第10話「旅立ちの鐘が鳴る」
地下の空気が、一瞬で爆ぜた。
次の瞬間、銃声が轟く。
弾丸が金属棚を撃ち抜き、白い粉が宙に散る。
「チッ、やっぱ撃ってきやがった!」
カイトがタバコを指で弾く。火の粉が散った瞬間、煙が爆ぜるように広がった。
視界が灰色の霧に包まれ、ヤクザたちは慌てて咳き込みながら引き金を乱射する。
「おい、どこだ!?見えねぇ!」
「撃て撃て!煙の中だ!」
カイトの声が低く響く。
「――"Smog Veil"、第二層展開」
煙が渦を巻き、敵の周囲で形を変える。
人影のように見える幻影が次々と現れ、銃弾を誘う。
「そこか!?」
「うわ、違っ……!」
弾丸が仲間を貫き、悲鳴が重なった。
カイトは笑みを浮かべ、煙の中をすり抜けながら敵の元へ接近する。
「遊びは終いだ。煙は“生きてる”。お前らの息まで奪うぜ」
指先から発火した煙が一本の槍のように変形し、敵の喉元を貫いた。
黒服の一人が痙攣し、そのまま倒れ込む。
その隣で、レインが静かに傘を開く。
「――“サイレント・ダウン”」
空気が歪んだ。
傘の表面に浮かんだ水滴が宙へ舞い、細い糸のように伸びて敵の銃口へ絡みつく。
次の瞬間、金属音とともに銃が軋み、錆びるように腐食していった。
「水じゃない……酸か」
「ええ、酸性雨よ。私の機嫌が悪いときほど、よく降るの」
レインが足を踏み出す。
傘を回転させるたび、水の刃が放たれ、黒服の腕や脚を切り裂く。
「無駄よ。私の傘の内側には“音”も“弾”も届かない」
男たちが恐怖に顔を歪め、後ずさる。
カイトとレインが暴れる中、ヤヤは静かに一歩を踏み出していた。
銃撃と悲鳴の中でも、彼の視線は鬼島だけを捉えている。
鬼島は懐から短銃を抜き、笑った。
「ほう……ずいぶん度胸あるじゃねぇか。ガキのくせによ」
「……黙れ」
ヤヤの声は低く、冷たい。
蜉蝣の銃――が彼の手に形を成す。
闇のように黒く、揺らめく輪郭。
その銃口が鬼島に向けられた瞬間、周囲の照明が一つ、また一つと消えていく。
「な、なんだ……?」
「これが俺の力だ。“蜉蝣”は想念を撃ち出す銃――現実を塗り替える弾丸……イマジンバレット」
ヤヤの指がゆっくりと引き金を引いた。
弾丸は黒い光を帯び、空気を歪ませながら放たれる。
その軌跡の先――鬼島の身体を貫いた瞬間、景色が反転した。
男の背後に、檻の中の子供たちの幻影が浮かぶ。
泣き声、怯え、痛み、恐怖――鬼島が奪ってきた感情すべてが、弾丸に映し出される。
彼の身体が震え、膝をつく。
「な、なんだこれは……やめろ……俺は悪くねぇ……!」
「これはお前の“罪の夢”だ。――現実として味わえ」
ヤヤの声とともに、幻が爆ぜた。
闇が光に変わり、鬼島の身体が崩れ落ちる。
銃が床を転がり、静寂が戻る。
煙が晴れ、レインが傘を閉じる。
「終わった……のね」
カイトが肩を回し、ふうと煙を吐く。
「ま、こいつがいたおかげで助かったな」
「……お前の煙もな」
ヤヤが短く応じ、銃を消した。
檻の鍵を壊すと、中の子供たちが怯えた目で三人を見つめていた。
ヤヤはしゃがみこみ、優しく声をかける。
「もう大丈夫だ。外に出よう」
地上に出ると、どんよりした空の向こうに、薄く陽が差していた。
レインが小さく笑う。
「まるで私達の勝利を祝福しているようね」
カイトがタバコを取り出し、火をつけた。
「さて、報告だな。ノクターンに戻るか」
ヤヤは空を見上げたまま、静かに呟く。
「――いつか、この銃が全部を終わらせる日が来る」
三人の背に、淡い光が落ちていた。
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夜。
ネオンがアスファルトを照らし、バー《ノクターン》の看板がぼんやりと灯っていた。
重いドアを押し開け、三人が中へ入る。
カウンターの奥には、ボスである天草キョウが座っていた。
白いシャツの袖をまくり、グラスを指先で転がしている。
琥珀色の液体が、ランプの光でゆらめいた。
「おかえり。――どうだった?」
カイトがタバコをくわえたまま、無造作に答える。
「例のヤクザどもは全員始末しました。鬼島って野郎も地獄行きです」
キョウはゆっくりと頷き、グラスを口に運ぶ。
「よくやったな。あの子達も喜ぶだろう」
それからヤヤが辺りを見回し、キョウに尋ねる。
「そのサトルとレナは?」
キョウの目が一瞬だけ柔らいだ。
「安心していい。先ほど知り合いに連絡してね。あの子達は都内の児童保護施設に預かってもらうことになったんだ。さっき引き渡したよ」
「そっか。これで今後の生活も安心みたいだな」
ヤヤがそう反応した後、レインが微笑む。
「久しぶりに“いいことした”って気分よ」
「おいおい、俺たちは殺し屋だぜ? いいことなんざ、柄じゃねぇ」
カイトが肩をすくめると、キョウが小さく笑った。
「フッ……だが私達は正義の殺し屋だ。誰かにとって“救い”ってのは確かにあるはずだ」
ヤヤは何も言わず、グラスの氷が溶けていく音を聞いていた。
彼の頭には、檻の中で怯えていたサトルとレナの顔が浮かんでいた。
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次の日の朝
これ以上ないくらいの青空のもと、ヤヤとカイト、レインは都内の児童保護施設にいた。
その施設内の小さな庭のベンチで、サトルとレナが並んで座っていた。
二人の顔にはまだ疲れが残っているが、それでも昨日よりは少し穏やかだった。
「お兄ちゃんたち、また来てくれる?」
レナがそう言って、ヤヤ達を見上げる。
ヤヤは少しだけ笑い、しゃがんで目線を合わせた。
「ああ。でもな、これからは――普通に生きるんだ」
サトルが首を傾げる。
「普通に?」
「そうだ。怖いことも、悲しいことも、全部もう終わりだ。これからは学校行って、友達つくって、笑って生きる。それでいい」
二人はきょとんとしながらも、小さく頷いた。
ヤヤはゆっくりと立ち上がり、右手を上げる。
その手の中に、黒い光が集まり――蜉蝣の銃が形を成す。
レインとカイトが小さく息を呑む。
「えっ?ヤヤ君、それ……」
「お前なにを?!」
ヤヤは優しく微笑んだ。
「これでいいんだ。あの子たちは、俺たちなんか知らない方が幸せだ」
銃口を向ける。
黒い光が静かに弾け、弾丸は空気のように溶けて二人に触れた。
その瞬間――風が通り抜け、木の葉が舞う。
サトルとレナの瞳から、涙の記憶が消えていく。
ヤクザの恐怖も、地下の闇も、そしてヤヤたちとの出会いも。
レナが目を瞬かせ、辺りを見回す。
「……あれ? お兄ちゃん、誰かと話してた?」
「さぁ……なんか夢、見てた気がする」
ヤヤは少しだけ笑い呟く。
「いい夢だといいな」
「ヤヤ……ガキどもの記憶を……」
カイトがそう言った後、サトルとレナは不思議そうに首を傾げながらも、施設の中へ戻っていった。
その背中が角を曲がり、見えなくなるまで、ヤヤは静かに見送る。
「これからは……普通に暮らすんだぞ」
その呟きは、誰にも届かないほど小さかった。
レインが隣でそっとヤヤを見た。
その横顔――冷たくも、どこかあたたかい光を宿している。
彼の目に映る優しさが、胸を刺した。
「……ほんとに不器用ね」
「そうか?」
「ええ。でも……少し、いいな思った」
ヤヤが振り向く。
レインはそっぽを向き、顔を赤らめていた。
そんな中カイトの声が飛んでくる。
「これで本当の意味でハッピーエンドってわけか。まぁ……たまには悪くねぇな。」
「ヤヤ君って意外と優しいんだね♡フフッ……♡」
「う、うるさい。気が向いただけだ」
「じゃあそろそろ行くぞ!ボスが次の依頼あるって言ってたしな!」
最後のカイトの一言にヤヤとレインは頷く。その表情は何か誇らしげだった。
「ああ、行こう」
「そうね♡またお仕事がんばりますか!」
その声には、昨日よりも少しだけ、柔らかい響きがあった。




