第21話「アオハル」
昼休みのチャイムが鳴った。
ざわつく教室。昼の光が差し込み、朝の雨の名残りはもうどこにもなかった。
転校初日の月野ヤヤは、すっかり教室の中心にいた。
席の周りには数人の女子たちが集まっていて、まるで人気俳優の囲み取材みたいな光景になっている。
「ねぇヤヤくん、どこから転校してきたの?」
「彼女とかいるの? ねぇねぇ!」
矢継ぎ早の質問。
笑顔で答える間もなく、次の問いが飛んでくる。
「あー……順番に頼む。えーと、転校前は……」
ヤヤは苦笑しながらも、どこか戸惑い気味。
その表情がまた“絵になる”ものだから、女子たちはさらにテンションを上げる。
「ヤヤくんって、芸能人とかにいそうな顔だよね!超イケメンだもん!」
「わかる! モデルとか絶対いける!」
笑い声と香水の匂い。
手が伸びて、誰かがヤヤの肩に触れようとした、その瞬間――
「――っ、ちょっと!」
鋭い声が響いた。
みんなが一斉に振り向く。
そこに立っていたのは、頬を少し赤くしたユウヒだった。
「ヤヤくん、先生が呼んでる。一緒に来て」
「え、俺?」
「そう。行こ~」
有無を言わせない勢いで、ユウヒはヤヤの腕を掴んだ。
女子たちはぽかんと見つめるばかり。
「ごめん、また後で-」
ヤヤは苦笑しながらも引っ張られるまま、廊下へ。
扉が閉まると同時に、教室の中に残った女子たちがざわめいた。
「浜中さん、さっきもヤヤ君と親しげだったよね……?もしかして知り合い?」
「えぇ~、ずる~い!!」
笑い混じりの声が遠くなっていく。
――そして。
昼の光がまぶしく照りつける屋上。
風が制服の裾を揺らす。
人気のないその場所で、ユウヒはようやくヤヤの腕を放した。
「……なぁ、先生なんて呼んでなかっただろ?助かったけど」
ヤヤが苦笑する。
ユウヒは唇を噛み、うつむいた。
「だって……あんなの、嫌だったんだもん」
「……あんなの?」
「みんながヤヤくんのこと囲んで……勝手に触ろうとしたりして……」
ユウヒの声はどんどん小さくなる。
頬はほんのり桜色に染まり、指先がシャツの裾をぎゅっと掴む。
「……なんか、モヤモヤして……苦しくて……」
風がふたりの間を抜ける。
ヤヤは一瞬きょとんとした後、柔らかく笑った。
「何?妬いてんの?」
その言葉にユウヒは顔を真っ赤にして、思わず振り返る。
「ち、違っ……違うんだから!……そ、それよりはどうしてずっと連絡くれなかったの?心配したんだよ~?!」
ヤヤはポケットを探るような仕草をした。そして携帯を取り出す。
「携帯、壊れてたんだ。あの時の戦いのあと、完全に沈黙。連絡取りたくても、どうしようもなかった」
「え……そうだったの?てっきり嫌われたのかと……」
ユウヒの表情が一瞬でやわらぐ。ヤヤはそれに対して答える。
「んなわけないだろ?………むしろ逆だ」
「……へっ?……それって……」
ヤヤが顔を少し赤くしながら、目を反らす。
「な、なんでもない!」
その照れた彼を見て意味を理解しユウヒは顔を嬉しそうな顔をする。
「ふ、ふぅ~ん。そっかそっか!」
しばらく風の音だけが吹き抜ける。
その静寂を破るように、少しだけ落ち着いたユウヒがふと思い出したように顔を上げた。
「コホン……でもびっくりしたよ~。まさかヤヤ君がうちの学校に転校してくるなんて」
「あー、それは天草先生のおかげだ」
「ん?うちの担任の?」
「そうだ。天草キョウは表ではこの学校の教師だが、裏ではジャスティスのボスなんだ」
「………………え?」
まさかのことにユウヒは目を点にする。ヤヤは嘘を言っているようには見えなかった。だがそれならばヤヤが転校してきたことに納得がいく。そして理解する。今の状況を。
「えええええぇぇぇぇぇーーーーーーー?!?!」
ユウヒの驚きの声が屋上に響き渡る。興奮のあまり、手が震えていた。
そんな中ヤヤは話をまとめる。
「……まぁ予想通りのリアクションだな。要は俺はユウヒの“監視”と“護衛”を兼ねて、ここに来たってことだ」
ヤヤの言葉に、ユウヒはぱちぱちと瞬きを繰り返した。
風が彼女の髪をなびかせ、陽光に透けるその横顔は、まるで絵のように綺麗だった。
「ふ~ん……なるほどね」
ユウヒは顎に指を当て、妙に納得したように頷く。
「つまり私は、護衛つきの超VIPってわけか~」
「そんな言い方すんなよ」
「だって~。なんかカッコいいじゃん?」
くすくすと笑うユウヒ。
さっきまで連絡をくれなかったことに不満を言っていたとは思えないほど、もういつもの調子に戻っていた。
「でも……よかった」
ユウヒはふと、少し柔らかい声でつぶやいた。
「こうしてまた、ヤヤくんと一緒にいられるんだもん」
その言葉に、ヤヤの心臓がどくんと跳ねた。
屋上の風が一瞬止まったように感じる。
「……ま、まぁ、そういうことだな」
「うっわ~!照れてる~!」
「て、照れてねぇよ」
「ウソつけ~。顔、ほんのり赤いよ~?」
ユウヒがにやりと笑って、ヤヤの顔を覗き込む。
至近距離。
甘いシャンプーの匂いがふっと香る。
ヤヤは思わず後ずさる。
「ちょ、近いって……!」
「へぇ、顔近づけるだけでドキドキしてくれるんだ~?可愛いじゃん」
「お前な……!」
「ふふっ、冗談だってば」
そう言ってユウヒはくるりと背を向け、フェンスにもたれかかった。
風がスカートの裾を揺らし、彼女の瞳が空の青を映す。
「でもさ」
少しだけ真面目な声。
「これからは一緒に通学して、一緒に授業受けて……なんか、変な感じ」
「……嫌か?」
「ううん。むしろ――」
ユウヒはヤヤを振り向き、にっこり笑った。
「嬉しい」
一瞬、ヤヤは言葉を失った。
太陽の光を受けて笑うその顔が、あまりにも眩しかったから。
「……そっか」
「うん」
ふたりの間に、しばし穏やかな沈黙が流れる。
屋上を抜ける風が、どこか優しかった。
やがてユウヒがぱん、と手を叩いた。
「で、話変わるけどさ~!ヤヤくん、今日の放課後って予定あるの?」
「ん?携帯買いに行こうと思ってる」
「お、いいじゃん!」
ユウヒの目がきらりと光る。
「じゃあ私が連れてってあげる。渋谷のいい店、知ってるんだ~」
「いや、別に自分で――」
「だーめ!」
すぐさま遮られた。
「女の子のセンス、なめちゃダメだよ?どうせヤヤくん、無駄に真面目そうなスマホ選びそうだし」
「真面目そうってなんだよ……」
「ん~、たとえば黒とかグレーとか。絶対そっち選ぶでしょ?」
「いや、まぁ……」
「はい図星~♪」
嬉しそうに指を突きつけるユウヒ。
その顔には、余裕と悪戯心が混じっている。
「せっかくの新しい生活なんだから、ちょっとくらい冒険しよ?私が選んであげるから」
「お前に選ばせたら、変な色になりそうだな」
「え~、じゃあピンクのキラキラケースとか?」
「それは絶対やめろ」
ふたりの笑い声が、屋上にこだました。
ユウヒはふと、ヤヤの腕に軽く触れる。
その指先が少しだけ震えているのを、彼自身は気づいていない。
「……じゃ、放課後。校門で待ってるね」
「……あぁ」
そう言い残してユウヒは、階段のほうへ軽やかに歩いていった。
最後に一度だけ振り返って、唇の端を上げる。
「置いてったら、怒るからね~」
その笑顔が、あまりにあざとくて――
ヤヤは思わず目を逸らしながら、心の中で呟いた。
(……まったく、勝てねぇな)
風が優しく吹き抜けた。
屋上には、まだ彼女の残り香が漂っていた。




