【幕間】魔術に焦がれた少女達
ロスヴィータが幼い頃を振り返ると、記憶の中で一番鮮明なのはいつだって母親だ。
『いい、ロスヴィータ。よく見てて』
母はニッコリ微笑んで、ナナカマドの枝を手に詠唱をする。まるで不思議な歌みたいに。
それがロスヴィータは大好きで、一緒に詠唱を口ずさんだ。
『不合理な献身、宿る雨、腕を失くした魚達……穿ちて施せ』
母の手の中で、ナナカマドの枝がひとりでに裂ける。
この枝は糸を束ねてできていたんじゃないかと思うぐらい細く裂け、その一本一本が水を纏って魚となる。
ロスヴィータは、わぁっ……と感動の声を漏らした。
小さな魚の群れがクルリ、クルリとロスヴィータの周りを泳ぎ出す。
水の魚が陽の光を透かしてキラキラ光る。
きれい。きれい。なんて素敵な光景だろう。
『ママ、すごい! ねぇ、あたしにもできる?』
『勿論。だってあなたは、私の娘だもの』
そう言って母は、被っていたとんがり帽子をロスヴィータの頭にのせてくれた。
大人の帽子は幼いロスヴィータにはまだまだ大きくて、顔の半分ぐらいが隠れてしまったけれど、とても誇らしかったことを今でも覚えている。
ロスヴィータの母は、とても綺麗で、頭が良くて、魔術の天才で、ロスヴィータにとって自慢だった。
それは、ロスヴィータが成長した今でも変わらない。
ずっと、ずっと、自慢のママだ。
* * *
「ロスヴィータちゃーん……開けてくださーい……」
宿舎の自室で本を読んでいたら、扉越しに声が聞こえた。同室のエラ・フランクの声だ。
わざわざ開けてくれとはどういうことかと、扉を開けたロスヴィータは呆れた。
エラは両手いっぱいに本を抱えていたのだ。本の山はエラの頭を越えるぐらいの高さまで積み上がっている。
「ちょっと、それじゃあ前が見えないでしょ!」
「そうなんですけど、借りたい本がいっぱいで、絞りきれなくて……」
部屋に入ったエラがフラフラと歩く。その内、椅子にぶつかりそうだったので、ロスヴィータはエラが抱えている本を数冊取り上げ、テーブルにのせてやった。
「ありがとうございます……ふぅ」
エラは残った本もテーブルに積み上げる。
なんとなく本のタイトルを見たロスヴィータは、その無節操ぶりに眉根を寄せた。
「近代、古典、それに異国の魔術に……なんでもありね」
「はい。もしかしたら、私でも使える魔術が見つかるかもしれませんし」
エラは魔力放出が苦手だ。そういう体質らしい。
魔術の知識はある。魔力量もそこそこある。だけど、エラは初級魔術すら使えない。そのせいで、魔法学校では落ちこぼれだったという。
ロスヴィータは近代魔術かぶれが嫌いだが、エラのことは割と嫌いではなかった。
エラは古典、近代を問わず、魔術が好きだ。魔術馬鹿なのだ。
ロスヴィータも古典魔術限定ではあるけれど、魔術が大好きだから、エラの気持ちは割と分かる。
(できれば、古典魔術を教えたいけど……)
古典魔術は、血筋と才能がものを言う。
血筋や才能では届かないからこそ、論理立てて、分かりやすく、扱いやすくしたのが近代魔術なのだ。
そうやって魔術をお手軽にして広めるってどうなのよ。魔術はもっと秘匿され、慎重に継承されていくべきでしょ──とロスヴィータは思っているが、それはさておき、エラに古典魔術が向いていないのは明らかだった。
エラみたいな才能のない人間のために、近代魔術はあるのだ。
「……筆記魔術は? 魔力誘引効果のあるインクを使えば、一応エラでもできるんでしょ」
筆記魔術は、古典魔術の中では比較的、近代寄りの技術だ。努力次第では才能がない者でも扱える。
(ただ、威力がショボいから、強く勧めたいものでもないけれど)
ロスヴィータの提案に、エラは少し複雑そうな顔をする。
「これは……私のワガママなんですけれど……」
「へぇ、エラでもワガママ言うんだ?」
見習い魔術師の中で、一番物分かりとお行儀が良いのがエラだと思っていた。
ロスヴィータは、自分がまぁまぁ我が強いという自覚がある。
「私は、すっごくワガママですよ。だって……」
エラの視線が足元に落ちる。
砂色の三つ編みが、プランと力なく揺れる。
「こんなに才能がないのに……魔術師になる夢を、諦められない」
エラのように魔力放出できない人間が魔術に携わろうと思ったら、研究職や魔導具職人などになるのが一般的だ。実践が苦手な魔術師なんて、現代では珍しくもない。
だけど、エラは魔術が使える魔術師になりたいのだという。
「子どもの頃、魔術師の方が魔術を使うところを見たんです。詠唱に合わせて水がパッと広がって、クルクル回って、キラキラして……すごく、すごく綺麗で……」
思い出を語るエラの頬はほんのり紅潮して、眼鏡の奥の目はキラキラしていた。
(アタシもそれ、知ってるわ)
きっと、ロスヴィータが見た魔術とエラが見た魔術は違うだろうけれど、胸に抱いた憧れは同じだ。
忘れられないのだ。幼き日の憧憬を。
「筆記魔術なら、魔力誘引効果のあるインクの力に頼れば、多少は魔術が使えるようになると思います。でも……私は水属性だから、どうしてもできることに限度がある」
筆記魔術はとにかく威力が低い。
得意属性が火、風、雷なら、工夫次第でどうにか戦力になれるかもしれないが、水属性の魔術師は戦い方が非常に難しいのだ。ロスヴィータもそうだから分かる。
筆記魔術で少し水を生み出す程度では、戦力になれない。
エラは赤くなった頬を両手で覆い、キュッと眉根を寄せた。
「本当に、本当に、浅はかで恥ずかしいんですけど……私、小さい頃に見た、詠唱でパッと出てくる、派手な魔術が使ってみたくて……」
「派手な魔術……なるほど、それはワガママだわ」
「うぅ、浅はかですみません……でも、憧れで……あの時の『すごい!』を、自分でもやってみたくって……こう、水を出して自由自在に操る感じの……」
ふと思いつき、ロスヴィータはマントの中から小枝を三本取り出した。
意識を集中し、詠唱。そして最後の一節。
「『不合理な献身、宿る雨、腕を失くした魚達……穿ちて施せ』」
まだ、母親みたいに細かく分割することはできないけれど、三本の枝が水を纏って魚の形になる。
三匹の水の魚が、エラの周りをクルクルと回った。
「こういうのが、やってみたいのね?」
「そうです! そう! わぁぁ……すごい、綺麗……」
「本当はもっとすごいのよ。ママはこれを百匹ぐらいに分割して、自由に操るんだから」
「わぁぁ、それは絶対綺麗ですね!」
目を輝かせるエラに、ロスヴィータはすっかり気分を良くした。
(そうよ、すごいのよ。ママの使う魔術は、世界一綺麗なの)
ロスヴィータが指を一振りすると、水の魚は姿を消し、三本の枝が床に落ちる。
それを拾い集めて、ロスヴィータはエラをチラリと見た。
「アタシは古典魔術しかできないけど、まぁ、必要なら……その……訊けば教えてあげないこともないけど」
「はい。その時は、よろしくお願いします。ロスヴィータちゃん」
「ところで、なんでアタシだけ、ロスヴィータちゃんなの?」
「あっ、ご、ごめんなさい……嫌でした?」
「……別に。いいけど」
オレンジがかったフワフワした毛と、キャンキャンよく吠える勝気さ。
実家で飼っている犬に似てるなぁ、とエラが和んでいることは内緒である。




