第55話「崩落の塔にて、双子は微笑む」
浅草から北へ。
瓦礫に沈んだ街を抜け、二人は崩れ落ちたスカイツリー跡へと辿り着いた。
かつて空へ伸びていた鉄骨は、巨大な槍のように折れ曲がり、地面に突き刺さっている。
周囲には、爆発の余波で倒壊した建物の残骸が積み重なり、鉄と灰と血の匂いが、昼の熱気に焦げつくように混じっていた。
「……酷いな、これ。」
ヤヤが低く呟く。
ユウヒは口元を押さえながら、小さく頷く。
「観光客……一般人……みんな巻き込まれちゃった……」
アスファルトには、身体が何十と散乱している。
血は乾き、茶色い膜のようになって地面にへばりつき、
靴底が沈むたびに、べり…と嫌な音がした。
「ジャスティスの……コードIVの人たちも……」
路肩に積み上がるように倒れた隊員たち。
戦闘の形跡が一切ない。
まるで抵抗する間もなく“消された”かのようだった。
ヤヤは周囲を見回しながら言う。
「……こんなやり口、聞いたことない。」
ユウヒも、まだ震える声で続く。
「コードIVって、近接も遠距離も強いのに……」
「相手はただ者じゃないな……」
そんな会話を交わしながら、二人は慎重にスカイツリー跡の中心へ歩いていった。
瓦礫の影が形を変え、風がゆっくり止む。
その瞬間――
瓦礫の頂で“何か”が立ち上がる気配がした。
ヤヤが反射的に視線を向ける。
崩れた鉄骨の上で、
黒いコートの人物が、昼の光に影を落として立っていた。
ユウヒはまだ気づいていない。
「ヤヤ君……?」
「……ユウヒ。止まれ。」
「え……?」
ヤヤの目線の先を追った瞬間、
ユウヒは呼吸を失ったように静止した。
瓦礫の上――
黒髪の男が立っていた。
漆黒の長髪が、昼の陽光を弾いてゆるく揺れた。
男は、紫の瞳で二人を見下ろし、
その後ろには、まったく同じ色の瞳に似た雰囲気を持つ女。
双子なのだろう。
倒れたコードIV隊員の髪を、まるで飾り物のように指で弄んでいる。
男が、軽く首を傾けた。
「……」
女も、同じように薄く笑う。
「まさかの再開だね。お兄ちゃん……」
ヤヤは警戒を強めつつも、冷静に尋ねた。
「お前たちが……ここをやったのか。」
その問いに答えたのはユウヒだった。
声が震えすぎて、言葉が千切れそうだった。
「な、なんで……ここに……?」
ユウヒの顔は血の気が引き、
歯がカチカチと鳴り始めていた。
「ユウヒ……?」
ユウヒは後ずさりながら首を振る。
「いや……いや……なんで……
どうして……黒蓮幇の……っ」
「黒蓮幇だと?!」
ヤヤが驚きのあまり目を見開く中、男が初めて口を開く。声は落ち着きすぎていて、逆に不気味だった。
「久しいね。裏切りの花。」
その瞬間――
ユウヒの震えが、限界まで跳ね上がった。
ユウヒの肩が小刻みに揺れ、足は完全に力を失っていた。
「……っ、ヤヤ君……あの人……あの二人は……」
男は、瓦礫に腰を下ろすように軽やかに降り立つ。
「自己紹介が必要かな?」
紫の瞳が笑っていない笑みを浮かべる。
「僕はレンファ。中国のマフィア、元黒蓮幇のボスさ。」
隣で倒れた隊員の髪を弄んでいた女は、ふわりと立ち上がった。
「で、こっちが妹のレンシア。僕達は双子なんだ。」
レンシアの指先から落ちた髪が、風に散る。
ヤヤは一歩前に出る。
ユウヒをかばうように。
「黒蓮幇のボスだと?!だが元って……」
「つい最近壊滅したのさ。元黒蓮幇は」
「……えっ?……嘘……」
ユウヒが信じられないといった反応をする一方、
レンファは軽く肩を竦めながら話を続ける。
「僕たち以外は、全員死んだ。ひとり残らずね。」
妹のレンシアが楽しげに続ける。
「全部、トワ様がやったの。
すごかったよ。まるで神話の“粛清”みたいだった。」
再び兄のレンファの声が落ちる。
「でも僕らは、生かされた。
――“思想”を理解したからね。」
「思想……?」
「すべてを破壊し、再構築する。」
レンシアは言葉を途切れさせずに言う。
「日本の後は私達の故郷の中国。
黒蓮幇が夢見た“中国再建”を、トワ様が代わりに叶えるの。」
レンファが笑った。
「死んだ仲間たちよりも……今の方がずっと希望がある。」
ヤヤとユウヒはあまりの衝撃に茫然と立ち尽くしている中、レンシアがヤヤに妖艶な笑みを浮かべながら尋ねる。
「ねぇ。そこの男。あなたもジャスティスの犬なのでしょ?名前は?」
「……月野ヤヤ」
「ふぅん。変な名前。」
レンシアは薄く笑った。
その紫の瞳が、まるで人の心の奥を覗き込むように細くなる。
「気をつけたほうがいいよ……。」
ひとつひとつ言葉を噛むように続ける。
「ユウヒは必要とあらば、平気で人を騙す。
切り捨てる。
どうせジャスティスも、あなたも……
利用して裏切るに決まってる。」
その瞬間――
「違うっ!!」
ユウヒの悲鳴が、瓦礫の広場に突き刺さった。
肩を震わせ、目の端から大粒の涙をあふれさせながら、ユウヒは叫ぶ。
「違うよ……そんなの……!
わたし、ヤヤ君のこと裏切ったりなんて……絶対しない……!!
ヤヤ君に嫌われたくない……っ
わたし……わたし……!」
言葉は涙で途切れ、胸元を握りしめて必死に呼吸する。
レンシアはつまらなそうに目を細めた。
「また“嘘”。」
きっぱりと断言する。
「あなたってほんと、腐った花みたい。
見た目だけは可愛いけど、中身はクズだもん……
それに触ったら簡単に崩れる。
本性は、口先だけの小物なんだよね?」
ユウヒの顔が苦痛に歪む。
「ち、違う……違うのに……!
本当のことなんて……知らないくせに……!」
「知らない?」
レンシアはあざけるように笑う。
瓦礫を踏みつけ、ユウヒの方へゆっくり歩いてくる。
「あなたが黒蓮幇で何をしてきたか、誰を利用し捨
ててきたか……ぜんぶ、知ってるんだけど?
彼にも教えてあげよっかな」
ユウヒの呼吸が一瞬止まる。
背筋が凍り、足がまた後ろへ逃げようと震える。
「えっ……?」
ユウヒは掠れた声で懇願する。
「お願いだからそれだけはやめて……!ヤヤ君にだけは言わないで!!」
「ほら、見てよ。」
レンシアはわざと甘く言う。
「これがこの女の本性。
すぐ壊れて、すぐ泣いて、すぐ裏切る。
自分を守るためなら、誰だって切り捨てる子。」
瓦礫の上でレンシアが笑いながらユウヒへ歩み寄る、その瞬間。
「――レンシア。」
静かな声が割り込んだ。
レンファだった。
彼は妹の肩に手を置き、軽く制すように押し戻す。
「おしゃべりはそこまでだよ。
トワ様を……あまり待たせるわけにはいかないからね。」
レンシアは不満げに唇を尖らせるが、兄の手を払わずに止まった。
「ええー、まだちょっと遊べると思ったのに。」
「後にしておきなよ。まずは“仕事”を片付けよう。」
レンファは微笑む。だがその紫の瞳には一片の情もない。
ユウヒは怯え切った表情のまま、ヤヤの袖をぎゅっと掴んだ。手は震え、爪が食い込むほど力が入っている。
(ヤヤ君に……嫌われたら……どうしよう……
いま言われたこと、信じられたら……)
ユウヒの胸は痛みで潰れそうに締め付けられていた。
だがヤヤは言葉を返さない。
レンファとレンシアに意識を集中させている。
その沈黙が、ユウヒの不安をさらに深く沈めていく。
「さて。」
レンファが一歩、瓦礫を踏んで前に出る。
笑みは穏やかで、それゆえに残酷だった。
「月野ヤヤ。
そして――裏切りの花、ユウヒ。」
ユウヒの肩がびくりと震える。
「ここで会ったのも何かの縁だ。
僕とレンシアは、トワ様の計画のためにこの国を“整理”している最中なんだ。」
「だから邪魔されたくないの。
あなたたちにはさっさとここで死んでもらうね?」
ヤヤはゆっくりユウヒを後ろへ下がらせ、自分が前に立つ。
「……やっぱり、やる気か。」
レンファは軽く両手を広げた。
「そう。
君たちはこれ以上進んじゃいけない。」
昼の光が、折れた鉄骨の影を長く引き伸ばす中、レンシアが宣言する。
「壊してあげる。
“全部”ね。」
レンファは静かに構え、ヤヤのわずかな動きさえ逃さないように視線を固定する。
ユウヒは震える手で胸を押さえ、ヤヤの背中を必死に見つめる。
(ヤヤ君……
お願い……嫌わないで……
わたし……わたし……)
その想いが胸の奥で膨らむ一方で、声にはならない。
風が、完全に止まった。
次の瞬間――
双子の紫の瞳が細まる。
瓦礫の広場に緊張が、金属音のように張り詰めた。
戦闘が、動き出す。




