第17話「死咲きの印」
花火大会が終わり、帰宅したユウヒは、自分の部屋に入るなり靴を脱ぎ散らかし、そのままベッドに倒れ込んだ。
「……ヤヤ君……」
天井を見上げながら、思わず名前をつぶやく。
胸の中が妙にくすぐったく、息がうまくできない。
頬に手を当てると、指先までほんのり温かかった。
「ずっと、頭から離れないや」
あの観覧車の中での言葉。
花火の下で見せた、少し照れた笑顔。
どれを思い出しても、心が跳ね上がる。
「私も余裕なかったんだよ……」
ユウヒは小さく笑いながら、枕に顔を埋める。
いつもなら人をからかうような余裕の笑みを浮かべる彼女が、今はまるで恋に落ちた少女そのものだった。
そのとき――
机の上のスマートフォンが震えた。
ディスプレイに表示された名前を見た瞬間、
ユウヒの笑みがすっと消える。
胸の鼓動が、一瞬にして冷たく沈んだ。
画面には、短いメッセージ。
送り主は──黒蓮幇。
件名 : 進捗報告を
ジャスティスとの接触はあったか?
指先が震えた。
ユウヒは無意識に胸のあたりを押さえる。
そこには、呪いの印が刻まれている。
裏切りの瞬間、心臓を締め上げ、命を奪う“枷”。
それに加えて――
もしも相手が「ジャスティス」と判明すれば、
自分の意志とは無関係に“殺意”が発動する呪いでもある。
ユウヒの顔から、完全に色が消えた。
しばらく画面を見つめ、唇を噛む。
「……接触は、まだ。引き続き、捜索を続ける」
指を動かし、そう返信する。
送信ボタンを押した瞬間、胸の奥に鈍い痛みが走る。
「……ヤヤ君にだけは……絶対に知られちゃだめ」
小さく呟き、スマホを伏せた。胸に手を当て、目を閉じる。
脳裏に浮かぶのは、
花火の光に照らされたヤヤの綺麗な横顔。
無防備で、まっすぐで――
優しかった。
「……君をこの世界には、絶対に巻き込まないから」
その声は、かすかに震えていた。
涙がこぼれそうになるのを、
ユウヒは唇を噛んで、必死にこらえた。
――その夜、彼女は一度も眠れなかった。
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翌日。
昼下がりの秋葉原のカフェ。
通りに面した窓際の席で、ヤヤとレインが先に座っていた。
店内はランチの余韻が残り、コーヒーの香りが満ちている。
「カイト、遅いね」
レインがストローをくるくると回す。
「昼に集合なんて珍しいじゃない。何かあったのかしら?」
「“重要な情報がある”ってだけで、詳しくは言わなかったな」
ヤヤは眉をひそめながら、カップを口に運ぶ。
その時、ドアが開き、タバコを指に挟んだカイトが入ってきた。
「おう、二人とも。待たせたな」
「で? 情報ってのは?」
ヤヤが問いかけると、カイトはコーヒーを注文しながら真顔に戻る。
「ここ数日、俺達が追ってた“黒蓮幇”の工作員の写真を入手した」
「ほ、本当に?!」
「……!!」
レインは驚きの声をあげる。ヤヤは緊張感から黙ったままだった。
「居場所はまだわからないが間違いない。日本に今潜伏しているという黒蓮幇の殺し屋だ。そしてヤヤと同じアウトロートリガー使いのな」
カイトは無言で胸ポケットから一枚の写真を取り出した。
くしゃくしゃになった封筒の中から、丁寧にスライドさせるようにテーブルへ置く。
「こいつだ」
その一言で、空気が一変した。
写真の中、やわらかく笑う女性。
――浜中ユウヒ。
ヤヤの心臓が一瞬、強く跳ねた。
頭が真っ白になる。
時間が止まったかのように、視界の中心に彼女の笑顔だけが浮かび上がる。
「……えっ……?」
ヤヤの声はかすれていた。
レインが写真を覗き込み、息を呑む。
「この人が……?本当に……黒蓮幇の……?そんな風には見えないけど……」
カイトは静かに頷く。
「そうだ。ターゲットの名前は浜中ユウヒ……十二年前に品川で行方不明になった少女のニュースがあったの覚えてるか?それがこの女だ。情報によると奴らに拉致され、上海で殺し屋として育てられたらしい。表の顔は一般人のふりしてるが、組織でもかなりの腕だそうだ」
ヤヤの手がわずかに震えた。
「……嘘だ……」
低く、掠れた声。
レインが驚いたようにヤヤの顔を覗き込む。
「ヤヤ君……?」
ヤヤは写真を見つめたまま、
震える指で口元を押さえる。
写真の中――
ユウヒが微笑んでいた。
昨日、花火の下で見せた、あのままの笑顔。
カイトは真剣な表情で言う。
「この情報は確かだ。黒蓮幇が日本に送り込んだ“ジャスティスを排除するため”の工作員はこいつだ。つまり──俺たちの敵だ」
カイトのその言葉にヤヤは想いが爆発する。
「……嘘だ……嘘だぁぁぁーー!!」
「はぁっ?!お、おい……ヤヤ?!」
ヤヤが声を荒げ、椅子を軋ませながら立ち上がった。カイトは驚きのあまり目を見開く。店内の視線が一斉に集まる。
そしてレインも慌てて立ち上がる。
「ど、どうしたのよ、急に……!!」
ヤヤはうつむいたまましばらく黙る。身体が僅かに震えていた。それからポツリと呟く。
「ユウヒは……そんなことをしない!」
二人はヤヤがユウヒと知り合いだと知り、息を飲む。
「お前……この女と知り合いだったのか。……だとすると……なるほど。もしかしたらあの呪いがかけられているのかもな」
「あ、あの呪いってなによ?!」
レインが不安そうにカイトに尋ねる。
「『死咲きの印』……組織を裏切ったら死ぬ呪いだ」
「!!」
その言葉を聞きヤヤは立ち上がる。
「……悪い。……用を思い出した。先に帰る」
「おい、待てって!」
カイトが呼び止める間もなく、ヤヤは店を出た。
扉のベルが鳴り、昼の光の中へとヤヤの背中が消えていく。
レインは目を見開き、静かに呟く。
「……あんな感情的なヤヤ君、初めて見た。そんなに大切なんだ……その子が……」
カイトも珍しく感情的になるヤヤを心配したのか煙草に火をつけながらレインの言葉に反応する。
「……レイン。しばらくヤヤから目を離すな。」
「……うん……わかった。」
「……頼む。あのバカが心配だ」
カイトとレインは同時に頷き、決意を固めるのだった。




