第24話「シン・ヒューマンの時代」
歌舞伎町。
ネオンがギラギラと辺りを照らす中、ノクターンと書かれたバーの看板が、闇に浮かぶ。
扉を開けると、低くジャズが流れ、ウイスキーと煙草の香りが混ざっていた。
カウンターの奥。表の顔は教師、裏の顔は殺し屋ジャスティスのボスである男――天草キョウがグラスを傾けている。
琥珀色の液体がゆっくり揺れ、氷が音を立てた。
「……来たね、三人とも」
彼の声は穏やかだが、どこか鋭さを帯びていた。
カイトが軽く頭を下げる。
「ボス。ただいま戻りました」
「ご苦労様。ヤヤとレインも一緒だね」
ヤヤとレインは頷く。そしてキョウはカウンターに置いた書類を指でトントンと叩いた。
「急な呼び出しですまない。緊急なことでね……今回の件は、いつもより少し厄介だ」
レインが背筋を伸ばす。
「厄介、ですか?」
「ああ。――“風見シュウ”って名前、聞いたことあるかい?」
ヤヤが眉をひそめる。
「闇の情報屋だろ?異能者の能力データを売買してるって噂の」
「その通り。だが奴にはもう一つの顔がある」
「もう一つの顔だと?」
「ああ。覚醒水晶について研究している科学者でもある」
キョウの視線がわずかに鋭くなる。
「最近のことだが奴が能力者から能力を奪い、複製できる装置を作った。各組織が血眼になって狙ってる。今夜中に風見を始末、そしてその装置を押収し、依頼主に届けてほしい」
カイトが静かに頷く。
「場所は?」
「都内・鶯谷の廃ビル。監視カメラもセキュリティもない。風見はそこにいる……ただし、少し厄介な暗殺組織も動いている。相手は“黒犬”だ」
その名に、レインの表情が固まる。
「“黒犬”……。最悪じゃないの」
「そうだな。だからこそ、お前たちに頼む」
キョウは一枚の古い写真を差し出した。
そこには、緑髪で片目に傷を持つ男が写っている。
「ターゲットの写真だ。特徴的な風貌だ。直ぐにわかるだろう」
カイトが軽く息を吐く。
「また血の匂いがしそうな夜ですね」
「覚悟はいいかい?」
キョウがそう問うと、レインはニヤッと笑い独り言を言う。
「さっきのムカつき、全部ぶつけられそうだわ♡」
「……頼むから感情で動くなよ」
カイトが苦笑する。
ヤヤはというと、キョウの方をまっすぐに見据えた。
「なぁ、ボス。その装置、もし俺たちが確保したら依頼主に渡すんだよな?」
「そうだ。それが仕事だ」
「……その依頼主って、誰だ?」
キョウは一瞬だけ視線を逸らす。
「国家公安だよ。後で君の携帯に連絡先を送るよ」
「……了解」
ヤヤはポケットの中で拳を握る。
数秒の沈黙。
その静寂を破るように、キョウは微笑を浮かべて言った。
「まぁいずれにしろ死なないでくれよ。コードXIII。今夜も、君達が“正義”であることを願ってる」
三人は同時に頷き、立ち上がる。
レインがヤヤとカイトを見て声をかける。
「よーし、派手にいくわよ!」
「おい、あんまり調子のると痛い目みるぞ?」
カイトがぼやく声を背に、
ヤヤはノクターンのドアを押し開けるのだった。
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鶯谷。深夜の駅を降りると、街灯はまばらで自販機の青白い光だけが人影を落としていた。狭い路地を抜けると、古びた工場跡のような廃ビル群が口を開けている。窓は割れ、壁には経年の錆と落書きが重なり合っていた。
三人は塀の影で停まると、カイトが低く囁く。
「ここだ。誰も見張りはしてないようだが、油断するなよ」
レインが小さく頷き、冷笑を含ませる。
「わかってるわよ。派手にいくって言ったけど、無駄死にはしないからね……ふふっ♡」
「カイト……お前のタバコの煙の能力で俺達の姿消せないか?そっちの方が安全だろ?」
ヤヤが静かな声でカイトにそう尋ねる。それに対してカイトは首を横に振り、二人を見て答える。
「……いやダメだ。あれは時間制限がある。中に侵入して人の気配を感じてから使おうと思う」
レインとヤヤは正しい判断だと思い頷く。そしてヤヤは携帯のライトの光で顔だけを細く浮かべ、周囲を用心深く確かめる。
「行くぞ。俺、先に入る」
「ヤヤ……もう一度言うが油断だけはするな。少しの甘さが命とりだからな」
カイトの忠告にヤヤは肩越しに一言だけ返す。
「大丈夫。静かにする」
ヤヤが忍び込むように窓の割れ目から滑り込み、残りの二人が慎重に続いた。潮のように、金属の匂いと湿った埃が鼻腔を満たす。床は錆で軋み、廃材と配線が混ざった音が遠くで鳴る。
暗がりの中、ひび割れたコンクリートに薄い青い光が差していた。ヤヤが足を止める。そこから見えるのは――人影。複数。黒い装備に身を包み、顔を覆った者たちが廊下を巡回している。ヤヤはカイトに手を挙げ合図を出す。
「いい判断だ……少しは殺し屋らしくなってきたじゃねーか。煙のヴェールで忍び込む」
カイトが新しいタバコを咥える。以前と同じように紫煙がゆらりと立ち上り、三人の身体を包み込む。その瞬間三人の姿が透明化されるのだった。
「ホントに潜入ありの仕事にはカイトの力は助かるわ♡」
「……そうだな。無駄に人を殺さなくて済む」
「もう、ヤヤ君ったら……人の心配より自分達が生き残ること考えなさいな。ヤヤは人に興味ないって言ってるくせに優しすぎるわ」
「……わかった。カイトとレインを第一に考えるよ」
「ぜ、全然わかってない……自分もカウントしなさいよね……」
レインがやれやれといった顔でため息をつく一方カイトは状況を分析する。
「黒犬の下っ端か……情報通りだな。動きは早く、数は多い。透明化しているとはいえ正面突破は危険だ」
三人は廊下の暗がりを伝って低い姿勢で移動を始める。動作は無駄がなく、小石一つ踏まぬ程に沈んでいる。目の前の巡回兵が背を向けた瞬間、三人は影に溶け込むようにすり抜ける。
奥に差し掛かると、広い空間が現れた。天井の低い工場フロア。中央には壊れたクレーンと、作業台に並べられた電子機器。そこに、淡い緑色のライトが不気味に反射している。機材の一部にはガラス管が取り付けられ、どこか人体実験のような雰囲気を醸していた。
「あれが例の装置か……」
「そうみたいね。気味が悪いわ」
カイトの囁きにレインとヤヤは歯を食いしばる。心臓は高鳴っているが、表情はいつもより硬い。
そのとき、電気系の軽いノイズ。背後の配線が一瞬だけ光り、扉の開く音がした。影が一つ、現れる。緑髪で片目に傷。まさに写真で見た風貌だ。風見シュウが台の脇に立ち、ニヤリと笑う。風見は作業台の上の機械に手を伸ばす。ガラス管の中では、青白い液体がゆっくりと脈打つように揺れていた。
「……ついに、ここまで来たか」
彼は誰にともなく呟いた。
「魂をデータ化し、異能を数値で再現する。神の領域に手を伸ばすなんて、狂ってると思うか?」
淡々とした声。だが、その奥には確かに熱があった。風見は唇の端を吊り上げる。
「だが、力というのはそういうものだ。奪われるために生まれ、支配されるために存在する……そうだろう?」
その瞬間――ヤヤの耳元で、カイトの低い声が響いた。
「……煙の効力が切れる」
「……ここからは小細工なしってことか」
「ちょ、ちょっとカイト、もう少しねばりなさいよ」
微かな風が吹き抜け、紫煙が霧散する。
まるで夜の帳が一気に剥がされるように、三人の姿が露わになった。
「チッ……!」
風見がゆっくりと振り返る。
片方の傷のある目がギラリと光を反射した。
「なるほど。ジャスティスの連中か。……この匂い、懐かしいな」
彼は指先で装置のスイッチを弄びながら、まるで旧友に会ったように笑う。
「“正義”を掲げて人を殺す。矛盾の権化。私はお前たちが嫌いじゃない」
ヤヤが一歩前に出た。
「お前、何が目的だ。そんなもん作って、何がしたい」
風見は首をかしげる。
「目的?そんなもの単純だよ。――“人間を卒業”するんだ」
装置のコアが低く唸りを上げる。
ガラス管の中の液体が泡立ち、金属音が響いた。
風見は嬉しそうに目を細める。
「異能は進化の証だ。俺はそれを完全に“複製”してみせる。魂の器を越えた存在に……」
「!!」
彼の周囲に黒い靄のようなエネルギーが立ち上がる。
空気が震え、床の破片がふわりと浮かび上がった。
カイトがタバコをくわえ低く構える。
「気をつけろ……こいつ、ただの人間じゃねぇぞ」
レインが異能の傘を開きながら、唇の端で笑う。
「わかってるわ。あの目……完全にいっちゃってるわ」
ヤヤは蜻蛉の銃を生み出す。闇に黒い光が灯る。
「――やるしかないか」
風見の笑い声が静かに響いた。
「くっくっく……私は創ってみせる……“次の人類”の世界を。君たちには今後の私の計画のための研究材料になってもらう」
機械の光が一斉に点灯し、フロア全体が閃光に包まれるのだった。




