦闘の構えを取っていた。
二人同時に耳へ手を添える。
左耳のレンファ、右耳のレンシア。
それぞれの耳元に、光の粒から形作られた“ピアス”が顕現する。
紫水晶のような輝きが耳朶にぶら下がり、空気が一気に張り詰めた。
レンファとレンシアがわずかに笑い、同時に能力を発動する。
「「――《ゴースト》。」」
二人の全身が紫色に輝く光のオーラにつつまれる。
レンファが小さく首を傾げ、殺意を柔らかく滲ませた。
「じゃあ、始めようか。二対一の処刑を。」
双子の双子は尋常ではないスピードでヤヤの懐へ接近。
レンファは滑らかで鋭い蹴りをヤヤに放つ。
それから連続で肘打ち。
すべて無駄がなく美しい。
「これは……カンフー?!」
ヤヤがギリギリのところで防御する中、レンシアも同時に攻撃を展開。
体捌き、回転、跳躍、すべての動きが流れるように連携しヤヤを襲う。
「くっ!……こっちは何だ?!少林拳か?!」
ヤヤは防御からレンファの一瞬の隙をつきカウンターの蹴りを放つ。レンファはニヤリと笑みを浮かべ呟く。
「バカめ。罠だ」
ユウヒが震えながら叫ぶ。
「それはダメぇぇぇ!!」
次の瞬間、ヤヤの蹴りがレンファの身体をすり抜けたのだ。
「な、なにっ?!」
致命的ともいえる隙をレンファは見逃さなかった。
レンファの拳が、迷いなくヤヤへと突き刺さす。
「――ッぐ……!!」
凄まじい衝撃が腹部から背骨へと抜け、ヤヤの視界が一瞬白く染まる。
身体が後方へ吹き飛び、アスファルトに叩きつけられた。
地面に倒れ込むと同時に、肺が苦鳴をあげる。
「ヤヤ君!!」
ユウヒの叫びが、震える空気にかすれて響いた。
ヤヤは咳き込みながら身を起こそうとするが、腹部に焼けるような痛みが走る。
レンファはその様子を冷たい目で見下ろし、ゆっくりと歩み寄った。
「今ので気づいたはずだ。僕達の異能の前では君は触れることすら許されない。」
レンシアも優雅に髪をかき上げ、小さく笑った。
「そう。すべての物理攻撃、衝撃、打撃、刃……そして異能も全部すり抜けちゃうの。私達はあなたを触れられるけどね。」
肺から漏れた呼吸がかすれ、視界が揺れる。
だが――それでもヤヤは歯を食いしばり、ゆっくりと両膝を立てた。
ユウヒが涙に濡れた声で叫ぶ。
「ヤヤ君、もう動かないで!お願いだから!!」
だがヤヤは答えない。
よろめきながら、両足に力を込め、立ち上がる。
その姿に、レンシアは小さく肩を揺らして笑った。
「ほんと……しぶといんだね。じゃあ次は私の番かな?」
次の瞬間、レンシアの姿が揺らぎ――消えた。
「っ……!速い!」
振り返る間もなく、背後から斬り裂くような蹴撃が迫る。
ヤヤはとっさに腕でガードし、重い衝撃に吹き飛ばされる。
「ぐ……あッ!」
痛みが全身を裂く。
立ち直ろうとする瞬間には、レンシアの二撃目がもう目の前に迫っていた。
「はい、終わり――」
華奢な拳がヤヤの腹部を貫いた。
「ッ……!!」
鋭い痛みとともに、ヤヤの口から赤い血が飛ぶ。
膝が一瞬折れかける――だが、その瞬間、ヤヤは自分の足に力を叩き込んだ。
ごふっ、と血を吐きながらも、身体を地面へ落とすことだけは拒む。
「っ……まだ……倒れねぇよ……!」
レンファが冷静に言い捨てる。
「精神力だけじゃ僕達には勝てないよ。」
だがヤヤは返さない。
目の前の双子から距離をとりながら、ゆっくりと――だが確かな動きで、漆黒の《蜻蛉の銃》を構えた。
そのときだった。
「や、やだよ……ヤヤ君!!私のことはいいから逃げて!!ほんとに死んじゃうよ!!」
ユウヒの声に振り向いたヤヤは、苦しげに、しかしどこか安心させるような微笑を浮かべ答える。
「……俺は……ユウヒを……見捨てたりしない。絶対に。」
「ど、どうして?!私なんかのためにそこまで……!」
そして――ユウヒの心臓に触れるように、静かに言った。
「……好きだからだよ。お前のことが。
惚れた女を守りたい……。それだけだ。」
「……えっ?」
「……ユウヒ。
俺はどんなお前でも嫌わない。
泣いてても、怖がってても、弱い日があってもい
い。
――全部ひっくるめて。
お前を信じてる。」
ユウヒの目が一瞬で潤み、頬をつたって涙が落ちる。
胸に巣食っていた“嫌われるかもしれない”という恐怖が、その言葉でふっと消えていく。
心臓が温かく脈打ち、息が深く吸えるようになる。
一方レンファはヤヤとユウヒのやり取りを見つめ、
ゆっくりと唇の端を持ち上げた。
その瞳には、獲物を値踏みする捕食者の静かな光が宿っている。
「……なるほどね。追い詰められてるのに目が死んでない理由が分かったよ。」
レンシアもくすっと笑い、兄の横で挑発するように首を傾ける。
「ほんと……裏切りの花には勿体ないくらい、いい男だね。」
それからレンファとレンシアは再び殺意むき出しにする。レンファは自身の左肩へ、対してレンシアは右肩へ手を添えた。
「だが現実は残酷だ。どんなに君がユウヒを愛していてもここで死ぬのだから。」
「うん……距離を取ったくらいで安全と思わないことだよ」
二人の肩から紫の光があふれだし、
肉体の外へ――巨大な二本の“霊の腕”が生み出された。
まるで怪物の右腕と左腕。
「「――《ゴーストハンド》。」」
空気が震え、地面の砂塵が巻き上がる。
その腕は物理をすり抜け、意志だけで対象を掴み、潰し、貫ける厄災。
「潰れるといい……」
レンファがそう宣告する。
二本の腕が同時にヤヤへ向かって伸びた。
ヤヤの瞳が静かに細められる。
――来い。
脳裏でイメージが形を取る。
(透過する存在……なら逆に“存在を固定”すればいい……
すり抜ける力を縛り付ける弾丸……つまり――)
黒い銃身が、低く唸った。
「……《イマジンバレット》。」
ヤヤは襲いくる二本のゴーストハンドへ照準を合わせ、
迷いなく引き金を引いた。
ドンッ!!
紫の雷光を帯びた“想像の弾丸”が一直線に走る。
次の瞬間――
バギィィィンッ!!!
ゴーストハンドが爆ぜた。
まるで見えない鎖で縛られたかのように、腕が引き裂かれ、消散していく。
「ぐああああああッ!!」
「いっ……痛ッ……ッああああ!!」
レンファとレンシアは同時に膝をつき、肩を押さえた。
魂そのものを殴られたかのような激痛が、二人の体を焼き尽くす。
ユウヒが目を見開いた。
「ヤヤ君の……攻撃が……効いてる……?!」
震える声。驚愕。
双子は苦しみながらも、ヤヤを睨みつける。
「な……なぜだ……?
どうして……僕達に……触れられる……?」
「すり抜けない……?何を……したの……?!」
ヤヤは銃口をまっすぐ双子へ向け――
その瞳に、消えない闇の光を宿す。
ヤヤはゆっくりと口を開いた。
「……“透過する相手”なら、逆に“透過を許さない状態”にすればいい。」
レンファとレンシアが息を呑む。
ヤヤは手の中の蜻蛉の銃を軽く傾け、紫の雷光が銃身を走った。
「イマジンバレット……これは俺の想像そのものを
弾にする力だ。さっき撃ったのは――お前らを現実に縛りつける弾丸。魂だけの存在だろうが……この弾からは逃げられねぇ。」
双子の顔が、明確に揺れた。
「想像が弾丸に?!……そんなデタラメな力が……?!」
「ありえない……!私たちの透過を封じるなんて……!これが闇のアウトロートリガーの力……」
二人の動揺が空気を震わせる。
だがレンファが唇を噛み、鋭い目で妹へ合図した。
「……レンシア。もう手加減は不要だ。」
「うん……分かってる。」
レンシアは震える手を胸元へ当て、そして兄に向かって差し出す。
レンファも同じ動作を返す。
二人の手が、強く――結ばれた。
瞬間、空気が爆発したように震えた。
「えっ……何……?」
ユウヒの声が震える。
レンファとレンシアの身体から溢れた紫色の光が、渦となって絡み合う。
その光は二人の腕を伝い、握られた手へ収束し――
ズオォォォォォォッ!!!
大地そのものが揺れた。
紫黒色の霧が一気に噴き出し、二人の背後に“何か”が立ち上がる。
巨大な影。
歪んだ腕。
顔のような穴がいくつも空いた、怪物の形。
「なっ……なんだ、これ……!?」
ヤヤが思わず声を漏らす。
レンファが、苦痛と快楽が混じったような表情で言い放った。
「これは……覚醒水晶の力を持つもの同士の魂が深く結びついた時にだけ発現する……」
「奇跡の共鳴――《リンキング》だよ。」
レンシアが続く。
「二人の能力が完全に重なったとき……“私たちのゴースト”は、完全体になる。
これはもう……誰にも止められないよ。」
巨大な霊の塊であるゴーストがゆっくりと両腕を広げる。
地鳴りのような唸りが響き、周囲の空気が歪む。
次の瞬間――
ゴッッ!!!
怪物の腕がヤヤとユウヒへ襲いかかった。
「っくそ……来いよ……!」
ヤヤは銃を構え――
しかし、その腕の大きさと速度に、一瞬だけ躊躇いが生まれる。
「ヤヤ君!!」
後ろからユウヒが抱きつくように駆け寄る。
その両手が、ヤヤの銃を握る手に重ねられた。
「ユウヒ……?」
「怖いよ……でも……!
ヤヤ君が死ぬことの方がもっと怖い……!!」
ヤヤの胸が熱くなる。
ユウヒの涙が、ヤヤの指の甲に落ちる。
だがその涙は、今は震えではなく――覚悟の色を帯びていた。
「……一緒に撃とう。今なら……ヤヤ君となら……私、できる。」
ヤヤは息を吸い、短く笑った。
「……ああ。頼りにしてる。」
二人の手が銃を支える。
その瞬間――銃身が、強烈な光で満ちた。
ユウヒの心の灯。
ヤヤの闇の炎。
二つが重なり合い、音もなく一つになる。
レンファとレンシアが青ざめた。
「なっ……二人の心も……共鳴してる……?!」
「バカな……!リンキングはそんなに簡単にできるものじゃない!」
次第に銃身を包む光はただの輝きではなく蒼い花弁がゆっくりと開くような形で広がっていく。
闇の粒子が“茎”のように絡まり、
ユウヒの心の光が“花の中心”となって脈動する。
ヤヤとユウヒは同時に引き金を絞った。
「――《《ブルースター・シンクロニア》》!!」
銃口から飛び出したのは一条の光ではない。
青白い光弾の周囲に、花弁のような六枚の蒼光が展開する。
まるで宙に咲いたブルースターそのもの。
光弾が進む軌道に合わせて、その花弁はひらり、ひらりと尾を引き、
放たれた弾丸は“回転する花”のように軌跡を描きながら怪物へと突き進む。
怪物に命中した瞬間――
静寂。
爆音は遅れてやってくる。
ドォォォォォォン!!!!
ひときわ美しい“青の波紋”だった。
幽霊の怪物は光の爆風に飲まれ、霧散し、形すら残せずに消滅する。
光弾の余波が空気を押し広げ、
その中心から青い花弁のような光の欠片が無数に舞い上がる。
「う……あ、あぁ……!」
「ぐ……っ……!!」
レンファとレンシアの体が同時に大きく仰け反り、地面へ崩れ落ちた。
握っていた手は離れ、二人は砂上へ横たわる。
もう、立ち上がる力は残っていない。
震える息で、レンファが呟いた。
「……負けた……のか……僕たちが……」
レンシアも、苦しそうに目を閉じる。
「お兄ちゃん……痛いよ……こんなの……聞いてないよ……」
倒れ伏した双子の横で、光の残滓がゆっくりと消えていった。
ヤヤとユウヒは肩で息をしながら、静かに立っていた。
銃身はまだ温かい。
二人の手は、まだ重なったままだった。




