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第52話「俺の道は、煙の向こうにある」

瓦礫の間に立つ二人の距離は、わずか十五メートル。

浅草の黒煙が風に流れ、視界の端で赤く揺れる。


カイトは咥えていないタバコを指で転がしながら、気だるげに笑った。


「しかし……よりによってお前がエクリプス入りとはな。学生の頃から陰気で面倒くせぇ奴だったが、ここまでとは思わなかったぜ」


灰崎はゆっくりと歩みを進める。革靴が瓦礫を踏むたび、まるで場違いなほど澄んだ音が響いた。


「こちらとしても意外だったよ。君が東大を中退した後、キャバクラとギャンブルに溺れてジャスティスの犬になったと聞いた時は耳を疑ったさ。」


「ふん。俺は自由に生きたいだけさ。周りの目なんざ知るか」


「そういうところは変わらないな。本当に昔から嫌いだったよ。君のことが。その卓越した頭脳を持ちながら生かそうとしない。……どれほど嫉妬したことか。“努力しないのに天才”。この十年……私がどれほど君を殺したかったか、想像がつかないだろうな」


「ああ。お前のことなんて興味ねぇしな。今の今まで忘れてたよ」


即答。

灰崎のこめかみがぴくりと動く。


「楽しみだよ。君の死体を見るのがね……。私の人生を否定し続け、私のすべてを追い越し、そしてまるで興味がないかのように捨てた君の死体をね。」


カイトは肩を竦めた。


「他人と比較とかくだらねぇ。自分の好きなように生きりゃいいだろ?」


「だからこそ君の存在が許せないんだよッ!!」


灰崎の叫びと同時に――

空間が黒い線で満たされた。


次の瞬間、周囲の空気が震え、地面に無数の“鉛筆”が刺さる。


カイトは風のようなステップで横へ跳ぶ。


「うわ、やべ……! お前、不意打ちとはずいぶんきたねぇじゃねぇか!」


さらに灰崎は静かに手を広げた。


彼の指先から、無数の黒い鉛筆が浮かび上がる。

一本一本が鋭く尖り、金属のような光沢を帯びていた。


「ここは戦場だ。勝てばいいのさ。そういえば君の異能はタバコなのだろう?既に膨大なデータから戦い方は予習済みだ。今の君が私に勝てる確率は、多く見積もっても0.12%といったところか……」


「はっ……!!何いってやがる!!!俺の勝てる確率は100%だ。」


その言葉で灰崎の眉が歪んだ瞬間、空気が裂けた。

灰崎の指先から、黒い鉛筆が弾丸のように撃ち出される。


「《黒写こくしゃ》――飽和照準」


放物線を描かない。

風に左右されない。

逃げ道を数学的に潰す“死の弾丸”。

地面は蜂の巣のように穿たれ、

瓦礫が粉砕されて灰のように舞い上がる。


カイトは煙を羽織るように動いた。


「《煙走スモークダッシュ》!」


タバコの煙を足元に圧縮し、爆ぜるような加速を生む。

煙の線が閃光のように走り、カイトが残像だけを残して消える。


灰崎は即座に対応。

鉛筆の群れが自動追尾のように角度を変え、カイトを追いかける。


「逃がさないよッ!」


「逃げてねぇよ」


煙の壁を破り、カイトが灰崎の真横に現れた。

拳が風圧を伴い、灰崎の頬をかすめる。

灰崎は鉛筆を盾に組み替えて受け止めた。


火花と衝撃が生まれた瞬間、

二人は同時に後方へ跳ぶ。


灰崎は息を整え、低く呟く。


「……仕方ない。

 君には“解答”無しの問題を出すとしよう」


空中に浮かぶ鉛筆が、立体的に組まれ始める。

それは球でも立方体でもない。

多面の複雑な構造――数学的悪意の塊。


「《不完全立体インコンプリート・ソリッド

 未完成ゆえに“解けない”。

 未定義ゆえに“対処不能”。

 この空間すべてを、君の死に最適化するッ!!」


その多面体は回転しながら巨大化し、

刃のような面が次々とカイトを切り裂く軌道を描いて迫る。


地面ごと、建物ごと、削り取る威力。


だが。


その攻撃の最中――

煙の柱が一気に立ち上がった。


「甘ぇんだよ……灰崎ァ」


煙が渦となって集束し、カイトの拳を包み込む。


「行くぜぇぇぇぇ!!《煙葬拳えんそうけん》!!」


――煙を極限まで圧縮し、

一点に叩き込む“質量を持った煙の駆動拳”。


大気が揺れた。

灰崎の多面体が砕け、空中に散らばる。


灰崎の表情に、初めて“恐怖”が浮かんだ。


「な……こんな……馬鹿な……!」


「俺はただ“やる時だけ本気出す”だけだ」


カイトが一歩踏み込む。

その歩幅だけで地面の瓦礫が吹き飛ぶ。


灰崎は半狂乱で叫ぶ。


「やめろ!! 来るな!! 来るなァァァ!!!」


残った鉛筆を全て浮かべ、

最後の一撃に変える。


「これで死ねぇぇぇ!!!消えろぉぉぉ!!!《収束点コンバージェンス》!!!」


――すべての鉛筆を一点に集め、

触れた瞬間に“空間そのもの”を裂く殺人技。


迷いも、情もない。

灰崎ツトムという男の十年の嫉妬が凝縮した一撃。


だが、カイトは止まらない。


タバコの火を指で弾く。

その火種が、カイトの全身の煙を赤く染めた。


カイトの声が静かに響く。


「終わりにしようぜ。

 もう……お前の負けなんだよ」


煙が拳に集まり、

炎のように波打った。


「《無量煙嵐むりょうえんらん》!!」


――視界が白に包まれ、

あらゆる攻撃を無効化する“煙の絶対領域”。

その内側で放たれる拳は、逃げ場も回避も許されない。


灰崎の鉛筆がすべて弾かれ、砕かれ、

消えた。


煙の中で、ただ一つの音だけが響く。


――ドガァッ!!


カイトの拳が灰崎の胸を貫いた。


灰崎の瞳から光が消えゆく。


「……私は……君を……越えたかった……」


カイトは静かに答えた。


「越えたかったならよ――

 “俺を見る”んじゃなくて、“自分”を見て生きりゃよかったんだよ」


灰崎の体が崩れ落ちる。


そしてカイトは最後にタバコを落とし、

死体の横で踏み消した。

灰崎の命が、完全に途絶える。


灰の中で、カイトは空を見上げて呟いた。


「俺はよ……お前みたい人と比べてばかりの小さな男にはならねぇ。自分の信じた道を生きるって決めてるからな」


煙が風に消える。

激戦を制したのは東城カイトである。

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